音楽/その他

2015年09月01日

朗読 アンデルセン作 ヒナギク

久々に趣味の朗読を楽しみました。
ここ数年はホームページにリンクせず、FBに投稿しています。
ミューズスタジオの更新は手つかず状態。
リンクすればよいだけなのですが、
FBがあまりに手軽なものだから、
ホームページの更新が面倒になってしまい・・・。(^_^;)

これまでの朗読録音はどれも作品の一部分でしたが、
今回は、アンデルセン作『ヒナギク』の全てを録音しました。
この作品は、アンデルセンの中でも特に好きな作品で、
以前、この物語に捧げる曲を作曲したことがありました。

朗読するならこの曲を使いたいと思い、
早速、多重音声で編集できる無料ソフトをダウンロード。
今はすごい時代ですね〜!
こんな機能の高いソフトを、
営利目的でなければ無料で使わせてもらえるのですから。

使用楽曲は、以前作曲録音したものです。

『陽だまり』
『忘れられた小さな歌』
『異国の風』
『ヒナギク』

ヒナギクだけはカットなしで使いました。
この作品を読んですぐに作曲した曲なので、
私の読後感がそのまま曲になっている感じ。

久々の朗読。
本当に楽しかった!
昨日は丸一日、遊園地で思う存分に遊んだような気分でした。(笑)
たまにはこうやって、伸び伸びと自由に遊ばないとですね♪


【朗読 アンデルセン作 ヒナギク(前篇)】

朗読/音楽/演奏 中嶋恵美子
写真 eflon


https://www.facebook.com/emikopiano/videos/464760233706962


【朗読 アンデルセン作 ヒナギク(後篇)】

朗読/音楽/演奏 中嶋恵美子
写真 eflon


https://www.facebook.com/emikopiano/videos/464889253694060


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2014年07月20日

あの頃聴いた曲

今でこそクラシックばかりを話題にしていますが、
この私がクラシックを聴くようになったのは、
大学を卒業してからだと言ったら、
ブログを読んでくださっている方々は、
驚かれるかもしれません。(笑)

ピアノ指導者なりたての頃、
「何も聴いてない!何も知らない!」ということに気づきました。
クラシックを聴き始めたきっかけは、
義務感だったのです。
自分を育むためにはもっと聴かなきゃと、
かなり焦った気持ちで聴き始めました。

小さい頃からピアノが大嫌いになるほど練習して、
そのくせ全然聴いていなかった私。
子どもの頃は、先生から与えられた課題だけをこなし、
自分が弾く曲すら聴いていませんでした。

さすがに大学時代は、
自分が弾く作曲家の曲くらいは聴くようにしていましたが、
それも楽しみではなく義務。
いい演奏だなぁ・・・とか、思うには思うんですよ。
でも、それ以上でもそれ以下でもなく、
夢中にはなりませんでした。
あくまでも練習中の曲の
参考程度でしかなかったのです。

先日ふと、昔聴いていたような曲を
好んで聴かなくなったなぁと思いました。
気付けば、聴いている曲はクラシックばかり。

ピアノが苦痛でしかなく、
「ピアノをやめる!」とボイコットした中学時代。
映画『スタンド・バイ・ミー』の影響で、
60年代アメリカンポップスのカセットBOXを購入し、
よく聴いていました。

中学時代聴いていた音楽は、
このほかに、オフコース、安全地帯、久保田利伸。
吹奏楽部でパーカッションをしていたので、
T-SQUAREやカシオペアのバンド譜を買ったり、
耳コピーをしたりして、
よくドラムを叩いていました。

高校時代はバンドを組み、ドラムを担当。
高校3年のとき、高校にいる意味が見出せず中退。
大検を受け、大学を受験するまでの数年間は、
インド料理店でバイトをしたのがきっかけで、
エスニックな雰囲気に惹かれました。
知り合いにタブラを叩かせてもらったり、
ワールド・ミュジックをよく聴くようになりました。
サンバ、ボサノバ、レゲエetc.
あの頃の私に合っていたのだろうと思います。

その後、今の主人の影響でジャズ。
主人が聴いていたのはビックバンドだったので、
それ一辺倒でしたが、
私にとっては新鮮な世界でした。
この時期、ミニマルミュージックの存在を教えてくれたのも主人。

大学に入ってからは、
友人の影響で、ドリカムにはまりました。
生まれて初めてカラオケを経験したのも大学時代。
それまではカラオケで歌える曲なんてなかったですし、
カラオケには全く興味を持っていませんでした。
友人が歌っているのを見て、
歌えたら楽しそうと思うようになり、
ドリカムを歌うようになりました。

「クラシック」の「ク」の字すら出てこない、私の音楽歴。
私にとってクラシックは弾くためのもので、
聴くための音楽ではなかったのかもしれません。

クラシックっていいなと思うきっかけになった曲は、
フォーレのレクイエムでした。
大学を卒業して仙台へ帰り、
某音楽教室でピアノを教え始めた頃のこと。
フォーレのノクターンを弾いたときに購入したCDでしたが、
久々に聴いたら、はまりました。

このCDはいつも車の中にあり、
ドライブをしながら聴いていました。
仙台は緑が多く、こういう曲が似合う。
この頃から1人でいるときは、
こういう静かな曲を聴くことが多くなりました。

結婚し、東京でピアノを教え始めた頃、
CDではなく、生の演奏を聴かなければと思うようになりました。
せめて月に1回はコンサートへ行こう。
義務として自分に課したコンサート通い。
最初は、どういうコンサートがよいのかわからなくて、
手当たりしだい行きましたが、
そのうち「感動できそう」という演奏会がわかるようになり、
選んで行くようになりました。

コンサートでの感動体験が、
義務から私を救ってくれました。
心が震えるという悦びを知ったからです。
また、ピアノ音楽だけでは勉強にならない、
もっといろんな音楽を聴かなければと、
ピアノ以外のコンサートに、
足を多く運んだのも功を奏しました。

その後、ピアノの歴史を勉強しているうちに、
古楽に出会いました。
バロックダンスを観る愉しさ、
古楽を聴く愉しさに芽生えました。
そこに「学び」という義務は一切ありませんでした。

古楽が趣味になったことで、
音楽史が義務から趣味に生まれ変わりました。
そこにはタイムトリップできる楽しさがありました。
どんな服を着ていたんだろう?
どんな食べ物を食べていたんだろう?
どんな乗り物に乗っていたんだろう?
どんな生活習慣があったんだろう?
どんな化粧をしていたんだろう?
生活の中にどんな音があり、
どんなにおいがあり、
どんな明かりがあったのだろう?

そんな興味から、
HPに「ピアノ史メモ年表」を作成することにしました。
文学、美術、科学の歴史がピアノ音楽史と一体となった、
一目でわかる年表が欲しくて。
ないなら自分で作るしかないと作り始めました。
結局自分が好きな時代に留まっており、
そこから先へ進めていないのですが。(笑)

あんなに遠かったクラシック音楽が、
今はこんなに近い。
一口にクラシックといっても、
好んで聴く曲にはかなりの偏りがありますが、
義務ではなく、好んで聴けるようになった自分が、
嬉しくもあります。

あんなに嫌いで、
苦しいだけだったピアノの練習も、
いつの間にか心地良いものになっているのだから、
人生わからないものですね。


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2013年12月02日

大阪弁ってテトラコルド?

大阪弁ってメロディックだなぁと、いつも思ふ。
英語のような強弱アクセントも感じる。
なので、標準語よりリズミカルとも思ふ。
とにもかくにも、音楽的ということ。

何故こんなにメロディックに感じるんだろう?
方言とはいえ、
高低アクセントで成り立っているという点は、
標準語と変わりないはず。
(多少強弱アクセントを感じたとしても)
でも、単純に標準語と高低の位置が違うだけ、
ということではないんじゃないかなぁと。

そんな風に大阪弁を聞いてみると、
音程の幅が標準語よりある気がしてきました。
基本、標準語の幅は2度あれば十分。
ところが、大阪弁は2度では収まりきらない。

最初は3度かな・・・と思ったんです。
でも、違う気もしてきて。
もしかしてレーソという4度の音程で、
しかも、ミがないんじゃない?と。

「レファソ」って、これテトラコルドじゃんっ。
(邦楽の小泉文夫氏によるテトラコルドで、
3音によって成り立つ方です。)

言語そのものが音階でできてるってこと?

私は言語の専門家ではないので、
あれこれ調べたわけではなく、
感覚的に考えているだけなのですが、
大阪弁アクセント体系のように、
大阪弁について書かれたサイトをあれこれ探してみても、
方言って基本2度で考えられているらしく、
どうも私にはしっくりこないんですよね。

たとえば、「そうやねん」という発音。
私には「ソーファレ」と聞えてきます。
「ソーファミ」でもなければ、
「ソーファファ」でもないんですよね。

たとえば、「わからへん」という発音。
私には「ファソファレ」と聞えてきます。
「ファソファミ」でもなければ、
「ファソファファ」でもないんですよね。

こういう視点から、
大阪弁を研究している人っていないのでせうか?
また、このような音階を持つ言語って、
他にもあるのかな。
あるなら聞いたことのない外国語でもいいから、
その響きを聞いてみたいなぁ、なんて思ったり。

テトラコルドは、わらべ歌や民謡などの音階ですが、
言語そのものが音階を持っているとしたら、
本当に面白いと思ふ。

大阪弁の数の数え方は、
もうそれだけで音楽的だもの。
一度大阪弁の数の数え方を、
楽譜に起こしたものを見てみたいなぁ。
誰か楽譜に起こしてくれないだろぉか?(笑)


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2013年09月25日

言葉にとらわれない

私は”言葉”が大好きです。
考えるという行為には言葉が伴うものですが、
考えるという行為も大好き。
こうして考えたことを整理するために、
文章を書くことも大好きです。

でもその反面、言葉では言い表せない、
”体感”も大切にしたいと思っています。
音楽上のことだけでなく、人生そのものにおいて。


「発達障碍って、どんな障碍ですか?」


この質問に言葉で答えるのは、本当に難しい。
どんなに長い文章を用いても、
この質問に答えることはできないと感じるからです。
そもそも、この障碍をいくつかのカテゴリーに分けるというのは、
無理があるのだろうとすら思います。

ひとくちに自閉症といっても、
自閉症スペクトラムという枠組みの中に、
さらにいくつかのカテゴリーがあり、
それぞれのカテゴリーの線引きがどこにあるのか?というのは、
私にはわからないんですよね。
医学的にはそれなりに線引きがあるのだろうと思いますが、
それでも絶対的なものではないのだろうとも感じます。

知的障碍で自閉傾向がある子と、
自閉症と診断されている子の線引きはどこにあるのか?
広汎性発達障碍の子との線引きはどこにあるのか?
多動の傾向がみられるという診断と、
多動症と診断されている子の線引きはどこにあるのか?

言葉というのは、ある枠組みを形成するものですが、
私たちはその枠組みに、
拠り所を求めやすいのではと感じます。
一体これは何なのか?
それを指し示すための”単語”という枠組みが欲しい。
その何者かに単語が与えられると、
それそのものについては理解していなかったとしても、
何らかの安心感を得る。

こんなことを考え始めた理由は、
平野啓一郎著『決壊』を読んだからです。
理解できない存在(この作品中では無差別殺人を犯す犯人)に、
「私たち一般の人間とは違う」という枠組みを与えないと、
不安でたまらなくなる。
だから、理解不能な無差別殺人という行為を犯す人に、
精神病という理由を与えたくなる。
何らかの枠組みを与えたくなる。

平野啓一郎氏は他の作品においても、
「言葉」について語ることがあります。
作品中の人物が「言葉」について語ることがあるんですよね。
言葉になったとたん、何かが失われてしまうといったような。

言葉というのは、
自分の認識を確認する作業において、
必要なものではあるけれど、
それと同時に”体感”という直接的な感覚を、
奪ってしまうものなのかもしれません。

小学1年生の子にレッスンをする。
「小学1年生」という枠組みに生徒さんを入れて、
生徒さんと接してしまう。
小学1年生なのだから、これくらいの理解力があるだろう。
小学1年生なのだから、これくらいの精神年齢だろう。
この枠組みがあるお陰で、
どうレッスンすべきか考えやすくなる。
そう思い込むというような。

でも、これってすごく漠然としたことで、
言葉で人と接し、
言葉で人を判断しているということなんですよね。
そこには直接触れ合った”体感”がないということ。
人対人という関係性が薄れてしまうように感じます。

生徒さんの年齢を知ること、
生徒さんの障碍名を知ることに、
どれだけの意義があるのか?と、いつも思います。
これらの枠組みが私のレッスンに影響を与えるということは、
ほとんど皆無に近いからです。

年齢や障碍名を知らなくても、
接していればその子の理解力、精神年齢、
身体能力、性格を把握することはできます。
逆に、枠組みに入れて生徒さんを見てしまったら、
見えないことが山ほど出てきてしまうでしょう。
”体感”を通した付き合いに、
反応が鈍くなってしまうからと思います。

会話においてもそうですよね。
相手の言わんとしていることを、
言葉尻だけを取り出していたのでは、
会話は成り立たないだろうと思います。
相手の使っている単語の意味を、
いちいち吟味しながら会話していたのでは、
話が進まないというか・・・。
いくらでも非難、批判する材料は見つかることでしょう。

私は発達障碍児と深くかかわり合ってきているので、
障碍に詳しいと思われがちなのですが、
実は、障碍についてはたいして詳しくありません。
医学に従事している人のような知識が、
発達障碍児のレッスンや日常の関係性において必要かというと、
必要ないことの方が多いからです。
人間関係を築き上げる上で、枠組みはいらないと感じています。

確かに自閉症スペクトラムのような障碍の場合、
多少の知識は必要と思いますが、
そこから関係性を発展させ育んでいくのは、
直接関わり合うという”体感”であって、
障碍名に対する”知識”ではないんですよね。

そのため、こんな風に文章を書くのが大好きな私には、
”単語”への拘りが不足しているところがあります。
私が拘りを感じるのは、単語そのものというより、
文章のリズムや響きであって、
その単語の意味をどう捉えるか?という点ではないんですよね。
哲学では「知覚」と「認識」という言葉を、
どういう意味合いで使うのか?といったところから議論し、
話を進めていくようですが、
私にはそこまでの拘りがないというか、拘れないというか。

とはいえ、単語というのは誤解を招く原因にもなってしまうので、
その点難しいなぁと思ったり。
今回、発達障碍とピアノについて対談するという機会をいただきました。
昨日そのCDが届いたので聴いてみたのですが、
単語に対する私の拘りのなさが、表出していることに気づきました。
拘りがないにしても、
かなり重要な間違いだったんですよね。

こうして文章を書くときは、
読み直し、訂正し、ある程度整理してからアップロードするのですが、
対談は時間の経過のまま表現されてしまいます。
ちょっとした間違いも、
話に夢中で気づかないまま語ってしまっていることがあるのだなぁと、
初めて気付かされました。

私の単語の間違いはとても重要で、
ちょっとした言葉尻の間違いとは言えないものだったので、
誤解を与えてしまいかねません。
早速、訂正を依頼させていただきました。
対談なのでCDそのものを訂正するわけにもいかず、
すでに郵送の準備が整っているということで、
他の方法で会員の方々に訂正を伝えていただくことになりました。
この一件で、対談の難しさを、ひしと感じました。

とはいえ、今回の間違いは、
私が障碍名や症状という単語に固執して、
発達障碍児と付き合っているわけではないということを、
改めて再認識する機会ともなりました。
障碍名や症状という単語は、
社会においては必要な単語だろうと思います。
行政支援を受けるためには必要なものでしょうし、
そういう障碍があることで、
社会で生きにくさを感じている人がいるのだということを、
多くの人が知る上でも必要な言葉と思います。
しかし、1対1の直接的な関わり合いにおいて、
枠組みは必要ないのだということ。

レッスンにおいて、
「どう表現したいのか?」
「技術をどう伝えるのか?」といったことを、
私は必死で言葉で表現しようと試みます。

レッスンに限らず、本を読み、
表現するための語彙を増やしていくことは、
「この楽曲をどう演奏したいのか?」
という漠然としたものを、具体的なものにするため、
私自身にとっては必要なことなんですよね。
言葉にすることで、認識が強まるので。

言葉と体感の間には、
相互関係があるように思います。
体感することで理解が深まることもあれば、
体感を言葉に置き換えることで、
無意識だった体感を意識できるようになることもあります。

レッスンにおいても、
自身の演奏においても、
人生においても、
直接的な”体感”を大事にしながら、
言葉と付き合っていく。
そのバランスなのかもしれません。


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2013年07月15日

解像度の高い耳

主人がいつも録画している番組に、
NHKの『SWITCHインタビュー』という番組があります。
異なる分野で活躍する2人が、
お互いの仕事場を訪れ、
お互いの仕事の極意について語り合うという番組なのですが、
いつの間にか私もその録画を楽しみに観るようになりました。

今日観た録画は、構成作家で脚本家の小山薫堂さんと
アートディレクターの佐藤可士和さんの対談。
小山薫堂さんは、『料理の鉄人』の脚本や『くまモン』の仕掛け人で、
佐藤可士和さんは、ユニクロやセブンイレブンのロゴや商品、
店舗のデザインなどを手がけている人です。

対談の最後の方で、可士和さんが日本人の繊細な感性を、
”解像度が高い”という言葉で表現していて、
なるほどなぁ!と思ったんですよ。
ピンとくる言葉だったというか。
そして、音楽に必要な耳の良さというのは、
”解像度の高い耳”なのだと思いました。

昨年、新しい解像度の高いテレビをリビングに、
それまで使用していた解像度の低いテレビを寝室に置き換えました。
買い換えたばかりの頃、
私にはこの2つのテレビの解像度の違いを、
感じとることができませんでした。

ところが、リビングのテレビ画面に慣れた頃、
久々に寝室のテレビ画面を見てビックリ!
こんなにぼやけた画面だっけ?!と、
リビングに置かれたテレビとの違いに愕然とさせられたのです。

解像度の高さを日常で経験したことのなかった私は、
新しいテレビに買い換えたとき、
解像度の違いを感じることができませんでした。
しかし、解像度の高いテレビを日々観ることで、
その違いを感じとることができるようになっていたのです。
耳にも同じことが言えると感じています。
解像度の高い音楽を聴き慣れていなければ、
解像度の高い音楽と低い音楽の違いを聴きとることは難しいでしょう。

ところで、テレビ画面の解像度について、
私は”何がどう高いのか”ということは分析できません。
ただ”違いを感じられる”といった程度のものです。
テレビを観るという楽しみにおいて、
解像度の高さを分析する必要性などないわけですから、
その違いを感じとることができるだけで十分なのですよね。

これも、音楽に置き換えることができるのではと思います。
演奏をしない聴くだけの人は、
音の解像度を分析する必要がありません。
音楽の深い表現力をより堪能できるための、
高い解像度を”感じとる耳”があればよいだけです。

しかし、演奏する側の耳となると、そうはいきません。
”何故解像度の高い音楽に聴こえるのか?”という
分析できるだけの耳が必要になってきます。
分析できなければ、そのような解像度の高い演奏表現を
体現することはできないからです。

2つの旋律が立体的に聴こえてくるのは何故?
ハーモニーが色合い豊かに聴こえてくるのは何故?
音色が変化して聴こえるのは何故?

様々な角度から”響き”の分析が必要になります。
その解像度が高ければ高いほど、
それを実現させるため練習には熱がこもるでしょうし、
演奏も解像度の高い立体的な演奏になることでしょう。

ピアノ指導者は何故ピアノを習うのか?
”解像度の高い耳”が、要因のひとつとしてある気がします。
ピアニストは解像度の高い耳と、それを分析する耳に優れています。
そして、それらを体現するための表現テクニックの引き出しも豊富なのです。

コンサートへでかけたとき、
私は第1部を”学びの耳”で聴くよう心がけています。
解像度の高い耳を駆使して、
演奏者の響きを分析するのです。
ここで得た分析は自分の練習に役立ちます。
この聴き方は、解像度の高い耳を育むのに良いと感じています。
(第2部は分析はやめにして、無心で音楽を味わうことにしています♪)


”解像度の高い耳”


解像の項目は無数にあります。
その項目数が多くなれば多くなるほど、
解像度は高くなっていくのでしょう。
まだ私が気づいていない項目も山ほどあるはず!

このお二人の対談。
最後に「気が合うのに全然違う!」と盛り上がっていました。
片方は整理術に長け、片方はもったいないを生かすタイプという、
間逆のアプローチを持っていたからです。
でも、本質が似ているから気が合うんですよね。

本質って、そういうものなのだろうなと感じます。
音楽における本質もそう。
クラシッであろうが、ジャズであろうが、ポピュラーであろうが、
聴くだけの人であろうが、演奏する人であろうが、
趣味でピアノを習う人であろうが、
演奏家を目指してピアノを習う人であろうが、
本質はきっと変わらない。
ただ、アプローチは人それぞれなんですよね。

この番組、こんな風に化学反応を起こす組み合わせに出会うことがあり、
そういうときは観ていてとても興奮します♪


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2013年01月24日

国際コンクールで聞いた出場者の将来の夢

ピアノ教育談義でお話させていただいているピアニスト、
ウララさんの幻の雑誌記事のご紹介です。
「レッスンの友」と「ストリング」に掲載される予定でしたが、
両誌を発行するレッスンの友社の突然の廃業により、
幻となってしまった第13回大阪国際音楽コンクールの記事。


国際コンクールで素晴らしい演奏を聴かせてくれた方々に、
ウララさんが「将来の夢」についてインタビューしています。
若い彼らの夢は?とても興味深い内容の記事です。
http://osakaimc.blog137.fc2.com/blog-entry-294.html


この記事に関する、ウララさんのブログ記事。
「選択肢があるっていいね」も是非ご一読ください♪
http://ameblo.jp/urarasasaki/entry-11454977809.html


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