知っておきたい!トレンド古典派音楽

2018年01月15日

知っておきたい!トレンド古典派音楽(5)

ナチュラルホルンを得意とするプロのホルン奏者で、フラウトトラヴェルソを愛奏する古典派音楽の愛好家にして音楽事務所メヌエット・デア・フリューゲル代表の塚田聡さんに、私の興味が赴くままにインタビュー♪

モーツァルト時代のプログラム・・・シンフォニー各楽章の合間にほかの曲を演奏?!

モーツァルトの書いたディヴェルティメント ニ長調 K.344は全部で6つの楽章を持っています。管弦楽編成のセレナード〈ポストホルン〉ニ長調 K.320は7つの楽章、セレナード〈ハフナー〉ニ長調 K.250にいたっては8つもの楽章から成っています。この2つのセレナードにはさらに入退場用の行進曲まで備えられているのです。
今日、これらの作品が演奏されるのは、主にコンサート会場で、お客さんは椅子に座ってステージ上で奏でられる音楽に耳を澄ませ、全ての楽章を第1楽章から通して聴きます。楽章の合間は拍手をしないで咳払いだけ、というのがエチケットとされていますよね。

ところが、モーツァルトの時代は、第1楽章から終楽章まで順番でセットで聴かなければならないものだ、という考えは希薄でした。ディヴェルティメントやセレナードに限らず、それはシンフォニーでも同じことが言えます。 コンサートのための会場で、オーケストラがステージ上に並ぶようなシチュエーションであっても、シンフォニーの第1楽章から第4楽章まで必ずしも通して演奏されていたわけではありませんでした。今日のオーケストラの演奏会のように、序曲から始まり協奏曲があって、締めくくりに交響曲。というようなスタイルのコンサートは古典派の時代にはなく、シンフォニー(交響曲)は、第1楽章が演奏会の幕開けに利用され(「序曲」的扱い)、次に歌手が登場してコンサートアリアを、ピアノの独奏があるかと思えば、ピアノ協奏曲があり、シンフォニーの中間楽章はどこかに忘れられて、演奏会の最後に締めくくりの音楽として第4楽章のみが演奏される、なんていう、今日で言うところの「ガラ・コンサート」的な催しがむしろ普通でした。


— 全楽章セットで聴かなければならないと思い込んでいました。現在では楽章間の拍手ですらマナー違反ですから。当時の作曲家は、分割して演奏されることもあり得るという前提で作曲していたのですね。とはいえ、ベートーヴェンの各楽章の関連性を見ると、ベートーヴェンはそれを快く思っていなかったのかなと思ったり。

ベートーヴェンが交響曲というジャンルを半ば神格化させてからは、まるで交響曲というものの扱いがそれまでとは異なっていったという経緯があります。彼以降交響曲は、作曲する方もおいそれとは書けなくなったし、聴く方もある程度の覚悟をもって臨まなければならなくなりました。
でも、古典派の時代の交響曲(ベートーヴェン以前)は、概してもっと気楽なものだったのです。ディヴェルティメントと同じような感覚で書かれたものも多くて、両者に厳然たる違いはありませんでした。街のマイスターが、みんなで合奏できるものを、というような感覚で特に構えることなく、いたるところで大量に作曲されていたのです。 そういった古典派時代のシンフォニーを「交響曲」と呼ぶと、どうしてもベートーヴェン以降の殿堂入りした作品たちを想像してしまうので、「シンフォニー」と呼んだ方が実像に近いかなと思っています。

1783年3月にウィーンのブルク劇場で皇帝ヨーゼフ2世同席の元催された、モーツァルトの自主公演のプログラムをここにご紹介しましょう。編成を括弧書きで冒頭に記します。全てモーツァルトの作品で、指揮とピアノもモーツァルトが担当しました。

[オーケストラ] 新ハフナー・シンフォニー
[歌とオーケストラ] オペラ〈イドメネオ〉より「今やあなたが私の父」
[ピアノとオーケストラ] ピアノ協奏曲 ハ長調
[歌とオーケストラ] シェーナ「哀れなわたしよ、ここはどこ・・・ああ、わたしではない」
[オーケストラ] セレナード ニ長調 より第3楽章
[ピアノとオーケストラ] ピアノ協奏曲 ニ長調、ロンド ニ長調
[歌とオーケストラ] オペラ〈ルーチョ・シッラ〉より「私はゆく、私は急ぐ」
[ピアノ独奏] 即興によるフーガ、パイジェッロのオペラの主題による変奏曲、グルックのオペラの主題による変奏曲
[歌とオーケストラ] 「我が憧れの希望よ・・・ああ、汝は知らずいかなる苦しみの」
[オーケストラ] 新ハフナー・シンフォニーの最終楽章

s-ブルク劇場
ブルク劇場

ショパンなどヴィルトゥオーゾによる協奏曲はライブさながら?!

— なんとも贅沢なプログラムですね!それにしても、ハフナー・シンフォニーがプログラム冒頭と末尾に分かれ、その間にほかのオーケストラ曲、セレナードが挟まれているというのは驚きです! ロマン派時代のプログラムを見たことがあるのですが、これに似たプログラムでオーケストラ、ピアノ独奏、ピアノ協奏曲、歌が混ざった、現代では不可能だろうと思うほど贅沢なプログラムだったのですが、ひとつのシンフォニーを細切れに演奏し、なおかつ、他のオーケストラ曲を間に挟むことがあったなんて知りませんでした。


シンフォニーというと、形式が整っていて冒頭の一音から聴き漏らすことなく姿勢を正して聴かなければならない、というようなイメージがあると思いますが、当時は必ずしも全楽章が通して演奏されていたわけではなく、TPOに応じて、そこに適した楽章が選択されて、なんていうことがしばしばあったことが資料から読み取れます。
19世紀に入ると、現在のオーケストラの定期演奏会のような、いわゆる「クラシック・コンサート」が催されるようになってゆきますが、18世紀的な、「ガラ・コンサート」も、ますます発展して各地で催されていて、そこではピアノやヴァイオリンや管楽器のヴィルトゥオーゾがもてはやされ、歌手が歌い、新旧のシンフォニーが細切れに演奏され、といったような、ごたまぜの演奏会が繰り広げられていました。
そういった演奏会では、拍手が楽章間に入るなどは当たり前で、それどころか、ピアノ協奏曲でソリスト(ヴィルトゥオーゾ)が華麗な技を披露した後には、オーケストラの演奏は無視され、やんやと拍手がなったのだそうです。

ショパンのピアノ協奏曲を思い浮かべてみてください。
第1楽章の長いオーケストラによる前奏。音楽が始まったところで、お客さんもまばらにまだ着席していない人がいます。おしゃべりも静まりません。さて、舞台上を見るとソリストも登場していないではありませんか。
ピアノ・ソロがそろそろ始まろうかというころに、白い手袋をはめたピアニストが登場。その手袋をやおら聴衆に投げつけピアノの前に着席すると、劇的なパッセージからヴィルトゥオーゾの演奏が始まります。ピアニストの登場の際にはやんやの拍手、口笛も飛び交ったかもしれませんよ。客席が静まるのは、ピアニストが弾き始めようと手を上げた瞬間になります。

聴衆が注視・注聴する中で奏でられるのは甘いメロディー。ショパンの場合、ちょうど演歌調のメロディー[都はるみの「北の宿から」に似ています(笑)]から始まるのは、これは偶然ではないかもしれません。その甘美なメロディーに聴衆はいきなりメロメロ。演歌歌手のバックバンドに誰も注意を払わないのと同じことが、ショパンのコンチェルトの伴奏オーケストラにも当てはまります。(ちなみにショパンのオーケストラの書法が未熟だという意見を度々聞きますが、当時の楽器で演奏してみれば、意味のない中傷だということが分かります。決して伴奏ゆえにオーケストラを軽視して作曲していたということではありません。)

さてその後、ヴィルトゥオーゾの弾くピアノは徐々に激してゆき、パッセージが細かくなり、彼の技術の見せ場になります。右に左に動く両腕、音楽が盛り上がりトリルで最高潮に達するとオーケストラがそれをフォルティッシモで受け継ぐわけですが、ここで会場はヴィルトゥオーゾに向かって大拍手です。おそらくピアニストはここで立ち上がりもしたでしょう。花束を舞台に投げる人もいたかもしれませんね。
こんなコンサート、今でも日夜催されていますよね。クラシック音楽ではありませんが。
さてしかし、こんな音楽の受容のあり方、芸術音楽の鑑賞態度としては許せない!とムキになった人がいました。

彼はメンデルスゾーンです。
興味をもたれた方はメンデルスゾーンのピアノ協奏曲第1番の第1楽章を聴いてみてください。ピアノ・ソロは曲頭からすぐに入るため、手袋を投げる時間はありません。ピアノはクライマックスに向かって盛り上がるのですが、拍手をしようかと手を上げた瞬間にふわーっとピアノパートはオーケストラと一緒に下がっていってしまい拍手をするタイミングを与えません。また各楽章間は休みなくつながるようになっていて、楽章間にも拍手をさせません。かの有名なヴァイオリン協奏曲の第1楽章と第2楽章の間をファゴットがつなぐのも、同じ考えに基づくものと考えていいでしょう。その後第2楽章と第3楽章間も休みなくつながるように作曲されています。
このメンデルスゾーンの活躍していた、おおよそ1830年ごろから、まさに今日のオーケストラの定期演奏会のような形態でのコンサートが催されるようになってきました。その発祥の地のひとつは、メンデルスゾーンが音楽監督を務めていたことがあるライプツィヒ・ゲヴァントハウスの演奏会場です。

あ、それからショパンもパリに出てからは、メンデルスゾーンと同じような感覚(聴衆の拍手は二の次)になっていきましたよね。コンチェルトのような派手な曲を書くのを止め、広い会場での公開演奏会を避けるようになっていったのは、みなさまご存知のとおりです。

s-図1:リストのピアノ・リサイタル。
リストのピアノ・リサイタル。Adolf Brennglas の Berlin, wie es ist (Berlin, 1842) の口絵

— まさにライブですね! 静かに聴きたいという気持ちもありますが、ライブ感覚で奏者とのやりとりを楽しむというのも魅力的です。芸術音楽を聴くというかしこまったものだけでなく、クラシックにもこのようなライヴ感覚のコンサートがあってもいいですよね。

今でも「クラシック・コンサート」の会場は社交の場を兼ねているのですよ。日本では外来のオーケストラのコンサートはチケット代がとても高く、元を取らないととばかりに、クリティカルに一音一音を聴き漏らさないよう、舞台上を睨むように音楽を聴く人が多いでしょう。けれど、ヨーロッパで演奏会場に赴くと、お客さんはくつろぎ楽しむために演奏会に来ているのだ、ということを見せつけられ、ハッとさせられるのです。
アムステルダム・コンセルトヘボウ・オーケストラの定期演奏会に一年間通い詰めたことがありますが、演奏会前は会場内のあらゆるところで知人同士での再会を祝したビズ(挨拶のキス)の嵐、休憩時間は全員がロビーに出ておしゃべりを楽しみます。演奏を聴くのはどちらかというと二の次という感じでした。また、オーケストラの団員いわく、「サントリーホールが世界で一番緊張する」とのこと。実際に本場のコンセルトヘボウ(オランダ語でコンサートホールの意味)で聴くよりも、サントリーホールでの演奏の方が数段引き締まった演奏を聴かせてくれます。

ソナタ形式の物語性を楽しんでみる

さてしかし、古典派の音楽は「均整美」を求める音楽でもあります。
古典派の時代に確立されたジャンルに、器楽作品の「ソナタ」と「シンフォニー」があります。
シンフォニーの初期のものはイタリアの序曲に端を発する急-緩-急と短くまとめられた3楽章制のものが聴かれましたが、序破急の呼吸で整えられた形式美を見せてくれるものが少なくありません。ソナタは、緩-急-緩-急のバロック時代の教会ソナタが古典派時代のソナタに受け継がれてゆく中で、各楽章間には調性や主題の関わり、また共通の動機をもつなど、密接な関わりをもった作品が生み出されてゆくようになります。
シンフォニーはその後ウィーンで踊りの楽章(メヌエット)が加えられ、4楽章制になってゆき、徐々に規模が大きくなり、4つの楽章からなるシンフォニーがいよいよ確立されてゆくことになります。

最初と最後の楽章は「ソナタ形式」をとることが多く、中間には、「二部形式(簡易なソナタ形式)」や「変奏曲形式」などの緩徐楽章と、踊りに端を発する3拍子の「メヌエット」が置かれるのが通常のスタイルとなってゆきました。

ソナタ形式は、物語を紡ぐのと同じように「起承転結」のような定型をもった形式です。深く掘り下げると尽きせぬ面白さがありますが、理解する上で決して難しいものではありません。
繰り返し提示されるテーマを男性のいかつい主人公、スノブな女性主人公、彼らを取り巻く脇役たち、のように勝手に置き換えてみるといいかもしれません。ソナタ形式はドラマです。平和だったところに不穏な空気が流れ込んでくると、とらえる人によってはそれを不吉な知らせと感じることもあるでしょう。また人によってはそれを嵐にもまれる舟に例える人もいるかもしれません。
感じることは各人の自由なファンタジーに委ねられています。私はその強要しない想像力が膨らんでゆくところが、ソナタ形式などでつくられた器楽作品のすてきなところだと思っています。

どんな曲でも、そんな物語を紡ぐことができるのですが、初めてそんな自分だけの物語をつくってみたい、なんていう人におすすめしたいのは、メンデルスゾーンの序曲〈フィンガルの洞窟〉です。
この作品のソナタ形式は型通りにつくられていて古典的で短くしまっていて、とてもよくできています。何度も繰り返される冒頭の動機は、ハーモニーによってさまざまに色どられてゆきます。つねに裏で奏でられるさざ波は、実際の海の波やうねりと置き換えてもいいし、心の揺れと感じてもいいでしょう。第2主題のうっとりとする歌謡的な旋律は、提示部では雄弁に歌いますが、再現部では2本のクラリネットにより黄昏的に奏でられます。聴く人は、この作品のタイトルの通りに自然描写をしてもいいし、ある主人公の心の中の葛藤を描いてみてもいいでしょう。最後に寂しくフルート1本で終わるこの曲に、自分だけの物語をつくってみてはいかがでしょう。この色彩豊かな音楽は、聴く者に湧き上がるさまざまなファンタジーを許容してくれるのです。

ソナタ形式を理解するために、まずはその物語性を楽しんでみる。登場人物が加わったり入れ替わったり、表情がころころと変わったり、とドラマを楽しむ感覚で鑑賞してみてはいかがでしょう。ソナタ形式の雛形はありますが、古典派の作曲家はおのおの、そこからの逸脱を楽しみながら曲作りをしています。慣れてくると、「お、ここでそう来るか!」なんて独り言を言いながら楽しめるようになってきます。そうなるとしめたもの。古典派の無限の楽しみが眼前に広がってくることでしょう。



塚田 聡(つかだ さとし)
東京芸術大学卒業後アムステルダムに留学、C.モーリー氏にナチュラルホルンを師事する他、古典フルートを18世紀オーケストラの首席フルーティスト、K.ヒュンテラー氏に師事するなど古典派音楽への造詣を深めた。2001年に再度渡欧、T.v.d.ツヴァルト氏にナチュラルホルンを師事する。音楽事務所メヌエット・デア・フリューゲルの代表。
・ディスコグラフィ・
ナチュラルホルン〜自然倍音の旋律美と素朴な力強さ
森の響き 〜ドイツ後期ロマン派・ブラームスの魅力〜
・ホームページ・
ラ・バンド・サンパ
古典派シンフォニー百花繚乱
シューベルト研究所
ナチュラルホルンアンサンブル東京

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2017年12月27日

知っておきたい!トレンド古典派音楽(4)

ナチュラルホルンを得意とするプロのホルン奏者で、フラウトトラヴェルソを愛奏する古典派音楽の愛好家にして音楽事務所メヌエット・デア・フリューゲル代表の塚田聡さんに、私の興味が赴くままにインタビュー♪

モーツァルトはメヌエットがお気に入り!

ディヴェルティメントって作品をよく見ていくと、踊りの要素が強いんですよ。カッサシオンやディヴェルティメントといったような機会音楽の場合、楽章数は通常4つより多くて、歌謡的な楽章、変奏曲などの合間合間にメヌエットが配されています。メヌエットは普通、「主部→トリオ→主部」という三部形式なのですが、ディヴェルティメントのメヌエットは、さらに第2のトリオが加わることもあり、トリオが終わる度にダ・カーポ(曲頭に戻る)しますから、メヌエット楽章の演奏時間は相応に長くなります。このメヌエットをただ座ってじっと聴いていた、というのはちょっと考えられないと思いませんか。

— なるほど!そう伺うと、合間合間にメヌエットがあることや、繰り返しの多さに納得がいきますね!

ここで、ニッセンがモーツァルトの妻コンスタンツェから取材して執筆した文を紹介しましょう。
「彼がビリヤードと同じぐらい熱狂的に愛していたのが、ダンスでした。誰でも参加できた舞踏館での仮装パーティーや、友人の私邸での舞踏会には、欠かさず足を運びました。彼はダンスが得意で、とくにメヌエットがお気に入りでした。踊るだけでなく、パントマイムやバレエのために作曲もしました。仮装パーティーでは、こっけいな仮装をすることが多く、驚くほど巧みにピエロやアルレッキーノに扮していました。」

ディヴェルティメントなどの演奏の際には、モーツァルトもヴァイオリンを弾きながら、バンドマスターよろしく演奏者にアインザッツ(合図)を出しながら、メヌエットのステップを踏んでいたに違いありません。さも「音楽は踊って楽しまなきゃ!」と言わんばかりに。

ディヴェルティメントの踊りはメヌエットだけではありませんよ。ガヴォット風コントルダンス(2拍子)のリズム、歌に溢れる楽章も体を揺らしつつ聴くような、リズムの内在されたノリのいい曲が多いのです。

モーツァルトは、実際に踊られるための舞曲もかなりの数を書いています。晩年に任命された「皇王室宮廷作曲家」という役職は、主に王室のために舞曲を書く仕事がその内容でした。彼は、そのような舞曲を必ずしも機会音楽と蔑みながら書いていたわけではありません。それどころか、モーツァルトも家族も友人もみな踊りを愛好し、謝肉祭期間には種々の夜会に出席し舞踏会を楽しんでいたのですから、踊りながら楽しく作曲していたのではないでしょうか。もちろん軽々と。


— モーツァルトが踊りに夢中になってはしゃいでいるのが目に浮かぶようです。モーツァルトはメヌエットがお気に入りだったのですね!当時のメヌエットは、バロックダンスのメヌエットと同じものなのでしょうか? 私はメヌエットというと、バロック時代に王様の目の前で貴族が緊張しながら踊る風景しか浮かばないのですが、このメヌエットが舞踏会という、もっと気楽なパーティで楽しまれるようになった、ということでしょうか。

メヌエットには貴族や王族の踊る静かで高貴な踊りというイメージがありますよね。このバロック時代のメヌエットのイメージは、18世紀後半のモーツァルトの時代にもあったようです。それゆえに、と言ってもいいでしょう。その後、フランス革命を経ると貴族・王侯文化が滅んでいくのに合わせるようにメヌエットも滅んでいってしまうのです。
またドン・ジョヴァンニの話をしてもいいですか?
今度は有名なシーンとして知られている第1幕の幕切れです。舞台上に配された小オーケストラが「メヌエット」を奏で始めると、踊るのは貴族階級の二人。2/4の「コントルダンス」を踊るのは不良?貴族のドン・ジョヴァンニ、そして最後3/8の速い「ドイツ舞曲」を踊るのが平民の召使と農民です。
そう、モーツァルトが没する頃の社会は貴族階級が傾き、市民がぐんぐん力をつけてきている時代ですよね。つまり「メヌエット」から「ドイツ舞曲」や「レントラー」などの、速い踊りがもてはやされるようになってきた時代だったのです。

— 面白いですね。そんな風にドン・ジョバンニを見たことがなかったので、とても興味深いです。貴族はメヌエットを踊り、平民はドイツ舞曲を踊る。そして、不良貴族はコントルダンス!当時の世相が反映されているのですね。その後廃れていくツンとお澄ましした貴族の踊りだったメヌエットも、モーツァルトが踊っていたパーティーでは、バロック時代のものとはテンポや雰囲気がずいぶん異なっていたのかも・・・。なにしろ、仮装しながら舞踏館や友人の私邸といった、にぎやかな場で踊られていたのですから。舞踏教師に教わって身につける高度なステップや物腰による貴族のたしなみとしてのメヌエットというより、日常で市民が楽しみながら貴族風にお澄ましして踊る、という感じがしますね。

メヌエットからワルツへ

ベートーヴェンのシンフォニーを見てみましょうか。踊りの楽章(第3楽章)は、第1番こそメヌエットと表記されていますが(とても速いけど)、その後はスケルツォという、速度の速い3拍子に替わられていることに気がつきます(第8番は例外)。
モーツァルトのシンフォニーでは最後まで第3楽章は「メヌエット」だったんですよ。モーツァルトの最後のシンフォニーとベートーヴェンの最初のシンフォニーの間にはフランス革命が川のように横たわっているのです。
19世紀に入ってしまいますが、ナポレオン後のヨーロッパをどのように収拾するかヨーロッパ中の王統系代表が1814年から翌年にかけて集まって開かれた「ウィーン会議」のことを揶揄して「会議は踊る、されど進まず」と言うじゃないですか。ここで踊られていたのは、すでにメヌエットではなく、よりスピード感のある「ワルツ」だったんです。ベートーヴェン(1770-1827)やシューベルト(1797-1828)も、意外とたくさん踊りの音楽を書いているんですよ。彼らもこの時代に、「ドイツ舞曲」をより洗練させエレガントなワルツに仕立て上げるのに一役買っていたのです。

ウィーン会議の時、シューベルトは17、8歳ですよね。踊りたいさかりのついたシューベルトの友人たちは、それでも舞踏会に行くほどの余裕はありませんでしたから、シューベルトのピアノに合わせて家庭で踊っていたのです。シューベルトのピアノのために書かれた舞曲のなんと多いことよ。即興で弾かれたワルツを入れたらいったいどれくらいの舞曲を彼は弾いたのでしょう。
シューベルトの仲間たちの集まりが「シューベルティアーデ」と名づけられ、毎晩のように集いが開催されていたことは周知の通りですが、そこでは詩が読まれ、シューベルトにより曲がつけられ、そして場が盛り上がったところで、最後にはお決まりのようにみんなで踊ったのでしょう。もっともシューベルトはモーツァルトと違って、自身が踊るのは得意ではなかったとのこと。彼はずっとピアノを弾いていたのでしょうね。
ヨーゼフ・ランナーが1801年生まれ、ヨハン・シュトラウス祇い1804年生まれ。ワルツはその後洗練され「ウィンナ・ワルツ」となってゆきます。


— モーツァルト時代のメヌエットがウィンナ・ワルツに繋がっていくなんて面白いですね!考えてみると場所も同じ。しかも、時代もそんなに隔たっていないんですね。バロック時代と古典派時代のダンスが全く別物に思えてきて、私にとってはものすごい発見!古典派時代の踊りは日常に息づいた、誰もが気軽に踊れるものだったんですね。

そう、踊りは我々人間の基本でしょう。歌よりも体を動かすことの方が先ですよね。踊るのになんの遠慮が要りましょう。
私は、現在における古典派音楽復権のキーワードのひとつは「踊り」だと思っています。演奏する時も、リズムを際立たせ、ノリよく演奏する。
これは現在一般的にイメージされている、音を立てず、じっと体を動かさずに聴く、といったようなクラシック音楽の受容スタイルとは大きく異なることです。演奏する方についても、現在のクラシック音楽の演奏家は、リズムを軽く強調し過ぎると軽薄になるといって嫌い、重めに表現するのが普通です。
しかし、特に古典派の音楽においては、躍動感やノリを表現することがなにより重要で、その愛想のよい明るい軽やかさが表現されることを第一に考える必要があります。強拍・弱拍のキャラクターを際立たせて、聴く者を踊らせる音楽が古典派音楽の魂といえるのです。


— 古典派音楽の躍動感やノリといったものは、古楽を聴くようになって味わえるようになった気がします。

そうですね。重く均一にヴィブラートをかけるような演奏では古典派のスピリットを表現するのは難しいのです。ピリオドの管楽器は楽器の重量自体がモダン楽器の半分以下です。句読点を置きながらおしゃべりをしながら演奏するように、隣同士の音が平等に平均化しないようになど、さまざまな表現方法で、古楽の演奏家は作品に躍動感を与えることに工夫を凝らしています。

モーツァルトの時代は、舞曲やディヴェルティメント、そしてオペラもそうですよ。それらは言ってみればポピュラー音楽で、上から下まで広い階級の人々の間で歌われ踊られ楽しまれていたもの。そしてかたや、本人にその意識は希薄だったと思うのですが、結果的に芸術音楽と今日みなされている作品も書いていた。モーツァルトにしてもハイドンにしても、特に両者の違いを意識することなく作曲していたのだと思いますが。
複数楽章からなるソナタやシンフォニーなどは後者にあたるでしょう。

確かにこうした器楽作品は、「ソナタ形式」や「複合三部形式」、「ロンド・ソナタ形式」など、建物を築く際の決まりごとのようなものをベースにつくられています。建物の建築法を知らなくても家に住めるのですが、その建物は素敵な芸術作品のようです。建造物自体をまずは鑑賞、そして家の中に入って各部屋を見て回るというような感じで、器楽作品にどのような形式が用いられていたかの概略と、形式の話を次回、分かりやすくお話しできたらと思います。


古典派時代の管楽器。上がバスーン、左からバセット・クラリネット、オーボエ、ホルン、クラリネット。

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塚田 聡(つかだ さとし)
東京芸術大学卒業後アムステルダムに留学、C.モーリー氏にナチュラルホルンを師事する他、古典フルートを18世紀オーケストラの首席フルーティスト、K.ヒュンテラー氏に師事するなど古典派音楽への造詣を深めた。2001年に再度渡欧、T.v.d.ツヴァルト氏にナチュラルホルンを師事する。音楽事務所メヌエット・デア・フリューゲルの代表。
・ディスコグラフィ・
ナチュラルホルン〜自然倍音の旋律美と素朴な力強さ
森の響き 〜ドイツ後期ロマン派・ブラームスの魅力〜
・ホームページ・
ラ・バンド・サンパ
古典派シンフォニー百花繚乱
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2017年12月09日

知っておきたい!トレンド古典派音楽(3)

ナチュラルホルンを得意とするプロのホルン奏者で、フラウトトラヴェルソを愛奏する古典派音楽の愛好家にして音楽事務所メヌエット・デア・フリューゲル代表の塚田聡さんに、私の興味が赴くままにインタビュー♪

ディナーの後は家族でアンサンブル?!

— ここからは食事のBGMや音楽会など、機会に応じた音楽についてお話を伺っていきたいと思うのですが、まずは食事の際のBGMからと思います。食事の際のBGMは、今の私たちがCDを聴きながらティータイムを楽しんだりするのと同じですね。貴族がお客様をお呼びするのではなく、家族だけでお食事するようなときのBGMはどのような曲だったのでしょうか。

インタビュー(1)で、オペラ「ドン・ジョヴァンニ」の最終幕に木管八重奏団が主人のリクエストに応えて、食事の際に流行りのオペラのアリアなどを次々に演奏しているシーンがあると紹介しましたが、貴族などの館でどのような機会にどのような音楽が奏でられていたか、というのは興味深いテーマですね。
前回テレマンのお話で終わりましたね。彼はバロック音楽の作曲家ですが、1767年まで生きていますからモーツァルトと11年もダブっているんです。彼は、ハンブルクという街の音楽監督でもありました。そういった意味では宮廷や教会にしばられていたバロック時代の音楽家とは一線を画すところがありますので、古典派時代から遡りますが、テレマンをめぐるお話からしましょう。

亡くなる年までハンブルクで楽長を務めていたテレマン。この裕福な市民に勢いがあったハンザ都市で、彼は市民向けに楽譜を編んで音楽を提供していました。ハンブルクは港湾貿易で賑わい、とても活気づいた、文化的にも先を行っていた街だったのです。
裕福な家庭では貴族でなくとも広間にはチェンバロがあったことでしょう。小さな編成ではチェンバロ一台から。それを囲むように旋律楽器が演奏できる人、バスパートを担当する人、というように、各々の可能な編成でアンサンブルが楽しまれていたのだと思います。テレマンの代表作である「食卓の音楽(Tafelmusik)」は、まさに小編成はフルートソナタから、大編成は管弦楽曲に至るまでの様々な編成により成っていますよね。まさに食卓(の間)の大きさによって、それはさまざまな楽器の取り合わせで音楽が楽しまれていたのではないでしょうか。

今でも若者は聴くだけでなく、ギターを弾いたり歌ったりして音楽を体で楽しんでいますが、当時も比較的演奏の楽なリコーダーやヴィオラ・ダ・ガンバ(この楽器にはフレットが付いています)といった楽器では、家族内で大中小の楽器が用意され、「コンソート」と呼ばれる重奏が楽しまれていました。コンソートはイギリスを中心に演奏されていたのですが、これなども、ディナーの後のお楽しみだったのでしょう。

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ヴィオラ・ダ・ガンバ(この楽器にはフレットが付いています)

古典派時代の音楽を読み解くキーワード《ディヴェルティメント》

— 現代のBGMに比べ、参加型でより音楽に積極的な感じがしますね。

ただ聴くだけの人もいたでしょうが、今日のクラシック音楽の形態のように、演奏するプロと聴衆、提供する側、受ける側とはっきり二分されたようなイメージはなかったのではないでしょうか。王でも貴族でも演奏に自ら参加して楽しんでいた例があるのですよ。
古典派の時代になると、ディヴェルティメント(Divertimento)というジャンルが登場します。このディヴェルティメントは、古典派時代の音楽を読み解くひとつのキーワードとなります。
ディヴェルティメントはイタリア語で、「愉しみ」とか「気晴らし」という意味。以前は「嬉遊曲」と訳されていました。歓談の席や社交的な場での機会音楽として作曲された例が多く、南ドイツやオーストリアで、このタイトルのついた曲をよく見ることができます。モーツァルトはディヴェルティメントという名を好んで、さまざまな編成の作品につけています。

18世紀後半のウィーン周辺には、食事の際のBGMは管楽合奏が受け持つという習慣があり、モーツァルトも、オーボエ2本、ホルン2本、ファゴット2本という六重奏を食卓で奏でられる音楽としてディヴェルティメントという名でいくつか作曲しています。さらにこの編成にクラリネット2本が加わると、「ハルモニー・ムジーク」というひとつのジャンルになるんです。モーツァルトは、この八重奏のために2曲のセレナード、K.375とK.388。そして、13管楽器奏者のための「グラン・パルティータ」と呼ばれる作品K.361を書いています。
管楽合奏によるセレナードは、野外での演奏を想起させるものでもあります。セレナードが「小夜曲」と訳されるように、夕暮れ時に邸宅のたもとで歌心たっぷりに演奏されるというイメージがありますね。文字通りのセレナードは、意中の女性の窓の下でマンドリン片手に歌う愛の歌を指していたものですから。
モーツァルトのセレナードも、実際に野外で演奏される機会が多かったと思います。宴で窓が放たれて楽師も外にでて演奏、というような、アイヒェンドルフなどの小説に出てくるような一コマが連想されます。
この管楽合奏「ハルモニー・ムジーク」は、モーツァルトがウィーンに住居を構えてすぐの1782年に、皇帝や貴族の元にプロフェッショナル演奏家8人によるハルモニーが結成され、このジャンルにお墨付きが与えられました。

今日のようにスピーカーからすぐに音楽が再生される時代と異なり、流行りのオペラの旋律を日常的に楽しむために、ハルモニー・ムジークの編成はうってつけだったのです。「後宮からの逃走」、「フィガロの結婚」など、ウィーンで流行したオペラはすぐに他人の手によりハルモニー・ムジーク編成用に編曲され、その楽譜の方が売れて儲かる、なんていう現象があったとかなかったとか。モーツァルトがプラハからの手紙で、「ここでは街中みんなが弾くのも吹くのも歌うのも口笛もフィガロばかり」と書いている通り、楽師の周りの人々は、一緒に口ずさみ、歌いながら、そして踊りながら聴いていたのだと思います。ハルモニー・ムジークの編成は、広間から庭園にまですぐに移動が可能なので、さぞかし重宝したのでしょう。


— オペラの曲を自宅用にというのは贅沢で、しかも楽しいですね! また、弦楽器のない編成というのは私にとってとても新鮮です。

弦楽器というのは今もそうですが、管楽器に比べると高尚なんです。それに演奏だってやっぱり管楽器ほどたやすくないでしょう。「管楽器=気楽」という図式は当時からあったと思いますよ。そうそう、ディヴェルティメントにおいてはホルンがポイントになるって知ってました?当時の無弁のホルンは基本的に自然倍音のみが吹奏可能で、ホルンが自然に奏でる自然倍音は長調のアルペジオのみ。基本的に短調には向かない楽器なんです。「弦楽合奏+ホルン」という編成によるディヴェルティメントは、自然さ、素朴さが演出され、牧歌的で平和な雰囲気が醸し出されます。そうした小編成のディヴェルティメントも、さまざまな場面で演奏されたのでしょう。
モーツァルトも「弦楽合奏+ホルン」という編成で、名作K.334のディヴェルティメントほか、いくつかの珠玉の愛すべき作品を残しています。

私の組織している「ラ・バンド・サンパ」の動画を紹介しますね。いい曲でしょう?
(W.A.モーツァルト:ディヴェルティメント ニ長調 K.205より第1楽章)



ところで、ディヴェルティメントのひとつの条件に「立奏」があります。バスパートはチェロではなく、ファゴットが受け持ち、コントラバスとともに立って演奏されるのがスタイルでした。この動画の通りです。ハルモニー・ムジークも立って演奏されました。リクエストのある部屋とか野外にもすぐ移動して演奏できちゃうんですね。


— ディヴェルティメントというのは、立って演奏されるものなのですね?

画像は当時のハルモニー・ムジーク演奏の図です。いわゆる楽団つきのディナーって、テーブルにかしこまって座って、というタイプの食卓ではなくて、立食パーティーで、歌ったり踊ったりしながら、集まる人々も出会いや楽しみを求めて、という感じだったのではと想像します。なので演奏者も立奏になります。

s-ディヴェルティメント立って演奏

もちろん時と場合で、厳粛な場面もあったでしょう。モーツァルトも、結婚式や大学の卒業式のための公式のセレナード(フィナールムジークとも呼びます)を作曲しています。しかし作品を聴くと、式典と言っても華やかな歓談や踊りがつきものだったと想像できますよね。
いずれにせよ、現在の、演奏をただかしこまって聴くだけというクラシック音楽の受容とは異なる当時の状況が浮かび上がってきます。今のライブ会場だったりクラブなんかと近いかも。受け手も能動的なんですよね。音楽は自分たちみんなが楽しむためのものなのです。
ディヴェルティメントって作品をよく見ていくと、とても踊りの要素が強いんですよ。次回は、そんなモーツァルトの音楽が、ウィーン中を踊りの熱狂に巻き込んでゆく先鞭も打っていたという話をしましょう。



塚田 聡(つかだ さとし)
東京芸術大学卒業後アムステルダムに留学、C.モーリー氏にナチュラルホルンを師事する他、古典フルートを18世紀オーケストラの首席フルーティスト、K.ヒュンテラー氏に師事するなど古典派音楽への造詣を深めた。2001年に再度渡欧、T.v.d.ツヴァルト氏にナチュラルホルンを師事する。音楽事務所メヌエット・デア・フリューゲルの代表。
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ナチュラルホルン〜自然倍音の旋律美と素朴な力強さ
森の響き 〜ドイツ後期ロマン派・ブラームスの魅力〜
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2017年11月19日

知っておきたい!トレンド古典派音楽(2)

ナチュラルホルンを得意とするプロのホルン奏者で、フラウトトラヴェルソを愛奏する古典派音楽の愛好家にして音楽事務所メヌエット・デア・フリューゲル代表の塚田聡さんに、私の興味が赴くままにインタビュー♪

トランペットは特別な楽器。楽器によって報酬が違う?!

— 食事の際のBGMについてお伺いする前に、当時の音楽家についてお教えいただけますか? というのも、バッハ一族やクープラン一族というように、私の中では音楽家というのは家業のようなものというイメージがあったんです。
ところが、前回のお話しだと音楽に専念するのは楽長だけで、それ以外の音楽家は庭師だったり会計係だったり。《古典派シンフォニー百花繚乱》に取り上げられているコジェルフも、靴職人の家に生まれていますよね。

日本もそうですが、封建社会の名残がまだ残っていた時代、なかなか自分から職業を選択することはできませんでした。作曲家も楽器製作者も一族の中で継承されてゆくことが多かったのは確かです。作曲の才能は遺伝的要素もかなりものを言いますから、理にかなっているわけですが。 楽器製作者でも、その一族の系譜に入るための熾烈な戦いがあったのですよ。
どんな年増だろうと、子供が何人もいる寡婦だろうと、とにかく親方の娘と結婚しなくちゃ、ということで、18世紀フランス最大のフルート製作家のトマ・ロットは、義理の叔父にあたるデレラブレが亡くなった7ヶ月後にその婦人と結婚。トマの弟マルタンは、義理の姉の元夫との間にできた娘と結婚。なんていう例があります。優秀な徒弟と娘を結婚させて家系をつないでゆくのは親方にとっても重大な関心事でした。

演奏家の実情はというと、オーケストラのトッティ奏者などは、半分アマチュアのような兼業音楽家が担う場合が現実的には多かったのですが、トランペットのような片手間では扱えない楽器の場合は、専業の奏者が担当しました。当時のトランペットは無弁で大変高度なテクニックが求められたのです。トランペット奏者はギルドのようなマイスター制度をつくり、親方から弟子へと秘伝の技術を伝えていました。彼らは町楽師として市参事会などに高額の給料で雇われ、教会音楽を司り、教会の塔から時を告げる役を任されていました。


s-トランペットアップ

古典派時代のトランペット 斎藤秀範氏所蔵


— 楽器によっても異なったのですね!宗教音楽の場合、トランペットは神というか、天を表現する特別な楽器という印象がありますが、待遇も違っていたのですね。楽器によって待遇が違ったというのはとても興味深いです。トランペット以外にマイスター制度があった楽器はありますか?

古典派の時代より遡りますが、トランペット奏者は強力な同職組合をつくり、特権を絶対的なものとし、他の楽器奏者と差異化してトランペット使用の独占権を保持したということです。また、16世紀から中央ヨーロッパで郵便事業を牛耳っていたトゥルン・ウント・タクシス家はポストホルン使用の独占権を皇帝から得て、そのポストホルンを吹き鳴らすことにより夜でも市門を開かせ通行税なしで通る特権を得るなどしました。
18世紀になると、シュタットプファイファー(街の吹奏手)、遍歴の楽師など、様々な身分の楽師たちが次第にまとまりを見せ、オーケストラなど大きな編成が組まれるようになり、それがそういう身分制度を次第に分解されていくきっかけになったのだと思います。

18世紀の末になってパリにコンセルヴァトワールがつくられるまで、正式な音楽大学はなかったのですが、各地にあった聖歌隊、ヴェネツィアでヴィヴァルディが司祭をしていた女子孤児院などの施設と並び、教会にはカントル(キリスト教音楽の指導者)がいましたので、音楽的な才能を顕すこどもが、教育を受ける機会は意外とあったのではないでしょうか。

ところで話はちょっと変わりますが、ポップス系の人たちって、楽譜をまじめに読んでギター弾いてる人なんていなくて、コードを鳴らしながら自然にちょっとした作曲をしていますよね。
古典派の時代は、今から見ればクラシック音楽とひとくくりにされてしまっていますが、その時代に生きていた彼らからすれば、音楽は生きたポピュラー音楽だったわけです。楽譜も読めず、でも即興で歌が作れて、よく分からないんだけどギターやヴァイオリンや鍵盤楽器がそれなりに弾けて、その中の秀でた人、恵まれた境遇にあった人が、作曲家の先生の元を訪れ修行を積み、五線譜が書けるようになり、そこからシンフォニーやオペラに筆を染められるようになる人が出てくる、といったような例も普通に見られたのではないでしょうか。

バロック時代の楽譜はまるでジャズ!古典派時代も即興は当たり前?!

— なるほど。バッハ一族やクープラン一族、モーツァルトの英才教育などで、音楽教育は当時特別な環境にある人だけが学べたという凝り固まったイメージがあったのですが、教会や孤児院など音楽を学ぶ機会はいろいろとあったのですね。
確かに、今の私たちにしてみれば古典派音楽ですが、当時の人々にとってはポピュラー音楽だったわけで、楽譜は読めないけれど「楽器が演奏できて即興もできる」という人がいたのは、自然なことのようにも思います。ところで、この「即興ができた」というのはキーワードのような気がしますね。


基本的に演奏する人は簡単な即興的な演奏はできたでしょうし、それができることが音楽家として最低限に求められてもいました。当時の音楽教本に「勝手な即興で作品を必要以上に華美にしないように」なんていう注意が随分書かれています。そんなことから類推するに、楽譜を読んでそれを忠実に音にしてゆく現在のクラシックの演奏家像よりも、創意工夫で新たな作品を生み出してゆくジャズメンやポップス系のひとたちの方がどちらかというと当時の音楽家に近かったのではないかと想像するのです。

私たちが中学生や高校生だった時、クラスにギターをもちこみ、流行りの歌や、また即興で怪しい歌を歌っていた友達はいませんでしたか?ウクレレを持っていくと、ちょっと貸してみろと、その場で即座にコードを並べて弾きまくる彼らを見て、「楽譜がないと何もできない自分と比べ、彼らの方が音楽家としてはずっと上だな」と羨望の眼差しを送ったものです。


— 即興についてはアマチュアだけでなく、モーツァルトも即興の名手でしたね。当時の演奏は即興ありきで、作曲家もそれを前提に作曲していたと考えてよいのでしょうか?

s-塚田さん楽譜

譜例はバロック時代のイタリアの作曲家F.ジェミニアーニ(1687-1762)が作曲したフルートソナタの緩徐楽章、冒頭の6小節間です。バスに数字が振ってあります。バロック時代を別名「数字付き低音の時代」、もしくは「通奏低音の時代」と言うのはご存知のところ。通奏低音を担う楽器は、書かれてあるバスの音符を弾くチェロやヴィオラ・ダ・ガンバと、その音に和声を補いつつ音楽に推進力を与えたり、カラーを添えるリュートやチェンバロなどの楽器がペアになって演奏します。旋律楽器(フルートやヴァイオリンなど)は、上段に書かれている音符を演奏するのですが、この旋律線は、作曲家による提案=ガイドラインでしかありません。時にはこの書かれてある譜面から大きく外れても、演奏者自身が即興で演奏することが当然というのが作曲家にとっても自明のことでした。

バロック音楽のこの演奏形態は、コードネームと旋律が書かれただけの譜面を頼りに即興を繰り広げるジャズと基本的に変わるものではありません。楽器編成も、ジャズにおけるベースは、バロックではコントラバス、チェロ、ヴィオラ・ダ・ガンバとなり、ピアノはチェンバロ、リュートと対に、サックスフォーンやトランペットなどの旋律楽器は、ヴァイオリンやフルート、オーボエと対になります。ドラムスは?バロック音楽にもドラムスはいます。チェンバロやリュートが時に激しくリズムを刻み音楽を推進してゆく様はドラムスの役割との共通点を見ることができますよね。

特にイタリアスタイルのバロック音楽において、作曲家は演奏家の手があって初めて作品となるということを承知の上で作品を書いていました。クラシック音楽は音符を忠実に再現することが求められる芸術だと思われがちですが、バロック音楽はそういった価値観からは離れるジャンルなのです。

バロック時代に続く古典派の時代。ハイドンにもモーツァルトにもバスに数字を書いている例がいくつもあります。モーツァルト自身が弾き振りをしたピアノ協奏曲では、オーケストラだけの前奏や間奏の部分にもピアノが入り、通奏低音を奏でつつオーケストラを導く役が演じられました。 ハイドンやモーツァルトのソナタでは、特に繰り返し時に即興を入れて楽しむ習慣がありました。初回と同じものを演奏しても意味がありませんから、繰り返し時には、変奏というほど装飾を入れる例があったのです。モーツァルトのお父さんのレオポルトが、ヴァイオリン教本で、「原曲が不明になるほどの即興は慎むべし」という内容の不満を述べているところをみても、当時いかに即興がなされていたのかが分かります。


— 古典派時代においても、ベートーヴェンの出現までは即興が当然のことだったということですね。モーツァルトの場合は父親であるレオポルトがいうように、原曲が不明になるほどの即興はしない方がモーツァルトの意に叶っているのでしょうけれど、まったく即興しないというのも、これはこれでモーツァルトの意に叶っているとは言えないのかな、なんて思ったり。私は即興にライブ感や生命力を感じます。

それにしても、当時は兼業音楽家というアマチュアと、作曲や演奏だけで食べていけるプロがとても近い関係にあったのですね。アマチュアといえども兼業音楽家として活躍できたわけですし、アマチュアとプロの境目があまりないというか。


中嶋さんがおっしゃるように、J.S.バッハやW.A.モーツァルトのような同族間、家族間での音楽教育にかなうものはなかったことは史実が証明しているところで、音楽教育は密接な徒弟制度がものを言うものであることは間違いのないところですね。
18世紀後半の古典派の時代、大規模なオーケストラを組織する時は、軍楽隊の楽師であるオーボイステン(笛吹きたち)や、先述の町楽師などが臨時に雇われて、アマチュアに混じって館に集まり演奏する、なんていうのが一般的だったのではないでしょうか。
普段の食事のBGMは兼業音楽家の演奏で、晴れの場では専業音楽家にも集まってもらって演奏会を催す、なんていう形の貴族が多かったと思います。このアマチュアの席は、のちに文字通り、ディレッタント(音楽愛好家市民)に門戸が開かれてゆくようになります。

18世紀も後半になると、啓蒙思想の恩恵で各地に学校、もしくは教育施設がつくられるようになり、ボヘミアではイエズス会の学校が熱心に音楽教育をしたおかげで、全く音楽と関係のない家柄の子供が才能を著し音楽家に育っていくという例がたくさん見られました。コジェルフなどまさにこの教育システムがなかったら靴職人になり人生を終えていたかもしれませんね。



s-テレマン即興楽譜
この楽譜はG.Ph.テレマンの作曲した「メトーディッシェ・ゾナーテンMethodische Sonaten」の初版譜の一葉です。一般にバロック時代の作曲家がソナタを作曲するにあたって書いたのは1段目(旋律)と3段目(通奏低音)のみになりますが、この「メソードのソナタ集」では、その譜面をどのように即興で装飾して演奏するのかの一例を2段目でテレマン先生自身がお示しになられています。
ハンブルク市民に仕える「音楽の師匠」と自らを位置づけていたテレマンは、このようなメソードをいろいろ工夫しながら示してくれました。アマチュア(愛好家)がいかに音楽を楽しむか。 彼のリコーダーやフルートのソナタを演奏すると、技巧的に書かれているのですが、がんばって努力すると吹けるようにうまく書かれているのです。演奏して楽しい、聴いても「おー」と思う。「そんなの吹けてすごいね!」と褒められる、でもプロしか吹けないような超難曲ではない。誠にうまい塩梅で書いてあり、これは涙が出るほどです。(塚田)



今回は予定変更で、前回話題になった当時の演奏家についてのお話しをさらに深くお伺いすることになりました。次回は、予定していた食事の際のBGMなど、機会に応じた音楽についてインタビューしていきます。


塚田 聡(つかだ さとし)
東京芸術大学卒業後アムステルダムに留学、C.モーリー氏にナチュラルホルンを師事する他、古典フルートを18世紀オーケストラの首席フルーティスト、K.ヒュンテラー氏に師事するなど古典派音楽への造詣を深めた。2001年に再度渡欧、T.v.d.ツヴァルト氏にナチュラルホルンを師事する。音楽事務所メヌエット・デア・フリューゲルの代表。
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ナチュラルホルン〜自然倍音の旋律美と素朴な力強さ
森の響き 〜ドイツ後期ロマン派・ブラームスの魅力〜
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古典派シンフォニー百花繚乱
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2017年11月08日

知っておきたい!トレンド古典派音楽(1)

新企画スタート! ナチュラルホルンを得意とするプロのホルン奏者で、フラウトトラヴェルソを愛奏する古典派音楽の愛好家にして音楽事務所メヌエット・デア・フリューゲル代表の塚田聡さんに、私の興味が赴くままにインタビュー♪ 


古典派時代 流行作曲家は100人以上?!

— 塚田さんのサイト《古典派シンフォニー百花繚乱》では、18世紀初頭から1823年(ベートーヴェンが第9番「合唱付き」を作曲した前年)までに活躍した作曲家が取り上げられていますが、現時点(2017年11月6日)で32名! 今は知られていない、当時流行した作曲家がこんなにいるということにとても驚かされました。

このサイトで紹介したい作曲家を思いつくままにリストアップしていますが、古典派時代にシンフォニーを作曲していた作曲家がもう100人を超えています。この中から誰をセレクトして紹介しようかと迷うぐらいたくさんいますね。 しかも、今の時代すごいのが、それらの作曲家たち、辞典の中に鎮座しているだけではなく実際に彼らのシンフォニーがCD等で聴けるのです!

— このサイトはそれを聴けるのが魅力ですね。

私はこのサイトで紹介する条件に「実際に音が聴ける作曲家(録音のある)」と掲げています。今まで紹介してきた32人のページには各々YouTubeにリンクがはってあって、実際にシンフォニーが聴けるようになっています。アンテナを張り巡らせば、今すぐにでも聴ける古典派シンフォニーなのです。 しかも大概のそれら演奏は刺激的でおもしろいもの。未知の作曲家たちのシンフォニーがヴェールの向こうから立ち現れてくる瞬間はとても興奮しますね。 古典派の作曲家というと、大抵の人は指折り数えても、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、ボッケリーニ・・・と両手にもいかずに終わってしまうと思うのですが、本当にたくさんの作曲家がいたのです。

古典派シンフォニー百花繚乱サイトトップページ


お抱え音楽家は大忙し。料理などの雑務をこなしていた音楽家もいた?!

— これらの演奏がとても刺激的でおもしろいのは、そういう楽曲が求められたということでしょうか。宗教音楽を除いて、当時の作曲家にはどのような活躍の場があったのでしょう?

古典派シンフォニーがどこで書かれていたかを知るのは、当時の歴史の流れや勢力図を見るようでなかなかおもしろいんですよ。多くの音楽家を雇える皇帝や選帝侯、大司教の治める街には大概それなりの大きなオーケストラが組織されていたんですが、フランス革命前夜より、王族は縮小への道を余儀なくされていきます。モーツァルトが就職活動に窮した話は有名ですけど、実は1780年代、音楽家を雇い入れる余裕のあるかつての大宮廷は驚くほど急激に減少していきました。
神聖ローマ帝国内の現在のドイツは昔、さまざまな領邦国家から成り立っていたことはご存知だと思います。ごく小さな国でも、音楽好きの領主は音楽家を集めて音楽会を催していました。大抵はオーケストラまでは組織できませんでしたが、力のある貴族は、かなりの音楽家を召しかかえていました。代表的な例は、ヨーゼフ・ハイドンを雇い入れたエステルハージの宮殿でしょう。他にもレーゲンスブルクのトゥルン・ウント・タクシス公やエッティンゲン=ヴァラーシュタインの宮廷など、小さな街でも個性的なオーケストラが組織された例がいくつもありました。


— 小さな街の個性的なオーケストラ! こちらもとても興味があるので、いずれもっと深くお伺いしたいのですが、まずはシンフォニーが貴族の宮廷でどういった機会に演奏されたのかについてお話しいただけますか?

そうですね。モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」はご存知ですか? 終幕、ドン・ジョヴァンニが石像になった騎士長を夕食に招くシーンで、舞台上に管楽合奏団(オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンが2本ずつ)が並んで、ドン・ジョヴァンニの求めに応じて、流行りの曲(歌)を次から次へと演奏してゆきますよね。ドン・ジョヴァンニはスペインの貴族ですから、やはり8人ぐらいの音楽家を雇っていたのでしょう。
ちなみに彼らは演奏だけをしていたわけではありません。主人がテーブルにつく前は、テーブルに並ぶ料理をつくっていたでしょうし、食事を用意する合間には庭師、会計係、などなど昼間はそのような雑務をこなしていたのだと思います。大きな街の音楽家だったら、劇場や宮廷をハシゴしていろんなところで演奏していたんではないでしょうか。
金銭的に余裕のある貴族は、そこに楽長、つまり音楽に専念する人を一人雇って、オリジナル曲を作曲させたのです。ハイドンはエステルハージで、楽器の管理から音楽に関する細かな仕事を一手に任されていました。朝から大忙しです。
演奏する場所は、それこそ宮廷の事情によりさまざまだったのではないでしょうか。食事の際のBGM、広間での演奏。そう、劇場までもっている貴族はそうそういませんから、オペラは王族が管理、シンフォニーに代表される器楽作品は、こういった地方の貴族の元でつくられることが多かった、とひとつ言えそうです。これらは一例ですが。


次回は、食事の際のBGMや貴族が催す音楽会で演奏された作品、その楽器編成などについて伺っていきます♪


塚田 聡(つかだ さとし)
東京芸術大学卒業後アムステルダムに留学、C.モーリー氏にナチュラルホルンを師事する他、古典フルートを18世紀オーケストラの首席フルーティスト、K.ヒュンテラー氏に師事するなど古典派音楽への造詣を深めた。2001年に再度渡欧、T.v.d.ツヴァルト氏にナチュラルホルンを師事する。音楽事務所メヌエット・デア・フリューゲルの代表。
・ディスコグラフィ・
ナチュラルホルン〜自然倍音の旋律美と素朴な力強さ
森の響き 〜ドイツ後期ロマン派・ブラームスの魅力〜
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古典派シンフォニー百花繚乱
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