作曲

2012年11月12日

SYOTAくんの作曲作品が岩手「自閉症美術館」のBGMに

先日岩手県一関市・盛岡市・陸前高田市で、
自閉症や発達障碍の人たちが住みやすい町づくりを目指して
活動しているという特定非営利活動法人「えぇ町つくり隊」の方から、
今年9月に開設した「自閉症美術館」で、
SYOTAくんの作品をBGMとして使いたいとのご連絡をいただきました。

早速今日、SYOTAくんの作品を
メールで添付させていただいたところです。
近々SYOTAくんの作品がBGMとして流れることと思います。
是非お近くにお住まいの方は、
「自閉症美術館」まで足を運んでみてくださいネ♪


自閉症美術館


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emksan at 12:52|PermalinkTrackBack(0)

2012年10月10日

作曲のススメ

ピアノ曲を作り始めて数曲の私がいうのもなんですが、
勉強になるんです。
楽しいんです。
お勧めです!!

センスがあるとかないとか、
そういう問題ではないんですよね。
そんなのはすでに諦めているというか・・・。(笑)
私が作曲を始めたのは、
作ったら読譜がより深まるのでないかと思ったからでした。
実際作り始めてまだ数曲ですが、
すごく勉強になると実感しています。

誰かに師事するわけでもなく、
自分のペースで自分の作りたいように作る。
だから、勉強とはいえ楽しいんですよね。
趣味という領域で作りつつ、
勉強という課題を与える。
そのバランスが絶妙です♪

私が1曲目を作ったのは2009年9月のこと。
それから数曲しか作っていないのですから、
ホントのぉんびりペースです。
それくらいが私には丁度いい。
やりすぎると燃焼しきっちゃうので。(笑)

私が作曲してみたいなぁと思うとき、
そこにはいつも理由があります。
1曲目のときは”対位法”を使ってみたいというのが理由でした。
特に”対位法”の本を読んだわけではありません。
これまで弾いてきた経験の中だけで作ってみるんです。

だから趣味の領域なんですよね。

こんななんちゃって作曲でも、
ものすごく勉強になりました。
とりあえず”テーマと対旋律を作ってみたい”
”テーマを右にも左にも使いたい”程度のものだったので、
仕上がった曲は未熟極まりない曲ですが、
私にとっては第一歩の大切な思い出の曲です。

2曲目を作ったのは同年11月のこと。
このときは”展開してみたい”という思いが動機でした。
楽曲を展開するってどんな感じ?
ソナタ形式で書こうと思っていたのに、
第1主題の流れから第2主題が転調のイメージではなくなってしまい、
中間部が展開しているだけの3部形式の曲になっていまいましたが、

とてもよい経験になりました。

この曲の展開のお手本はベートーヴェン。
聴く人が聴けば、ベートーヴェンにありがちな展開と
わかるのでは〜と思います。(^_^;)
展開させるって難しい!を実感しまくりました。
また、対位法を取り入れてみたり、
繋留音を取り入れてみたりと、
自分がやってみたいことをあれもこれも!と
詰め込んだ曲です。

一体どうやって展開させればよいの〜?!と
試行錯誤する苦しさ反面、
あれもやってみたい、これもやってみたいと、
とても楽しく作曲できた曲です。

3曲目は2012年1月。
随分と間が空いてしまいました。
2曲目で力尽きたか?!といった感じでしたが、
ようやく再び作曲熱が出てきました。
きっかけは夏目漱石の『草枕』。
こういう世界観の曲を作ってみたいという気持ちと、
旋法を使ってみたいという気持ちが一致して作ったものです。

ドビュッシーはどのように旋法を使っているのか?
じゃぁ、私はどうやって旋法を使えばいいのか?
いったい旋法にどうやってハーモニーを当てはめたらよいのか?

わからないことだらけで、
試行錯誤しまくりました。
使いたい旋法を決めて、
それが転調するとどうなるのかを5線譜に書いて、
そこにハーモニーを当てはめるとしたら、
どんなハーモニーがよいのかを書き出して、
それからようやく作曲です。(笑)

これはハーモニーを知るよい機会になりました。
私は和音を分析する、というアナリーゼがとても苦手です。
正直、自分が作曲した曲に和音記号を書けと言われても、
書くことができません。(^_^;)
だけど、感覚がすごく研ぎ澄まされたんですよ。
苦手だった属9の存在が身近になったというか。

4曲目の作曲は、3曲目の直後に書きましたが、
ただ書きたいという漠然とした思いだけで書いたので、
自分でも耳を覆いたくなるほど稚拙な曲になってしまいました。
感覚だけで作ってもよいものにはならないのだと、
反省した曲です。

そして、最近5曲目を書き終えました。
今、演奏の練習中です。
この曲を作るきっかけは「変奏曲を作ってみたい」という思いでした。
漠然とですが、これは勉強になるのでは?と思ったのです。

ベタですが変奏曲といえば「きらきら星」ですよね。
ということで、作曲したのは「きらきら星変奏曲」です。
この曲を選択して正解でした。
「ドソラソファミレド ソファミレソファミレ ドソラソファミレド」
を同音連打しただけの単純な曲。

単純だからこそ、基本から逃げようのない曲だったんです。
そこから逃げてハーモニーを付けると、
どこかで聴いたことのあるようなポピュラー曲になってしまう。
まずは、基本的なハーモニーの中で、
いかに美しくありきたりではない音楽にするか。
この縛りがものすごい勉強になりました。

まずはテーマのハーモニー決め。
特別なハーモニーを使うのは一部だけ。
あとは全て基本的な和音に留めました。
特別なハーモニーをどこに使用するか?
この1点に集中するだけで、
魅力的なテーマになるということを知りました。
(あくまでも私の感性に響く魅力・・・ということですが。)

次に悩んだのが”変化”です。
モーツァルトを見てみると、
「ドドソソララソ」の後、「ファファミミレレド」で変化があるんですよね。
たったこれだけの小節間で、
とても魅力的な変化が加えられているんです。
なかには「ドドソソ」→「ララソ」で、
「ソソファファ」→「ミミレ」で変化しているものもあり、
モーツァルトは自由奔放に音で遊びます。

ハーモニーを変化させることなく、
ありきたりではない”変化”を加えるということ。
あぁ、作曲家ってこんなところにまで工夫をしていたんだ!です。
さて、私はどうやって変化を加えようか?
これだけで数時間かかったりしました。
”ハーモニーを変えない”という縛りがあるから大変でした。
でも、その縛りのお陰でたくさんのことが見えてきたように思います。
ハーモニーの変化に逃げないということ。
これ、結構重要なことなんだなぁと、しみじみ思いました。

次に悩んだのは”繋ぎ”でした。
私はどの作曲家の演奏をするときでも、
経過句が一番難しいと感じています。
オーケストラの演奏を聴いていても、
すばらしい指揮者はこの繋ぎの部分が見事ですよね。

これまでは演奏者側の視点でしたが、
作曲する側の視点としても、
繋ぎというのは難しいものなのだ!を実感させられました。
感覚的にサラサラ〜と繋ぎを作曲してしまうと、
そこらへんで聴くポピュラー曲になってしまうからです。
それを回避しようと思うと、
今度はありきたりな繋ぎになってしまいます。

単純なハーモニーの中に、自然な次への流れをを作る。
ほんの1小節に数時間かかることしばしば。
自分の引き出しの少なさに驚かされると同時に、
様々な作曲家の繋ぎ部分に目を向けると、
多くの工夫に気付かされ、
読譜の楽しさが倍増しました。

最後に悩んだのは”配置”です。
音の配置ひとつで、響きが大きく変化する!!
大学時代和声の問題を解いていて、
こんな楽しさは実感できませんでしたが、
和声の問題を解くというのは、こういうことだったんだなぁ!です。
(かなぁり今さらです・・・)

私の変奏曲は小規模なものなので、
第4変奏が最後の変奏です。
ここではこれまでにないほどの変化を加えているのですが、
ハーモニーの配置にかなり苦労しました。
アップテンポの曲なので、
さらりと流れていってしまうハーモニーなのですが、
なんだか美しくないんですよねぇ。

イメージだけで作っていたので、
ハーモニーの骨格が見えないまま、
あれこれ音を加えてしまっていたのです。
そこで、私が譜読みの際必ずする、
ハーモニーの骨格を弾いてみるという作業を、
この曲でやってみることにしたのですが、
いびつな部分をあちらこちらに発見!!

あぁ、作曲家というのは、
こういう骨格をはっきりと意識した上で作曲しているんだ、を実感です。
骨格をはっきりさせながら、
自分が目指したいメロディをそれらと合致させていき、
さらにいくつかの旋律との兼ね合いを考えるというのは、
もう、本当に、至難の業です。(^_^;)

しかも、そこに美しい響きを求めたいという私の欲求から、
”配置”にまで目配りしなければなりません。
密集がいいのか、開離がいいのか。
これはその部分によって異なります。
第4変奏全体における、高音・中音・低音の配置による変化。
第1変奏から第4変奏という広い視野でみる、
高音・中音・低音という配置の変化。
配置ひとつで、あれもこれも!です。
この縛りと格闘するのに、結局1か月もかかってしまいました。

たった1曲を作曲するのに、
こんなにワンサといろんなことが学べるなんて!でしょう?
作曲してみること、本当にお勧めです。
私たちは楽譜棚に目を向けるだけで、
レッスン代を支払うことなく、
一流の作曲家から作曲を学ぶことができます。
なんて恵まれた環境だろう、
なんて恵まれた時代だろうと思います。

みなさんもご自身が学んでみたいテーマを決めて、
作曲してみませんか?
私が記事にしたテーマ以外にも、

・イ音を使ってみたい
・繋留音を使ってみたい
・借用和音を使ってみたい
・減7を使ってみたい
・転調してみたい

こんな風に、たっくさんテーマを設けることができるのではと思います。
誰にせっつかれるわけでもなく、
ただただ自分と向き合うだけの作曲。
楽しいですヨ♪


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emksan at 12:32|PermalinkTrackBack(0)

2012年09月20日

キラキラ星変奏曲

最近時間に余裕が出てきたので、
再び作曲熱が再燃しています。
読譜をもっと奥深くできるように・・・
と始めた作曲(誰かに師事しているわけではありません)ですが、
最近勉強のためというよりも、
息抜き、楽しみのためと思えるようになってきました。

今回は変奏曲に挑戦中。
しかも、キラキラ星。
単純な曲だけに、難しかろう、勉強になろう、
と選択した曲です。
これが思いのほか楽しくて楽しくて。(笑)

テーマの課題は、
単純なハーモニーをいかに魅力的にするか。
テーマなのでハーモニーをゴテゴテさせるわけにはいきません。
そのため、単純なハーモニーの中に、
変化のあるハーモニーをどこに加えるのか?

この試行錯誤が楽しかった〜!

第1、第2変奏は、
テーマの流れに素直に沿って、
あまり大きな変化はさせず、
第3変奏で、ちょいと崩しにかかります。
この崩し方が、我ながらうまくいきました。
あまりに上手くいったので、
第4変奏に手間取り中。(^_^;)

やっぱり作曲は推敲しなきゃなんだよなぁ、を実感しています。
以前アップした『異国の風』は、
とにかく作りたいという気持ちの方が先行してしまって、
感覚的に作ってしまいました。
あまりに荒っぽく稚拙な曲なので、
一度アップしたものの削除した次第。
耐えられなくなったので・・・。(笑)

今度は自分で聴いて耐えうる曲を作りたいデス。
なので、ゆっくりじっくり、
感覚だけでなく、頭もたくさん使って、
納得行くまで作らねば〜と思っています。
せっかくここまできたんだから。

それにしても楽しい!
私は即興できる人間ではありませんし、
頭の中だけで作曲できるような技術もありません。
ピアノを探り弾きしながらの作曲。
でも、これが楽しくて楽しくて。
あっという間に時間が過ぎていきます。
こういう時間もいいな♪充実を満喫中♪


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emksan at 16:40|PermalinkTrackBack(0)

2012年06月11日

SYOTAの部屋更新『幻想風景曲』

作曲をする広汎性発達障碍の高校生SYOTAくんの作品をアップしている、
SYOTAの部屋を更新しました。
SYOTAくんらしい曲名♪
発表会での演奏です。

※私は一切この楽曲の作曲に関して、口出ししていません。
 全てSYOTAくん自身の音、世界観です。
 この曲を演奏するためのレッスンはしています。





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emksan at 12:20|PermalinkTrackBack(0)

2012年02月13日

作曲MP3『異国の風』

またまた曲を作ってみました。
イメージは「風」です。

「異国」とありますが、幻想的な風をイメージしています。
セピア色の風景というか。
風そのものというより、風のある風景です。

あぁ、それにしても下手っぴな演奏だなぁ。
もっと上手な人に演奏してもらいたい・・・。(^_^;)





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emksan at 20:39|PermalinkTrackBack(0)

2012年02月12日

”日本語は映像的である”を音楽に見て

草枕に想起して『湖面に揺らぐ月』を作曲したとき、
ようやく自分が求めていたものに出会えた気がしました。
一体私は音楽に何を求めているのか?
この線上にあるように思えたのです。

昨日本屋へ行きました。
あれこれ本をあさっていたとき、
目の前に『日本語は映像的である』という文字が飛び込んできました。


日本語は映像的である−心理学から見えてくる日本語のしくみ日本語は映像的である−心理学から見えてくる日本語のしくみ
著者:熊谷高幸
新曜社(2011-10-20)
販売元:Amazon.co.jp
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西洋の哲学や文学はいくら読んでも馴染まない、
しっくりこないという思いがありました。
客観的に眺めることしかできず、
共感するところまでいかないのです。
でも、草枕は違う。
私の中に何の迷いもなく、すうっと溶け込んできました。

それは西洋音楽についても同じ。
好きな作曲家や好きな曲があり、
様々な曲を演奏しているにもかかわらず、
自分で作りたいと思う曲は違う。
私の呼吸、私の表現は、そこにはないのです。

本屋でこの文字が目に飛び込んできたとき、
これだ!と思いました。
興奮しました。
パラパラとその場で本をめくりました。
きっとそう。答えはここにある。


「日本語の話し手は、
臨場感のある現場的な映像の中に聞き手を連れていく。
このように想像行為を共有するところに日本語の特性があるのである。
それに対して、英語の場合は、発話時点から見て、
この事件はここ、あの事件はあそこ、というように
時間的関係性を表していく。」

「俳句や短歌は、語ったり、論じたりするものではない。
それが求めているものは「共に視る」ことである。
わずかなことばで表された世界を共視することで、
その背景にある景色の広がりや心のひだを共有しようとする。」

「日本語は話し手と聞き手が場を共有することを前提として作られている。
場は点というより面である。
あるいは、面を越えて空気のような立体的な世界
(日本語では、これを「風」ということばで表すことが多い)である。
西洋の言語は、この立体から点や線を抽出して
モデル化した構築物と考えることができるだろう。」


159ページにある、
それぞれの語の視点と文の構成の図は、
とてもわかりやすく、あぁ私は膠着語なのだと実感させられました。
そして、音楽でも膠着語を用いたいのだと感じたのです。

ポリフォニーとホモフォニー。
私にはポリフォニーの音楽の方がしっくりきます。
そして、ポリフォニーの音楽は膠着語なのだなぁと思ったのです。
ホモフォニーは面ではなく点。構築物そのものです。
私はそこに、日本文学にみられるものと同質の
背景にある景色の広がりや心のひだを感じることができなかった。
それがしっくりこない要因だったのでしょう。

ロマン派以降の音楽でも、
ポリフォニーを感じるものが好きです。
たとえば、シューマンのトロイメライのような曲。
このようなポリフォーニーの扱いの楽曲には、
奥行きという立体感を感じるからです。
何故そこに立体を感じるのか?
何故ポリフォニーのない音楽に物足りなさを感じるのか?
答えは”背景”にあったようです。

ミシガン・フィッシュ課題と呼ばれる、
増田貴彦氏の実験の記述。


「水槽の中を泳ぐ三匹の魚の映像を参加者に見せたあとで、
それがどんなものだったかを答えさせるのである。
実験結果は、日本人とアメリカ人のあいだに大きな違いが表れるものになった。
日本人の答えは、「藻などが生えた池のようなところで」と、
まず背景を述べたあとに、三匹の魚に言及するものが主流だった。
ところが、アメリカ人の答えは、「三匹の魚がいて、一匹は大きかった」など、
映像の中心部についての説明が多く、
水草や水生動物などの周辺情報について触れることは少なかったのである。」


周辺から中心に向かう日本語の特性と、
中心から周辺に向かう英語の特性。
日本語の文型は映像中にあるものが列挙され、
次にそれらの関係を表しますが、
それに対し、英語の文型はコンセプト重視。
物事には基本的なコンセプトがあり、
それに目の前の事態を当てはめていくという言語。
私がホモフォニーの楽曲に感じる物足りなさは、ここに通じている気がします。
機能和声の上に単旋律を載せただけでは、奥行きを感じることができない。
私は背景も感じたい。

ところで、私はバッハのポリフォニーより、
ルネサンス音楽のポリフォニーの方がしっくりきます。
バッハの音楽は、私には和声的過ぎるのです。


ルネサンス音楽---バッハ---古典派以降


167ページに共同注視の視点を重視しているか、
普遍的な構造を重視しているかという、
世界の言語の両極的な分布図が載っています。
これをクラシック音楽に置き換えると、
ルネサンス音楽が共同注視の視点重視で、
古典派以降が普遍的な構造重視なのかなと。
そして、その中間にバッハです。

何故同じ西洋の音楽にも関わらず、
ルネサンス音楽には日本語と共通の共同注視の視点を感じるのか?
この本の165ページの「5つの指標からみた世界の16種類の言語」
という表を見てすっきりしました。

ルネサンス期の教会音楽の歌詞はラテン語でした。
ラテン語はこれまで述べてきた視点から見ると、非常に日本語と似ているのです。
共同注視の視点と普遍的構造の間に私が置いたバッハは、
ポリフォニーは使っていますが、
短調・長調という機能和声が発生する音階を使用しています。
しかし、ルネサンス音楽では短調・長調という機能和声を含んだ音階ではなく、
旋法という独特の音階が用いられているのです。


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