ピアニスト

2012年02月22日

クラシック演奏家に必要な資質

音楽漬けの何日かを過ごして改めて思うこと。
演奏家ってのは尋常じゃないよなぁということ。
私が考えるクラシック音楽における演奏家の資質。


・理解力(アナリーゼ、音楽学など)
・記憶力(レパートリーの保持)
・運動能力(楽器を駆使する技術力)
・音感(ソルフェージュ)
・思慮深さ(哲学・文化における造詣の深さ)
・感受性の豊かさ
・精神力(聴衆の前で演奏する緊張の持続に耐えられる)


ふと思いつくだけでもこんなにたくさん!
この中でリサイタルを開くための最低限の資質は、


・記憶力
・運動能力
・精神力


でしょうか。
でも、これだけでは良い演奏家とは言えないですよね。
人から与えられた解釈で指の運動をするのではなく、
自分で思考し楽曲を組み立てる素養が必要。
そして聴衆を感動させるには感受性の豊かさ。
上に挙げたすべてを併せ持つということが、
歴史に名を残す巨匠に必要な資質なのでしょう。

運動能力は優れているけれど思慮深さが足りない。
感受性は豊かだけれど理解力が足りない。
理解力は優れているけれど運動能力が足りない。
思慮深さに秀でているけれど感受性が足りない。
たいていのピアニストはバランスが悪い。
そして、そのバランスの悪さが魅力になっていたり。
その魅力は、この中のどれかが特に秀でているという証拠なのだけれど。

私はというと、最低限必要な資質の段階で落ちこぼれ。
リサイタルを開けるだけの記憶力もなければ、精神力もありません。
もちろん運動能力も・・・。
これだけ資質がないと諦めもつくというもの。(笑)

それでも、青柳いづみこさんの本を読んだり、
リヒテルの本を読んだりすると、
自分の感性の未熟さ加減にげんなりしてしまうのです。
あぁ、私の感性はなんて幼稚なんだろうと。

感性の豊かさと、理解力、思慮深さ、音感には強い繋がりがあります。
私はこの繋がりが弱い。
だから、感性に深さを持つことができない。
特に理解力は・・・もう・・・ね・・・、
頭のいい人に敵うはずなんてないんですよね。
頭のいい人が5分で理解できることを、
1時間かけて噛み砕いた説明を受けても、
私には理解できないことがあるのですから。

それでも、自分の持てる能力は出来る限り使いたいとも思うのです。
知りたいと思うことを理解できたときの喜びは格別。
自分の成長を実感できたときの快感ったら!


文学という感性が必要と思った。
西洋文化を知るうえで、ギリシャ神話や聖書を知ることも必要と思った。
だから、ホメロスの叙事詩を読んだ。

哲学という感性が必要と思った。
西洋人の思考を知る上で、西洋哲学の視点を学ぶ必要を感じた。
だから、アリストテレスやカントを読んだ。

思想についての知識が必要と思った。
だから、啓蒙思想の本を読んだ。
啓蒙思想に関わる文学を読んだ。

クラシック音楽と建築は深いかかわりがあると思った。
だから、建築学の本を読んだ。

美術館へも足しげく通った。
耳を育てるために、たくさんの演奏会に通った。


記憶力がなく理解力が乏しい私なりに、
知りたいと思うことに手を伸ばしてきました。
それは、先に述べた資質同士を繋げる作業だったように思います。
これが感性の深さに通じ、深みのある演奏に通じると思ったからです。
そして、その感性の深さがピアノ指導者の資質として必要なものだと思うのです。

あまりに漠然とした勉強なので、
成長を感じることはそうそうありません。
果たしてどこまで自分に理解できているのかすらわからない。
これらの理解が音楽にどう通じていくのかすら手探り状態。
だけど、必ずそこには音楽との密接な繋がりがあるはずなのです。
それは、私が大好きな演奏家の演奏を聴けば一目瞭然。

この道がどこへ通じているのか、
能力の低い私に、どこまで歩みを進めることができる道なのか。
それはわからないけれど苦しくはありません。
最初の頃は義務として自分に課していたので苦しみましたが、
今はどちらかというと楽しい。
これが成長というものなのでしょうか?

ここ1,2年、私は自分の土壌を耕すことから離れていました。
本を出版し楽器支援を進めていく中で、
”発信”することにばかり焦点を当てていたように思います。
レッスンも発信の場ですね。
自分の土壌を耕してそこで育んだものを生徒さんに与える。

土壌は耕さないとやせ衰えてしまう。
ふと自分の足元を見てみたら、
私の土壌がやせていることに気付きました。
元来私は発信タイプの人間ではなく、
ただただ自分のためにコツコツと土壌を耕すのが好きなタイプ。

私には演奏家の資質である、
記憶力や精神力、運動能力なんてありませんし、
それほど高い理解力があるわけでもありません。
でも、土壌を耕すのはこの上なく楽しい。
こうして楽しめるのは、自分が演奏家ではないからなのかもしれませんが。

たくさんたくさん耕して豊作になると、それを誰かに分けたくなる。
それがレッスンなんですよね。
演奏家の場合は、それが演奏会なのでしょう。

こうして自分の土壌を心行くまで耕せるというのは、
なんて心地良く愉しいこと!!
3月以降は義務的にやらなければならないことが目白押しなので、
2月中はこの貴重な時間を堪能したいと思います♪


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2010年12月02日

やっぱりピアニストはスゴイ!

花瓶ピアニストって厳しい職業だなぁと思うのですよ。
人前に出せるほど曲を仕上げるということが
いかに大変なことかっ!
その上、本番が終わっても次の本番がある。
期限付きで譜を読んでいかなければならないという厳しさ!!

私なんて自分のペースで、
学びたいなぁと思う曲や弾きたい曲を練習すりゃぁいいだけ。
期限もなけりゃぁ、本番もない。
100%自分のペース。
たまに、本番もあるけれど1年に2,3回、
その都度1曲ずつ程度なもんです。
ピアニストは1時間半以上弾き続けなきゃいけないんだもの。

ほんとすごいことです。
だから、これを生業にする人っていうのは、
ピアノが好きなだけじゃぁダメ。
いかに自分に厳しくできるかという才能も必要なんだろうなぁと思うのです。

表現する世界とはいえ、ピアノの練習はシビアなもんです。
このシビアさに耐えられなきゃいけないし、
そのシビアさを楽しめるくらいじゃぁないと、
生業とするのは大変でせう。

私は私のペースでやっていけるから、
このシビアさを心ゆくまで楽しめるけれど。
期限に追われて過ごしていたら、
シビアさにつぶされてしまうでせう。

ピアニストになるための条件。
才能も大切。
でも、実はこのシビアさにどれだけ耐えられるか、
という精神力がものをいうのではないかな・・・と。
才能のある人にこの精神力があったら、
鬼に金棒でしょうネ。

でも、これってどの世界も同じなのかも。
イチローなんて、まさにそうですよネ。
才能があるだけじゃぁやっていけない。
フィギュアスケートも、バレエも、
野球もサッカーも。
どの世界もそれを生業にしようと思ったら、
必ずついてくるシビアな環境。

ホント、プロの世界というのはスゴイ。


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2009年03月12日

ピアニストって

flo-607ピアニストってすごいなぁと思う。

そして、
私はピアニストにはなれないなぁと思う。

それから、
ピアニストにはなりたくないなぁと思う。



ピアノは好きだけど、
弾き続けていきたいけれど、
それとピアニストという職業は、
私の中では別。
ピアニストになるための資質。
音楽的な才能もさることながら、
それ以上に


・記憶力
・精神力
・体力
・集中力



が必要なのだろうと感じるから。
生まれもって音楽的な記憶力を持っている人は、
かなりピアニストとしての資質があるってことでせう。
精神力や集中力は訓練すればなんとかなりそうだけれど、
でも、それを幸せと感じるか苦痛と感じるかは大きな分かれ道。
体力は日々の努力次第?


アルゲリッチはすごい記憶力の持ち主でした。
それこそ天才の域。私にはとうていあり得ない。
たぶん、普通のピアニストにもあり得ない。
モーツァルト的な記憶力。

同室の友人がピアノ協奏曲の練習をしていたとき、
隣で寝ていたアルゲリッチは、
翌朝友人のミスタッチまで記憶していたといいます。
あり得ないでしょ。

そんな記憶力に支えられてたら、
さぞかし本番気楽だろうと思いきや、驚くほどの気弱さ。
舞台袖でのアルゲリッチはひどく怖がり、
舞台になかなか出たがらないとか。

アルゲリッチはピアニストになりたかったわけではなかったらしい。
でも、周りの人間はピアニストになるのが当然・・・という態度。
たぶんピアニストになる以外の選択肢のない人生だったのでしょう。
果たしてアルゲリッチは幸せなのか?
ソロ活動を停止し、アンサンブルばかりをやるのは、
心から音楽を楽しみたいからなのかもしれないなぁ。



flo-655で、私はというと。
テクニックもそうですが、
同時にに記憶力という
大きな壁にもぶち当たります。
練習すれば克服できる!
もちろんそうでしょう。
でもね、それにはかなぁりの努力がっ。

ピアニストでいるためには、
1人で1時間半〜2時間弾き続ける
プログラムを持っていないとね。


そのためには、それだけの楽曲を記憶しなきゃぁいけない。
その上、


「間違えないで弾けるだろうか?」
「忘れないで弾けるだろうか?」
「思うような表現で演奏できるだろうか?」



という不安が1時間半〜2時間つきまとうわけで・・・。
とてもじゃないが、私には耐えられそうにありません。

ショパンは1日の練習量は3時間まで・・・と言っています。
それ以上練習し続けても、音楽に悪影響を及ぼすだけだと。
言い換えれば、3時間以上練習しないと、
コンサートを開けないタイプの人間は、
ピアニストにならないほうがいいだろう・・・ともとれる。(^_^;)
記憶力・精神力・体力・集中力が持ったとしても、
音楽的なものがそれで激減してしまうということは、
魅力的な演奏はできないってことだものネ。
 ・・・・ただ、ショパンの時代はまだ暗譜で弾くのが当然、という風潮はなく、
    リストやクララ・シューマンが暗譜で弾き始めたばかりの頃だったので、
    記憶力の必要性はあまりなかったのではないかな、と思います。



でね、私は1日8時間くらい練習しないと、
2時間分の記憶&テクニックは補えないだろうと思うのですヨ。
果たしてそれだけのことを自分に課すことが、私にとって幸せなのか?
いやいや、かなぁり不幸せ、イライラした毎日を過ごすことになりそうです。
きっと音楽的にもあっという間に行き詰まり、手詰まり状態になるでせう。


ライン


ラローチャは人前で演奏することは喜びだと言ったらしい。
私はというと、悲しいかな、それを喜びだと感じたことがまだない気がします。
これは大問題。
人前で弾かなきゃ・・・という思いの方が強い。
そういう意識を持っていないと、ピアノ講師としての質を維持できない気がするから。
常に前進し続けること、精進し続けることは、
指導者にとって必要不可欠だろうと思っているので。
とはいえ、人前での演奏を喜びに感じないというのは、
これはやっぱり大問題。

こんな自分の歴史を振り返って思うこと。
生徒さんが人前で演奏したら、
たくさん褒めてあげて、たくさん素敵な演奏だったよ!と伝えてあげて、
人前で弾く喜びを感じてもらうようにしていくということが、いかに大切かってコト。
ラローチャアルゲリッチの違いはそこ。
アルゲリッチは、かなぁり厳しい子供時代を過ごしたらしい。
過去のトラウマが、天才を苦しめているんですね。

将来ピアニストになるわけじゃぁなくても、
ピアノを弾く喜びっていうのは、やっぱり人に聴いてもらってナンボのもの。
聴いてくれる人がいるって、やっぱり嬉しい。
練習のし甲斐がある。
1人で淡々と練習をこなし、それを表現する場がないというのは寂しい。
ん〜、そういう意味では私は人前が嫌いではないのかも。
たくさん練習して、ある程度仕上がったら、
誰かに聴いてもらいたいと思う自分がいるから。flo-194

それにしてもピアニストってすごい。
あれだけのプログラムを
こなすことの大変さを思うと、
もうそれだけで、ははぁ〜〜とひれ伏してしまう。
もちろん、本当は音楽だけに
耳を澄ませるのがいいんだろうけれど。
ときどき、その裏側にある
彼らの努力を思い浮かべると、
ホント、ひれ伏してしまうのですヨ。



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