◆ピアノ教育談義

2012年12月14日

◆ピアノ教育談義「ピアノ教育における環境について」

この「ピアノ教育談義」は、
ピアニストのウララ・ササキさんと私の、
ブログを通じた手紙のやりとりです。

ウララさんのブログはこちら


 

ピアノ教育における環境について
2012.12.13

こうしてピアニストと
ピアノ教育について語り合える機会をいただき、胸が躍っています。
しかも、ウララさんは幼少期をイタリアで過ごし、
12歳でデビューなさっています。

せっかくいただいた機会です。
私が知りたい!聞きたい!と思うことを、
どんどんお伺いしていこうと、
かなり前のめりにキーボードを打っています。

私はピアノ指導者になりたての頃、
毎月のように「弾きっこ大会」という会を開いていました。
近所の空間を借りて、みんなで弾きあうというお菓子付の会です。
この会を開こうと思った理由は ”環境”にありました。

ピアノは一人で黙々と練習する必要のある楽器です。
音楽を通じて、ピアノを通じて人とかかわるのは発表会だけ、
というのではやる気が継続しないだろうと思ったのです。

特に日本の家庭は、クラシック音楽を聴く環境にないご家庭が多く、
家族で連弾をする、アンサンブルをする、
友だちとピアノで遊ぶ、などといった環境が整っていません。
まずは音楽が、ピアノがもっと身近になるようにと願い、
開くようになった会でした。

ウララさんは幼少期をイタリアで過ごされていますが、
イタリアの子どもたちが置かれている音楽環境は、どんなものでしたか?

また、幼少期のウララさんご自身が置かれていた、
音楽環境にも興味があります。
12歳でデビューなさったということですから、
小さな頃からかなり練習を積まれていたのではと思います。
その頑張れた源は、どこにあったのでしょうか?


ウララさんのこの記事への返信はこちらです。


クリックで応援してネ♪
にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ 


emksan at 16:21|PermalinkTrackBack(0)

2012年12月17日

◆ピアノ教育談義「聴くということ、奏でるということ」

この「ピアノ教育談義」は、
ピアニストのウララさんと私の、
ブログを通じた手紙のやりとりです。

ウララさんのブログはこちら
これまでの内容は、ブログカテゴリ◆ピアノ教育談義をご覧ください。





聴くということ、奏でるということ
2012.12.15 (この記事に対する返信です)


貴重なイタリアでの子ども時代のお話を、
本当にどうもありがとうございました。
女の子の10歳は心が揺れ動く繊細な年齢と思います。
その年齢で知らない土地へ赴き、
知らない国の人々の痛い視線を浴び、
アイデンティティーを守る必要があったというのは、
どんなに辛く苦しい道のりだったことでしょう。

ウララさんとのやりとりの中で私がよく感じるのは、
ウララさんの生徒さんへの愛情の深さです。
それは自分の弱さを知り、もがき苦しみ、
それを乗り越えた人だからこその優しさだったのですね。

ところで、イタリアの音楽環境について、
非常に興味深く読ませていただきました。
魚屋のおじさんや街で出会った知らない人が、
気軽にクラシック音楽を話題にするというのは、
日本ではあり得ないことですね。

以前、街中で自分の好きな曲を歌う、
という内容のイタリアの番組を目にしたことがあります。
カラオケから流れてきた曲はオペラ!
イタリアの方々にとってオペラはポピュラー音楽なのですね。
ああ、日本とは音楽の土壌が違うのだなぁと、
この番組を目にしたときひしと感じました。

しかし、このように音楽環境が整っていたにもかかわらず、
ウララさんの周りではピアノに触らせてもらう前に、
ピアノ嫌いになる子が多かったのですね。(少なくとも30年前は)
そのためピアノを習う子どもは、
家庭内に楽器を奏でる人がいる、
もしくは、家庭内にすでに楽器がある人にとどまっていたと。
”聴く楽しみ”と”奏でる楽しみ”の間には、
大きな隔たりがあるということなのかもしれません。

ピアノ演奏を学ぶ上で、
”聴く”という環境は必要不可欠な土壌と思います。
”聴く”という体感を経験していないということは、
呼吸やフレージング、拍子感など、
音で表現するための引き出しがないということ。
これはジャンルを問いませんよね。
ジャズを聴いたことのない人が、
ジャズピアノを演奏表現することはできないですから。

30年前のイタリアは、
音楽する上で基本となる”聴く”という土壌は充分整っていたはずなのに、
奏でる技術を身につけるためのアプローチが下手だった。
一方、日本ではその土壌が整わないまま、
奏でる技術を身につけるためのアプローチが先行している。
こんな風に見ることができるのかもしれません。

”聴く”という土壌も大切。
”奏でる”という技術を育むことも大切。

私のピアノ教室には、
親御さんが楽器を奏でるという人は少なく、
クラシック音楽を愛好する人もほとんどいません。
要するに、私の生徒さんたちは音楽の基本となる、
”聴く”という土壌が整っていないということです。

そのため私は、無料の演奏会を毎年5月に開いています。
ピアノ指導者や他楽器を演奏する仲間で、
地域の子どもたちに無料で演奏会を提供するという企画です。
ジーンズにTシャツでも聴きに行ける。
3歳未満の弟や妹も連れて行ける。
発達障碍児も聴きに行ける。
客席100席程度の小さな小さな演奏会です。

プロほどの質の高い演奏は提供できませんが、
「コンサートって楽しいものなんだ。」と思ってもらえる、
そんなきっかけになったらと始めたことでした。
実際生徒さんのお母様から
「初めて生演奏を聴きました。生演奏って楽しいんですね!」
という感想をいただいたことがあります。

日本のピアノ指導者は、
社会の音楽環境が整っていない分を、
ピアノ教室内で担わなければならない、
という負荷を背負っている気がします。
そういう思いで演奏会を開いている指導者も多いのではと。

音楽が根差していない家庭環境の生徒さんが、
ピアノ教室にやってきたとき、
私たちは”聴く”という環境を提供し、
さらに、親御さんに関心を持ってもらうための工夫をする必要が出てきます。
親御さんに関心がなければ、
子どもが演奏会に出かけたり、CDを聴くということはありませんから。
まずは、親御さんに関心を持っていただく必要があります。

こういう生徒さんや親御さんの”聴く”という環境作りは、
レッスンで奏でる私の演奏が出発点となります。
導入期に私がレッスンで奏でる曲は、ほとんどが伴奏です。
ソルフェージュ教材の伴奏。
生徒さんが弾く楽曲の伴奏。
そこに、レッスンアプローチとして歌も加わります。

これら私の歌やピアノ伴奏が、
生徒さんや親御さんにとっての音楽経験になんですよね。
”聴く”という初めての環境になるわけです。
ここでピアノの響きっていいな、
音楽っていいな、と思ってもらえる演奏が私にできなければ、
親御さんや生徒さんを”聴く”環境に導くことはできません。

この”聴く”ということは、
ただ単に楽曲を聴くということに留まりませんね。
土壌としての”聴く”だけでなく、
奏でるための”聴く”も必要です。
聴くだけでも片手落ち、奏でるだけでも片手落ち、
その両方が一致するようなレッスンとは、
具体的にどのようなレッスンを指すのか?

ウララさんにはイタリアという音楽環境、
”聴く”という土壌がありました。
また、お父様が演奏家という、
”奏でる”家庭環境も整っていました。
しかし、日本でピアノ教育を受けていた10歳までは、
ピアノに夢中になってはおらず、
親御さんもピアニストにするつもりで教育していたわけではありません。

ピアノの練習もさぼりがちだったという、
私たちが指導する生徒さんたちに近いご経験を持つ、
ウララさんのようなピアニストが、
ご自身の経験から”聴くこと””奏でること”の一致について語ることに、
私はとても興味があります。
このご経験について、なるべく具体的にお話いただけませんか?


ウララさんのこの記事への返信は こちらです。


クリックで応援してネ♪
にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ 


emksan at 17:16|PermalinkTrackBack(0)

2012年12月23日

◆ピアノ教育談義「音楽耳を育む〜ニュアンスの体感〜」

この「ピアノ教育談義」は、
ピアニストのウララさんと私の、
ブログを通じた手紙のやりとりです。

ウララさんのブログはこちら
これまでの内容は、ブログカテゴリ◆ピアノ教育談義をご覧ください。




音楽耳を育む 〜ニュアンスの体感〜
2012.12.18 (この記事に対する返信です)


・音楽からニュアンスを聴きとるための音楽耳
・イメージを音に変換するための音楽耳

まさにピアノ指導の真髄と思います。
これなくしては、ただの指の運動にしかならないと思うからです。
ピアノにおけるすべての技術は、
音イメージと合致しているはずですよね。
音イメージがあるからこそ技術が生まれる。

クレッシェンドは1音1音平均に音を大きくしていき、
頂点の音が一番大きな音になるのだという思い込み。
これは、私が出会ってきた大人の生徒さんほとんどに見られた現象です。
特に、頂点の音が一番大きい!という思い込みはかなり激しくて、
そのクセはなかなか抜けません。
1曲目でできるようになっても、
新たな曲でクレッシェンドに出会うと、
また頂点にアクセントがついてしまう。

楽譜に書かれている記号は、

大きく弾かなきゃいけない
強く弾かなきゃいけない
だんだん大きくしなきゃいけない



という一面的なものではなく、



大きく聴こえる
強く聴こえる
だんだん大きくなっているように聴こえる



という感覚的なものですよね。
1音1音平均に音を大きくしていっても、
微妙な1音1音の音量変化は耳が感知しにくいということ。
しかも、徐々に音が大きくなっていくことで音量に耳が慣れていき、
前の小節より音が大きくなったとは感じにくいということ。

要するに、前後の音量差を耳が感知できないため、
クレッシェンドに聴こえないということですね。
クレッシェンドを奏でるには、
クレッシェンドに聴こえるためのコツがあるものですし、
そのパターンはひとつではありません。

階段状のクレッシェンド、
いきなり後半でグワンッと大きくなるクレッシェンド、
1ページにわたり徐々に各パートのバランスを変えていくことで、
際限なくどこまでも音が大きくなっていくような錯覚を起こさせるクレッシェンド。
ピアニストのウララさんは、
私が知らない音イメージのクレッシェンドを、
たくさんご存じのことと思います。

大切なことは、”そんな風に聴こえる”というニュアンスなんですよね。
記号通り杓子定規に弾くのでもなければ、
ニュアンスを心の中だけで感じて音にしないというのでもない。
こう聴こえるためには、
どう音を操作したらよいのかという方法論と耳の一致が、
奏でるためには必要と思います。

そのためには”こう聴こえる”という音イメージを、
知っているということが前提ですよね。
クレッシェンドひとつとっても、
いろんなクレッシェンドを”聴き知っている”ということが、
まずは第一歩なのだろうと思います。
イメージを実際の音に変換するためには、
音楽からニュアンスを聴きとるための音楽耳が必要ということですね。

私はピアノ導入期に『ミュージック・ツリー』(全音)という教材を使用しています。
この教材、ドレミという読譜指導には難があるのですが、

・楽譜からニュアンスが読み取れる
・イメージが湧きやすい楽曲
・段階を持った身体へのアプローチ

この3点が非常に優れているため重宝している教材です。
残念なことに絶版なので、
生徒さんたちには私の楽譜をコピーしてもらうか、
Amazonで中古を購入してもらうかしています。


次の楽曲は、左右2指だけを使用した楽曲です。

<写真 
ミュージックツリー1本指ピアノ伴奏

ピアノを習い始めたばかりの幼児は、
まだ指が整っていません。
この時期に”イメージ”と”奏でる”を一致させるのは、
まだ難しいということです。

しかし、この教材の楽曲はどれもイメージが豊かで、
生徒さんは様々な角度から、
音によるニュアンスを体感することができます。
伴奏が付いているからです。
ここでは指が整う前にニュアンスを”体感”するのです。

この教材ではドレミが読めるようになる前に、
,亮命燭里茲Δ鵬士無号が読み取れるようになります。
楽譜から音符という記号ではなく、
ニュアンスを読み取ることに主眼が置かれているのです。

,亮命燭蓮疋團▲痢匹粒擽覆任垢、
次の写真は”フォルテ”の楽曲です。
こちらも使用する指は左右ともに2指だけです。
伴奏がニュアンスを豊かにしていることが、
おわかりいただけるのではと思います。

<写真◆
ミュージックツリー1本指フォルテ伴奏


”音楽からニュアンスを聴きとるための音楽耳”への私のアプローチ方法は、
無意識に演奏会やCDで音楽を聴くのとは違います。
愛好家のひとりとして楽曲を聴くだけでは、
ニュアンスを実際の音にする「方法論」はわからないからです。

しかし、指が未熟な導入期の段階で、
ニュアンスを作り出すための身体アプローチをするのには限界があります。
そこで、まずは「ニュアンスにはこういう引き出しがあるのだ」
ということを体感してもらうのです。

楽譜には音量記号が提示されています。
伴奏は、,2小節単位の息の長いフレーズ、
△錬臆惨屮好蕁爾砲茲觀擴なノリになっていますね。
このような楽曲で様々なピアノ、様々なフォルテを実体験してもらいます。


次の写真は、左2・3指、右2指を使用したレガートの楽曲です。

<写真>
ミュージックツリー2本指レガート伴奏


習い始めて間もない頃の楽曲なので、
重心の移動などといったレッスンはまだできません。
音をつなげることで精いっぱいな時期の楽曲です。

しかし、ここにはフレージングスラーが書かれています。
ドレミという音符が読めるようになる前に、
楽譜から音楽のまとまりを読み取る、
というアプローチが先に提示される教材なのです。
まとまりを感じやすくするために、
フレージングに合わせた歌詞がついています。

曲の題名は「こぶね」です。
イメージの湧きやすい題名になっていますが、
言葉だけでイメージを説明したところで、
音のニュアンスを生徒さんに表現させることは無理でしょう。
生徒さんはまだ音のニュアンスを知らないからです。
このとき、私がするアプローチは以下の通りです。

・拍子打ちしながら歌詞で歌う
 (1拍目は膝を打ち、2拍目は膝を軽くチョンと叩きます。
  3拍目は手拍子、4拍目は手を軽くチョンと叩きます。)
・床に座ってお母さんと手をつなぎ、
 船をこぐように音楽に合わせて体を揺らす


いずれも私の伴奏付です。
まずは体感してもらうというアプローチです。
さらに、フレーズのまとまりを具体的に音にするためには、
4拍目で音が切れる必要があるので、
手首で呼吸する(手首の脱力)を指導します。

このように、私はこの楽曲あたりから、
”イメージを音のニュアンスに変換するための音楽耳”
を育てるためのレッスンを開始します。
しかし、生徒さんの指はまだ未熟なので、
布石を置く程度に控えています。


この時点で大人に求めるほどの質の高さで、
ニュアンスを実際の音に変換すること求めてしまったら、
脱力は身に付かず、
不自然な奏法が身についてしまう危険性があるからです。


次の写真は、6拍子が体験できる楽曲です。
アプローチ方法は前述と同じです。
立ってお母さんと手をつなぎ、
音楽に合わせて腕を左右に揺らしたりと、
いろんな方法が考えられますね。

<写真ぁ
ミュージックツリー6拍子伴奏


次の写真は、スタカートが初めて提示されるときの楽曲で、
伴奏はついていません。
私はスタカート導入は、幼児の指が鍵盤の反作用に
耐えられる状態になってからがよいと考えています。
この教材のスタカート導入は教材の2冊目という、
非常に絶妙なタイミングなのでとても気に入っています。

<写真ァ
ミュージックツリースタカート


次の楽曲は、スタカートとスラーがテーマになった楽曲です。

<写真Α
ミュージックツリースタカートとスラー


私はここで、楽譜からスタカートとスラーを読み取ってもらった後、
生徒さんに歌詞を作ってもらっています。
スタカートとスラーの違いに気づくと楽しさが倍増しますね。
「そう表現してみたい!」という思いが募るからと思います。
また、自分の考えた歌詞が付くと楽曲が身近になり、
生徒さんの演奏が生き生きとするのを感じます。

ウララさんがおっしゃっていたように、
言葉によるイメージだけでは、
音のニュアンスにはつながりにくいと感じています。
確かに言葉も必要です。
子どもの想像力を刺激するような言葉。
イメージにつながるような言葉。


しかし、その言葉を”そういう音楽に聴こえる”に繋げるためのアプローチを
怠ってはいけないと思うのです。
奏でるという行為は、
”そういう音楽に感じる”という受動的なものではなく、
”そういう音楽に聴かせる”という能動的なものだからです。


私は、このどちらにも「感動」が伴うと思っています。
ニュアンスを感じとったときの感動。
ニュアンスを自分の音にできたときの感動。
音楽には感動が伴うものですね。
ピアノレッスンとは感動の連続だと思います。


ピアノと仲良しになるためには、種も仕掛けもある。


これがわかったときに見せてくれる、
生徒さんのキラキラと輝く瞳。
大人も子どもも、障碍のあるなしも関係なく、
そこには感動があります。
練習が楽しめるのは、この感動があるからなんですよね。



ウララさんのこの記事への返信は こちらです。


クリックで応援してネ♪
にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ 



emksan at 11:30|PermalinkTrackBack(0)

2012年12月29日

◆ピアノ教育談義「表現意欲を育むために」

※年末年始、ピアノ教育談義はしばらくお休みとなります。


【NHKBSクラシック倶楽部】
1月16日(水) 午前6時00分〜6時55分

セーラ・ウィリアムソン クラリネット・リサイタル
  1. クラリネット・ソナタ (プーランク)
  2. 幻想的ソナタ (アイアランド)
  3. クラリネット・ソナタヘ短調 作品120 第1 (ブラームス)
  4. 「3つの前奏曲」から 第2番 (ジョージ・ガーシュウィン)(ジェームズ・コーン 編曲)

セーラ・ウィリアムソン(クラリネット)
ウララ・ササキ(ピアノ)
収録:2010年1月31日(日) 武蔵野市民文化会館



 
この「ピアノ教育談義」は、
ピアニストのウララさんと私の、
ブログを通じた手紙のやりとりです。

ウララさんのブログはこちら
これまでの内容は、ブログカテゴリ◆ピアノ教育談義をご覧ください。





ピアノ教育談義「表現意欲を育むために」
2012.12.28 (この記事に対する返信です)



「こんな風に聴こえている」の体感アプローチ。
とても興味深く感銘を受けました。

楽器そのものの響きを体感するというアプローチは、
子どもだけでなく私たち大人もワクワクするものですね。
表現意欲の根底には、
このような感動が必ずあると感じます。
だからこそ学びが楽しめるのでしょうね。

ところで、この表現意欲についてですが、
私はピアノを指導する上で、
生徒さんを音楽的自立に導くことを大切にしています。
もちろんそれは、
それぞれの生徒さんにどの程度基礎力があるかによって
内容が変わってきます。


小学2年生の子へ求める音楽的自立と、
中学生に求める音楽的自立、
ピアノ指導者をしている人に求める音楽的自立は、
それぞれ求められる質が異なるものだからです。
しかし、いずれにしても表現意欲という自発性が
とても大切だと思っています。


私は子どもの頃、
なんでもかでも先生の言う通りに弾いていた気がします。
それは「こう解釈したい」「こう表現したい」という発想がなかったということです。
また、先生からどう弾きたいか?と問いかけられたこともありませんでした。
「ここはこう弾くべき」というレッスンだったように思います。

ここにどういう響きがほしいのか?と、先生と会話した経験がありません。
それは大学に入ってからも同じです。
また、先生から言われる「こう弾くべき」には理由がありませんでした。
ただ「こう弾きなさい」と、それだけだったように思います。


この曲の作曲家について調べなさいとか、
この曲がどういう時期に書かれたものなのか調べなさい、
といったアドバイスはありますが、
それらを演奏に直結させてレッスンしていただくということはありませんでした。
また、これらの知識を学んだからといって、
それを自分の「こう弾きたい」という音につなげることは、
私にはできませんでした。


これは楽典についても和声についても同じことです。
それらの知識を演奏に生かすためのコツを
伝授してくれる先生はいませんでした。
与えられた楽曲を、
言われたように音にできることを目的に練習をする。
子どもの頃からそれが習慣化していたように思います。
「こう表現したい」ということにはそれなりの理由があるはずですが、
私にはその理由を述べるだけの引き出しがなかったということです。


生徒さんを指導する立場になり、
このままではいけないと思うようになりました。
私は生徒さんの音楽的自立を目指してレッスンしたかったからです。
そのためには、この部分はこういう解釈も考えられるし、
ああいう解釈も考えられると、
いくつかの選択肢を知っている必要がありましたし、
解釈の理由を言葉にできる必要がありました。


また、生徒さんが「こう弾きたい」と言ってきたとき、
それは違うと思う場合もあり得ますよね。
それは時代様式への理解不足や、
楽譜の読み込みの浅さなどから生まれるものですが、
なんでもかでも「それいいね」では生徒さんに基礎が身につきません。


ピアノ指導者にはその見極めができなければならないということですね。
生徒さんの自発性を促しつつ、
軌道修正が必要な場合には軌道修正しながら、
音楽的自立に導いていく。
そのためには、私自身が音楽的に自立している必要があります。
私が音楽的に自立していなければ、
「この楽曲はこう弾くべき」というたったひとつの答えだけを頼りに、
先生から教わってきた楽曲を、
教わってきたような解釈でしか指導できなくなってしまいます。


これは高度な楽曲だけに言えることではありませんよね。
バイエルやブルグミュラー、ギロックにも言えることと思います。
ピアノ指導者である私が、
これらの楽曲を様々な角度から眺めることができるということ。
「どう弾きたい?」と生徒さんに問いかけたとき、
その生徒さんの「こう弾きたい」を音にするためには、
ピアノをどう操作したらよいのかということを、
アドバイスすることができなければ、
生徒さんの表現意欲を刺激し、満足させることはできないでしょう。


10数年前、ピアノ指導者になったばかりの私はかなり焦りました。
自分がこれから乗り越えねばならない壁を前に、
打ちのめされそうになりました。
一体これまで私は何をしてきたのか?
ただ指を動かしてきただけではなかったのか?


導入期の生徒さんを指導することで、
呼吸ってなんだろう?
拍子感ってなんだろう?
改めてこれらのことと向かい合うことになりました。
同時に、楽譜から読み込んだことを演奏に生かすとは一体どういうことなのか?
ということをテーマに、勉強するようになりました。


ありがたいことに、ちょうどその頃、こういったことに詳しい知人に出会いました。
子どもの頃から本格的に作曲を学んできたという人です。
彼女はピアノ演奏ができましたから、
知識を演奏に生かすコツを知っていたのです。
演奏表現するために、
楽譜を読み込むということがどういうことなのか、
読み込んだものを音に表現するとはどういうことなのか、
彼女から数年かけて学ぶことができました。
これは本当にラッキーだったと思います。


「こう弾きたい」「こう表現したい」という表現意欲を持つためには、
このような土台が必要と実感しています。

これは4分音符、これは4分休符と、
音符の名前を教えるのであれば、
同時にそれらがどういう拍子感の中で、
どのような呼吸で唱えられるものなのか、
体感する必要がありますよね。
理解したことを体感するということ。


イタリアではこの自発性、音楽的自立についてですが、
どのようなアプローチがなされていましたか?



※ウララさんの返信が更新され次第、
ここにその記事へのリンクを貼り、
このブログ記事を最新の日付に更新します。



クリックで応援してネ♪
にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ 



emksan at 13:26|PermalinkTrackBack(0)