東日本大震災支援
2016年09月29日
東日本大震災楽器支援(2016/9/29更新)
85台目の支援をさせていただくことができました。
ご協力くださったみなさま、本当にどうもありがとうございました。
この楽器支援は、
85台目を最後にし終了させていただくことになりました。
私一人の力では、1台分の支援金を集めるのが難しくなったことと、
この1年間、支援要請が半年に1台あるかないかとなっていたためです。
高台への移転後、引っ越した方々から支援要請があるかもしれないと、
予測をしつつ見守ってきていましたが、
支援要請がほとんどないということ、
各地で震災が起きている中、個人での支援活動の限界を感じ、
終了させていただくことにしました。
被災地へピアノをとどける会など、
継続して支援している団体があります。
今後はこういった団体へ個人的に支援を続けていけたならと思います。
ピアノ関係の支援活動は、
ピティナのサイトに詳細が載っています。
http://www.piano.or.jp/info/crossgiving/
長い間、ご支援くださり本当にどうもありがとうございました。
【電子ピアノ支援】
これまでの楽器支援報告
・購入した支援楽器 ・楽器提供マッチング
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emksan at 11:44|Permalink│TrackBack(0)│
2016年03月11日
大槌町&南三陸の先生より
今日、電子ピアノ支援で出会った被災地の先生方から、
メールをいただきました。
ご了承を得ることができたので、
こちらにご紹介させていただこうと思います。
【大槌町の先生より】
震災後、初めて一人で過ごす3月11日です。
テレビを見ながら、こんなにたくさんの人が助けてくれて、
頑張っているんだ…と何度も胸がいっぱいになりました。
〜中略〜
でもなんとなくピアノには向かえず…。
どういう感情なのか…自分でもよくわかりません(^^;
中嶋先生がこちらに来てくださったとき、
実家の窓から外の風景を撮っていかれましたよね。
それをふと思い出し、同じ場所から撮ってみました!
変わったの、わかります?
遠くに赤い鉄骨、見えます??
水産加工の工場ができるんだそうです。
そのとなりにも、工場ができる予定です。
その鉄骨の奥の方は、たくさんのクレーン車やトラックが。
盛土しています。
今年の秋には子ども達の学校ができます!
その前に、今月末には新校舎への通学路となる橋が開通します。
朝、子ども達を学校に車で送るとき、
昨日とは道路が違うことにびっくりすることがあります(^^)
働くおじさん達、すごいです!
復興がなかなか進まないとよく聞きますが、
私は日々少しずつ進化していく様子を楽しみにしています。
もうすぐ幼稚園生が来ます♪
癒してもらいます〜(*^-^*)
子ども達のそばにいられるこの仕事に感謝です。
〜 2012年の写真 〜
私が伺った際に、
同じ位置から撮らせていただいた写真です。
家の中に標識やら何やら、
いろんなものが流れ込んだとのことでした。
このとき窓は付いていましたが、
ふすまなどが不足していて手に入らず、
ベニヤ板が収まっていました。
この頃はまだ、信号機も街頭もなく、
夜になると真っ暗で、
怖くて歩けないとのお話でした。
【南三陸の先生より】
毎年3月11日は町の追悼式に参加していましたが、
今日はどうしてもレッスンを休めないため、
娘と二人で、主人の両親のお墓参り、
そして、娘が避難して助かった場所に御礼参りに行って来ました。
海のそばの小学校にいた娘は、
あの日地震のあとすぐに先生方の判断のおかげで、
高台の神社に避難して助かりました。
その神社には、記念碑が建てられていました。
今日で五年。。今年はなんだか、ずしんときます。
未来の人々へ
「地震があったら、この地よりも
高いところへ逃げること」
二〇一一年三月十一日午後二時四十六分、
東日本大震災発生、マグニチュード九・〇の超巨大地震により、
約四十分後、予想を遥かに超える巨大大津波が押し寄せ、
最高水位が本記念碑まで到達した。
ここ五十鈴神社に戸倉保育所の園児十八人、
戸倉小学校の児童九十一人の他教職員、
地区住民等百九十人余りが避難し一夜を明かして難を逃れた。
太平館高台、古舘高台に避難した地区住民は安全であったが、
戸倉中学校や五十鈴神社下の宇津野高台他に避難した住民に
多数の死者・行方不明者が出た。
↑ ここは、娘の戸倉小学校があった場所です。
写真はこの近くの高台の神社から撮りました。
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メールをいただきました。
ご了承を得ることができたので、
こちらにご紹介させていただこうと思います。
【大槌町の先生より】
震災後、初めて一人で過ごす3月11日です。
テレビを見ながら、こんなにたくさんの人が助けてくれて、
頑張っているんだ…と何度も胸がいっぱいになりました。
〜中略〜
でもなんとなくピアノには向かえず…。
どういう感情なのか…自分でもよくわかりません(^^;
中嶋先生がこちらに来てくださったとき、
実家の窓から外の風景を撮っていかれましたよね。
それをふと思い出し、同じ場所から撮ってみました!
変わったの、わかります?
遠くに赤い鉄骨、見えます??
水産加工の工場ができるんだそうです。
そのとなりにも、工場ができる予定です。
その鉄骨の奥の方は、たくさんのクレーン車やトラックが。
盛土しています。
今年の秋には子ども達の学校ができます!
その前に、今月末には新校舎への通学路となる橋が開通します。
朝、子ども達を学校に車で送るとき、
昨日とは道路が違うことにびっくりすることがあります(^^)
働くおじさん達、すごいです!
復興がなかなか進まないとよく聞きますが、
私は日々少しずつ進化していく様子を楽しみにしています。
もうすぐ幼稚園生が来ます♪
癒してもらいます〜(*^-^*)
子ども達のそばにいられるこの仕事に感謝です。
〜 2012年の写真 〜
私が伺った際に、
同じ位置から撮らせていただいた写真です。
家の中に標識やら何やら、
いろんなものが流れ込んだとのことでした。
このとき窓は付いていましたが、
ふすまなどが不足していて手に入らず、
ベニヤ板が収まっていました。
この頃はまだ、信号機も街頭もなく、
夜になると真っ暗で、
怖くて歩けないとのお話でした。
【南三陸の先生より】
毎年3月11日は町の追悼式に参加していましたが、
今日はどうしてもレッスンを休めないため、
娘と二人で、主人の両親のお墓参り、
そして、娘が避難して助かった場所に御礼参りに行って来ました。
海のそばの小学校にいた娘は、
あの日地震のあとすぐに先生方の判断のおかげで、
高台の神社に避難して助かりました。
その神社には、記念碑が建てられていました。
今日で五年。。今年はなんだか、ずしんときます。
未来の人々へ
「地震があったら、この地よりも
高いところへ逃げること」
二〇一一年三月十一日午後二時四十六分、
東日本大震災発生、マグニチュード九・〇の超巨大地震により、
約四十分後、予想を遥かに超える巨大大津波が押し寄せ、
最高水位が本記念碑まで到達した。
ここ五十鈴神社に戸倉保育所の園児十八人、
戸倉小学校の児童九十一人の他教職員、
地区住民等百九十人余りが避難し一夜を明かして難を逃れた。
太平館高台、古舘高台に避難した地区住民は安全であったが、
戸倉中学校や五十鈴神社下の宇津野高台他に避難した住民に
多数の死者・行方不明者が出た。
↑ ここは、娘の戸倉小学校があった場所です。
写真はこの近くの高台の神社から撮りました。
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日々の連なりを大切に
震災から5年目となる今日、
3月11日が来るたびに思い出すというのではなく、
電子ピアノ支援で出会った被災地の先生方と
常に繋がり続けていくことと、
先日個人的にカタリバに支援させていただきましたが、
私にできることをしていくという、
日々の連なりを大切にしたいと思っています。
今年は、年賀はがきで「教室ができました!」という
喜びのご報告をいただきました。
新しい教室の写真をメールで送っていただき、
本当に嬉しかった。
ともに喜べるということが、なによりも嬉しいです。
昨日は天平さんのコンサートに感激したことを、
どうしても誰かに伝えたくて・・・というメールをいただきました。
こうして電子ピアノ支援で出会った方々と、
一生のお付き合いとして繋がり続けられることを、
とても幸せに思います。
あれから5年。
仮設住宅に住んでいる方が、まだたくさんいらっしゃいます。
今、電子ピアノ支援は支援要請がない状況が続いていますが、
建設が進み、仮設から新居に移れるようになったら、
再び電子ピアノ支援が必要とされる可能性もあります。
そのため、現在でも支援活動は辞めずに、
支援がきたら支援金を募るという形をとっています。
そのときがきたら、
改めて皆様に支援金のお願いさせていただくことになるのではと思います。
どうぞ長い目で見守っていただき、
ご支援いただけましたら幸いです。
震災関係のブログ記事はこちら。
【HARAHARA倶楽部震災支援コンサートのお知らせ】
震災後、ずっと支援活動を続けてこられた樹原先生と小原先生。
常に被災地の方々との繋がりを大切に、
見守り続けてきてくださいました。
このお二人の存在は、私の支援活動の心の支えです。
こちらのライブは、2011年から続いている震災支援コンサートです。
このコンサートは、継続的に電子ピアノ支援を支えてきてくださいました。
小原先生、樹原先生をはじめ、
ご支援くださったみなさまには本当に感謝です。
第6回目となる今回は、
仮店舗状態から漸く脱却し再スタートするミニホールへ
ピアノを贈るためのピンポイント支援とのことです。
4月29日アート・カフェ・フレンズ(東京都渋谷区)
start: 13:30(開場/ランチタイム12:00〜)
ミュージック・チャージ:¥3,500(+1stドリンク¥500 )
子ども&学生券:¥2,000(+1stドリンク¥500 )
全席自由
出演:HARA HARA 倶楽部の他、*マリエリカ*、くりーむぱんだ。
詳細はこちらをご覧ください。
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3月11日が来るたびに思い出すというのではなく、
電子ピアノ支援で出会った被災地の先生方と
常に繋がり続けていくことと、
先日個人的にカタリバに支援させていただきましたが、
私にできることをしていくという、
日々の連なりを大切にしたいと思っています。
今年は、年賀はがきで「教室ができました!」という
喜びのご報告をいただきました。
新しい教室の写真をメールで送っていただき、
本当に嬉しかった。
ともに喜べるということが、なによりも嬉しいです。
昨日は天平さんのコンサートに感激したことを、
どうしても誰かに伝えたくて・・・というメールをいただきました。
こうして電子ピアノ支援で出会った方々と、
一生のお付き合いとして繋がり続けられることを、
とても幸せに思います。
あれから5年。
仮設住宅に住んでいる方が、まだたくさんいらっしゃいます。
今、電子ピアノ支援は支援要請がない状況が続いていますが、
建設が進み、仮設から新居に移れるようになったら、
再び電子ピアノ支援が必要とされる可能性もあります。
そのため、現在でも支援活動は辞めずに、
支援がきたら支援金を募るという形をとっています。
そのときがきたら、
改めて皆様に支援金のお願いさせていただくことになるのではと思います。
どうぞ長い目で見守っていただき、
ご支援いただけましたら幸いです。
震災関係のブログ記事はこちら。
【HARAHARA倶楽部震災支援コンサートのお知らせ】
震災後、ずっと支援活動を続けてこられた樹原先生と小原先生。
常に被災地の方々との繋がりを大切に、
見守り続けてきてくださいました。
このお二人の存在は、私の支援活動の心の支えです。
こちらのライブは、2011年から続いている震災支援コンサートです。
このコンサートは、継続的に電子ピアノ支援を支えてきてくださいました。
小原先生、樹原先生をはじめ、
ご支援くださったみなさまには本当に感謝です。
第6回目となる今回は、
仮店舗状態から漸く脱却し再スタートするミニホールへ
ピアノを贈るためのピンポイント支援とのことです。
4月29日アート・カフェ・フレンズ(東京都渋谷区)
start: 13:30(開場/ランチタイム12:00〜)
ミュージック・チャージ:¥3,500(+1stドリンク¥500 )
子ども&学生券:¥2,000(+1stドリンク¥500 )
全席自由
出演:HARA HARA 倶楽部の他、*マリエリカ*、くりーむぱんだ。
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2015年12月24日
ピアニスト小原孝さんの『逢えてよかったね友だちプロジェクト』
小原孝先生から支援コンサートの冊子が届きました♪
小原先生は継続的に被災地へ赴き、
コンサートを開いてくださっています。
漫画で描かれているのですが、
そこには楽器支援先の先生の姿も♪
小原先生は、
被災地の方々との繋がりを大切に育みながら、
継続的に被災地でコンサートを開き、
楽器支援へもご支援くださっています。
このプロジェクトの名称にもなっている、
小原先生作曲の「逢えてよかったね」はとても素敵な曲!
私も支援先の石巻へ伺った際、
そこの先生方と一緒に歌ったことがあるのですが、
そこにいる全員がひとつになれる胸に沁み入る曲です。
楽器支援はまだ仮設にいる方々が多く、
ここのところ支援要請はありませんが、
小原先生と樹原先生からいただいた支援金が、
手元にある状態なので、
支援要請がきたらすぐに支援することができます。
※現在支援金は募っていません。
今年7月に宮古市へ行ってきました。
そのときの被災地の状況はこちらです。
支援先の子どもたちによるコンサートに招待していただき、
伺った岩手県でしたが、
このすばらしいコンサートの様子も
ブログ記事にしています。
小原先生が大槌町へ訪れたのも7月。
残念ながらすれ違いで、
小原先生のコンサートに伺うことはできなかったのですが、
繋がりのある被災地の先生は同じで、
この先生と小原先生のコンサートについて話題にすることは、
私の楽しみのひとつでもあります。
震災直後、多くの演奏家が被災地へ赴こうとしましたが、
そのとき必要だったのは音楽ではなく、
生きるために必要な物資と環境でした。
被災地の方々が音楽を必要とするそのときまで見守り、
待っていてくださった小原先生のお心遣いは、
今でも私の中に印象深く残っています。
あれから時がずいぶん流れましたが、
今年の7月、宮古市の状況について記事にしたように、
被災地ではようやく復興住宅が建ち始めたところです。
この冬も仮設住宅で乗り越えなければならない方々が、
たくさんいらっしゃるんですよね。
これからも小原先生の暖かな音楽が
被災地のみなさんに届きますように。
逢えてよかったね友だちプロジェクトについては、
小原先生のホームページをご覧ください。
2015年大槌町のコンサートは、
ピティナのホームページにも紹介されています。
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小原先生は継続的に被災地へ赴き、
コンサートを開いてくださっています。
漫画で描かれているのですが、
そこには楽器支援先の先生の姿も♪
小原先生は、
被災地の方々との繋がりを大切に育みながら、
継続的に被災地でコンサートを開き、
楽器支援へもご支援くださっています。
このプロジェクトの名称にもなっている、
小原先生作曲の「逢えてよかったね」はとても素敵な曲!
私も支援先の石巻へ伺った際、
そこの先生方と一緒に歌ったことがあるのですが、
そこにいる全員がひとつになれる胸に沁み入る曲です。
楽器支援はまだ仮設にいる方々が多く、
ここのところ支援要請はありませんが、
小原先生と樹原先生からいただいた支援金が、
手元にある状態なので、
支援要請がきたらすぐに支援することができます。
※現在支援金は募っていません。
今年7月に宮古市へ行ってきました。
そのときの被災地の状況はこちらです。
支援先の子どもたちによるコンサートに招待していただき、
伺った岩手県でしたが、
このすばらしいコンサートの様子も
ブログ記事にしています。
小原先生が大槌町へ訪れたのも7月。
残念ながらすれ違いで、
小原先生のコンサートに伺うことはできなかったのですが、
繋がりのある被災地の先生は同じで、
この先生と小原先生のコンサートについて話題にすることは、
私の楽しみのひとつでもあります。
震災直後、多くの演奏家が被災地へ赴こうとしましたが、
そのとき必要だったのは音楽ではなく、
生きるために必要な物資と環境でした。
被災地の方々が音楽を必要とするそのときまで見守り、
待っていてくださった小原先生のお心遣いは、
今でも私の中に印象深く残っています。
あれから時がずいぶん流れましたが、
今年の7月、宮古市の状況について記事にしたように、
被災地ではようやく復興住宅が建ち始めたところです。
この冬も仮設住宅で乗り越えなければならない方々が、
たくさんいらっしゃるんですよね。
これからも小原先生の暖かな音楽が
被災地のみなさんに届きますように。
逢えてよかったね友だちプロジェクトについては、
小原先生のホームページをご覧ください。
2015年大槌町のコンサートは、
ピティナのホームページにも紹介されています。
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2015年07月25日
大槌町の生徒さんからの手紙
先日投稿した『ありがとうの音』のコンサートに、
出られなかった生徒さんから、
お手紙をいただきました。
とても素敵なお手紙だったので、
ご了承を得て、
こちらにご紹介させていただきますね。
ご支援くださったみなさま、
本当にどうもありがとうございます♪
今日は行けなくてすみません。
私は電子ピアノをお世話していただいた●●です。
電子ピアノをありがとうございます。
電子ピアノが家にとどいた時は、
本当にうれしかったです。
時間があるときに
いつもピアノをひいていました。
今は、部活があっていそがしいけれど、
時間があるときには、ピアノをひいています。
私がやっている部活はバトミントンで、
今は部長をやっています。
学校の行事の文化祭では去年、
伴奏をしました。
今年は文化祭の伴奏ではなく、
ちがう場面で伴奏をやります。
私は1度、ピアノをやめようとしたんですが、
学校の先生が背中をおしてくれて、
今はピアノをつづけています。
今はピアノが大好きです!
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出られなかった生徒さんから、
お手紙をいただきました。
とても素敵なお手紙だったので、
ご了承を得て、
こちらにご紹介させていただきますね。
ご支援くださったみなさま、
本当にどうもありがとうございます♪
今日は行けなくてすみません。
私は電子ピアノをお世話していただいた●●です。
電子ピアノをありがとうございます。
電子ピアノが家にとどいた時は、
本当にうれしかったです。
時間があるときに
いつもピアノをひいていました。
今は、部活があっていそがしいけれど、
時間があるときには、ピアノをひいています。
私がやっている部活はバトミントンで、
今は部長をやっています。
学校の行事の文化祭では去年、
伴奏をしました。
今年は文化祭の伴奏ではなく、
ちがう場面で伴奏をやります。
私は1度、ピアノをやめようとしたんですが、
学校の先生が背中をおしてくれて、
今はピアノをつづけています。
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2015年07月24日
ありがとうの音(岩手日報より)
宮古市にある小成楽器店の向口さんが、
岩手日報の切り抜きを郵送してくださいました♪
先日こちらに投稿した、
「ありがとうの音」のコンサート記事です。
〜一部抜粋〜
コンサートは両教室の児童生徒や、
同町の児童合唱団「キッズコーラスあぐどまめ」の
団員ら約20人が出演した。
ピアノを演奏したのは9人。
それぞれ演奏前に
「震災後初めての発表会で弾いた曲です」
「支援を受けてであった楽譜です」などと説明。
最後は全員で「小さな勇気」を合唱した。
越田真帆さんは
「ピアノをまた弾けるようになった時の
うれしさや感謝を伝えられた」、
城崎彩乃さんは
「音楽を続けることに迷う時期もあった。
今は、続けて本当に良かったと思っている」
とすがすがしい表情を見せた。
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岩手日報の切り抜きを郵送してくださいました♪
先日こちらに投稿した、
「ありがとうの音」のコンサート記事です。
〜一部抜粋〜
コンサートは両教室の児童生徒や、
同町の児童合唱団「キッズコーラスあぐどまめ」の
団員ら約20人が出演した。
ピアノを演奏したのは9人。
それぞれ演奏前に
「震災後初めての発表会で弾いた曲です」
「支援を受けてであった楽譜です」などと説明。
最後は全員で「小さな勇気」を合唱した。
越田真帆さんは
「ピアノをまた弾けるようになった時の
うれしさや感謝を伝えられた」、
城崎彩乃さんは
「音楽を続けることに迷う時期もあった。
今は、続けて本当に良かったと思っている」
とすがすがしい表情を見せた。
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