ピアノ/ピアノの歴史
2007年10月15日
ピアノの歴史18【ベートーヴェン第3期】
【ベートーヴェン(1770〜1827)】 【ベートーヴェン/本---Amazon.co.jp】
1809年秋頃からベートーヴェンが使用していた楽器。
どうやら判明していないものが多いようです。
作品の中から、どういったピアノだったのかを
ちょっと垣間見てみましょう。
エラールのピアノを物足りないと感じていたであろう
この時期のベートーヴェンが作曲した作品、
・・・・そして「傑作の森」の最後の年を飾る作品
告別ソナタとピアノ協奏曲第5番には、
これまでにない変化があらわれます。
それは、最高音c4を越える音が使われているということです。
・・・・F1-f4の6オクターブ
これら2曲は、これまで使用していたエラールでは演奏できません。
この時期のピアノは、使用音域やベートーヴェン書簡などから、
シュトライヒャーが貸したピアノを使用していたのではないかと考えられています。
当時シュトライヒャーのピアノには6オクターブの音域があり3本ペダルが付きで、
これらの楽曲に符号するからです。
告別ソナタから次の作品、ソナタOp,.90を作曲するまでには、
4,5年の空白がありますが、
この楽曲の音域はF1-c4と再びエラールの音域と同じです。
さらに2年後の1816年に作曲された次のソナタop.101では、
E1-e4の6オクターブの音域。
なんだかこれまでのベートーヴェンに比べ、
この時期のベートーヴェンは、
ずいぶんとピアノ作品の数が少ないですよね。
音域を広めたかと思うと再びエラールの音域になったりして、
これまでピアノの発展に合わせてイケイケ!で作曲していたベートーヴェンらしくないというか。
なかなか納得できるピアノに出会えなかったということなのでしょうか。
なんだかベートーヴェンのもどかしさを感じますね。
1816年ベートーヴェンの希望により、
シュトライヒャーが6オクターブ半のピアノを作ったという説があるようですが、
ベートーヴェンは1817年シュトライヒャーに宛てて手紙を書いています。
『さて、シュトライヒャーにとくにお願いがあります。
私の弱った耳にあうように、
あなたがたのピアノのうち1台を調整していただきたいというのが、
私の願いです。
できるだけ大きな音にしてほしいのです。』
1816年冬から翌年にかけて、
ベートーヴェンが2台のピアノを持っていたことがわかっています。
1台は5オクターブの桜材の古い二重弦のピアノ、
もう1台はマホガニー材の四重弦の6オクターブのピアノです。
シュトライヒャーから借用したと思われる、
このマホガニー材のピアノにはシフト・ペダルが備わっていました。
ソナタop.101には、
この鍵盤を横にずらし1弦だけを打つようにする、
「スール・ウナ・コルダ」の指定があります。
ベートーヴェンが初めてシフト・ペダルの指示を記入した作品です。
1812年ウィーンの出版者ゲッツルは、
ベートーヴェンが即興演奏したときのピアノの状態について、
こう書きました。
『もはや音楽を弾くどころの騒ぎではなかった。
弦の半分ほども切れてしまったからである。』
-------------------------------ベートーヴェン第4期は次回につづく
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2007年10月29日
ピアノの歴史19【ベートーヴェン第4期】
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このピアノは国立音楽大学楽器学資料館が所蔵している、
1820年製のブロードウッドです。
・・・・ベートーヴェンが持っていたピアノの音域と同じ。
写真で見る限り、形もそっくりです。
1817年47歳の誕生日を迎えたベートーヴェンに、
1台のピアノが贈られました。
カルクブレンナー、リース、フェラリ、クラーマー、クニヴェットら
ロンドンに在住していた音楽家からの贈り物、
ジョン・ブロードウッド・アンド・サンズのグランドピアノでした。
イギリス式のアクションを持ち、
音域は6オクターブありました。(C1-c4)
ダンパーペダルとシフトペダル付き。
右側のダンパーペダルは2本に分かれており、
そのうちの右側が高音域のダンパーを持ち上げ、
左側は低音域のダンパーを持ち上げました。
・・・・・一体どんな感じなんでしょうね〜。
面白い使い勝手のよさそうな機能ですよネ。
ベートーヴェンはこのピアノを終生所有し続けました。
現在、ハンガリー国立博物館が所蔵しています。
【1818-1821年頃・・・使用楽器ブロードウッド製C1-c4】
〜イギリス式6オクターブ〜
ピアノソナタOp.106第3-4楽章、Op.109、Op.110、Op.111
作品106の第1-2楽章には、このブロードウッドにはない高音域が使われています。
ブロードウッドを手に入れる前のピアノはf4までの音がありましたが、
このブロードウッドはc4に留まります。
しかし、低音域が4度も広がりました。
第3-4楽章をこのピアノで作曲したベートーヴェンは、
第4楽章で初めてC1という最低音を使っています。
この音は第4楽章の115小節目に出てくるのですが、
面白いことにすべての音がオクターブで書かれているにも関わらず、
最初の1音はオクターブで書かれていません。
これは、このピアノでは出せなかった音だからなのですね。
・・・・・こうやってみると、本当にベートーヴェンの意思を尊重するならば、
この音をオクターブで弾くべきなのでしょうか?
しかし右手が大きく跳躍し上昇する勢いを感じるのは、
第2音目からだとするなら楽譜通りの方がいい気もしますし。
ベートーヴェンはピアノの性能をわかった上で、
この第1音目だけはオクターブで弾かなくてもいいように、
作曲したのかもしれないですよね〜。
オクターブで弾くか弾かないか。
ピアノを弾かない人にとってはどうでもよさそうなことでも、
実際弾く人間にとっては音楽の感じ方が全く異なってくるので、
結構重要だったりするんですよネ。
その後作曲された作品109や作品111には、
このピアノでは弾けない高音が使われています。
しかし、当時のピアノで不可能だったわけではなさそうです。
ウェーバーがこの頃持っていたピアノの音域は6オクターブ半あり、
これら作品を演奏できる音域を持っていたからです。
ベートーヴェンにとって最後となったピアノは、
コンラッド・グラーフが製作したものでした。
ベートーヴェンの死の数年前に作られたピアノのようです。
このピアノはウィーン式のアクションで、
ベートーヴェンが所有してきたピアノの中で一番広い音域を持っていました。
しかし残念ながら、
このピアノでピアノソナタやピアノ協奏曲が作曲されることはありませんでした。
『ベートーヴェンはピアノの不完全さについてひどく不満を述べ立て、
こんなピアノでは効果のある音も、力強い音も出すことができない、
と言ってブロードウッドのピアノを指し示した。
私の目に映ったのは、なんと惨憺(さんたん)たる場景だったことか。
高音部はもはや全然音が鳴らなかったし、切れた弦がからまって、
まるで嵐の突風に吹き寄せられた茨の塊のようなありさまであった。』
--------1824年9月、最後のソナタ(Op.111)を書き終えたベートーヴェン。
そのときベートーヴェンの自室にあったブロードウッドについて。
(ハープ製作者のヨハン・アンドレアス・シュトゥンプの手記より)
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2007年11月01日
ピアノの歴史20【ウィーンピアノの衰退】
ピアノの歴史1〜19は、ブログカテゴリ『音楽/ピアノの歴史』からご覧ください。
【ウィーンピアノの衰退】 【ピアノ/本---Amazon.co.jp】
1815年頃のウィーンには、
なんと100以上のピアノ製作工房があったそうです。
ウィーンは、ヨーロッパでの主要なピアノ生産地だったのですね。
その中でも特に有名なのは、
ナネッテ・シュトライヒャーの工房、
コンラッド・グラーフの工房、
ベーゼンドルファーの工房(ブロトマンから譲り受けた工房)です。
シュトライヒャーのピアノは、これまで何度も登場してきました。
グラーフはベートーヴェン最後のピアノを製作しました。
クララ・ヴィーク(シューマンの妻、ピアニスト)にピアノを贈っています。
ウェーバーが所有していたピアノは、ブロトマンのピアノでした。
このブロトマンの弟子ベーゼンドルファーは、
1830年には王室御用達というタイトルを獲得しています。
19世紀半ばのピアノに求められていたもの。
それは音量の増大でした。
宮廷音楽から庶民の音楽へ。
狭い空間での演奏から広いホールでのコンサートへ。
そして、ピアノ奏法も格段にレヴェルアップし、
名人芸を披露するピアニストが多く輩出された時代だったのです。
音量の増大とともに必要だったのが音域の拡大です。
高音域を拡大するのは大して大変ではなかったようです。
弦が短いので、それほどフレームに負担をかけずに済みました。
しかし、低音弦は長く重たいものでした。
この弦の張力を支えるためには、フレームを強化する必要があったのです。
この弦の張力に耐えつつ音量を増大していかなければならないという、
フレーム構造の発展において、
ウィーンはイギリスやフランスより遅れていました。
シュトライヒャーは鉄片で強化したフレームを試作しました。
ホクサという人は鋳鉄のフレームを作りました。
グラーフは一生木のフレームにこだわり続けました。
軽いタッチと明るい音色を持つウィーンピアノの良さは、
木のフレームと切り離すことのできないものだったからです。
しかし19世紀半ばの需要は、
音量増大による輝かしい響きにありました。
私は技術者ではありませんし、物理も全くわからないのですが・・・。(^_^;)
フレームを強化しようと思うと、倍音を減少させることになるそうです。
しかし音量を増大させるためには、
弦の張力を大きくしてフレームを強化しなければなりません。
その上、この強い張力をもった弦を十分に鳴らすためには、
強い打弦が可能なアクションが必要になってきます。
弦の張力に負けないようハンマーを重くすると、
ピアニストが触れるキーはより深く、重たくなります。
ウィーン式ピアノの良さがなくなってしまう・・・。
また、これでは名人芸を披露するピアニストや、
それを求める聴衆に受け入れてもらえません。
ウィーン式ピアノは、この苦悩の時代を乗り切ることができませんでした。
現代のピアノは、ウィーン式ではなくイギリス式です。
私たちは普段、イギリス式のピアノにしか触れることができません。
しかし、ウィーン式の持つ軽いタッチや明るい音色はとっても魅力的!
私はまだウィーン式のピアノに触れたことがないんですよね。(T_T)
いつか触れてみたい。そしてその軽やかさと響きを指で感じてみたい。
・・・・・ベーゼンドルファーは19世紀後半にイギリス式アクションに切り替わりました。
そして、そのピアノでモーツァルトを弾いてみたいと思うのです。
【おまけ】
以前三大メーカーのピアノを聴き比べるという、
とっても魅力的な講座に行ったときのコト。
フレームのお話になったのです。
それぞれメーカーによってフレームの作りが違う・・・と。
でね、面白いのがそれによって倍音の出方が違うということなのデス。
メーカーは、こういうバランスの倍音が欲しい!と思いながら、
フレームを作るんですね〜。
この倍音の出方の違いが、そのままメーカー特有のピアノが持つ音色となります。
それぞれのピアノで、倍音を聞き比べました。
第3倍音が大きめに聴こえるピアノ、
それ以外の倍音も複雑に入り混じって聴こえるピアノ。
ベーゼンドルファーは、イロイロ入り混じっていて聴こえたピアノでした。
すごく個性的な音色だなぁと思ったんですよね〜。
家に帰ってきてカワイのピアノで試してみたら、
第3倍音だけが妙に響いてきて、それ以外の倍音はあまり聞こえてきませんでした。
安いピアノだったから、音色が単色なんだなぁ〜(^_^;)
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2007年11月13日
ピアノの歴史21【近代ピアニズムの原点】
ピアノの歴史1〜20は、ブログカテゴリ『音楽/ピアノの歴史』からご覧ください。
【近代ピアニズムの原点】
1709年クリストフォリがピアノを発明してから61年、
1770年にベートーヴェンは生まれます。
ベートーヴェンが活躍し始めた頃、ピアノは一大ブームを起こし、
公開演奏が行われたり、楽譜出版が商売として成り立ち始めます。
演奏料やレッスン料、出版の印税などで生活が成り立つようになったのです。
ピアノの普及に伴いピアノメソッドも確立していきました。
クレメンティはピアノ奏法入門を書いていますし、
チェルニーは教本を書いています。
エチュードが出現し、指を鍛えるための機械も発明されました。
モーツァルトにピアノを学んだフンメルは、
当時名声を博したピアニストの1人でした。
『モシュレスと並んでフンメルは、
モーツァルトに始まったピアノ演奏史上、
ウィーン楽派のほんとうの代表者となった。
彼らは、イギリスの楽器と対照的だった
ウィーンのピアノのメカニズムにもとづく奏法を確立したのである。
〜中略〜
その装飾演奏法は、モーツァルトからショパンへと
直接橋渡しする意味を持っていた。』
フンメルはウィーン奏法について、
「ピアノフォルテ奏法の理論的・実践的な指針」を
出版しています。
これまでお話してきたように、
ウィーンのピアノは、イギリスのピアノに比べ軽やかさが特徴でした。
モーツァルトが演奏していた楽器は、
この軽やかなウィーンの楽器でした。
そしてその意思を継いで奏法として確立したのがフンメルだったのですね。
フンメルは教育者としても傑出しており、
その中にタールベルクという有名な弟子がいます。
タールベルクは10代の頃ウィーンの奏法で学びますが、
その後ヨーロッパを演奏旅行するなかで、
イギリス奏法の流れを引くカルクブレンナーにも学びました。
タールベルクは1837年にリストと競演し、
生涯を通じてリストのライバルになった人です。
カルクブレンナーは指を鍛えるための機械を作った人で、
ショパンは一時期彼を崇拝した時期がありました。
『これからはカルクブレンナーのように弾いてみたい。
パガニーニが完成のきわみだとすると、
カルクブレンナーも彼に匹敵する存在だ。
あの人の落ち着き、うっとりするようなタッチ、
他とは比べようもないあの均質な演奏、
卓越した技法によるしっかりした音の響き、
こういったものを言葉で言い表すのは不可能だ。』
しかし、もっぱらメカニズムの練習に重きを置き、
ほとんど指先のみを動かして手導器をもちいるという
カルクブレンナーのメトードはショパンには合わず、
カルクブレンナーとの関係はどこかよそよそしいものになっていったのでした。
フンメルからウィーン奏法を学び、
カルクブレンナーからイギリス奏法を学んだタールベルクの演奏は、
『クレメンティに由来するイギリス奏法の絢爛たるテクニックと、
モーツァルトからフンメルに受け継がれた
ウィーン奏法の歌うスタイルとが結合されて、
フレージングや表情が、
火花のようなパッセージ・ワークと共存し、融合している。』
と評されました。
ベートーヴェンの時代、
モシェレスはウィーンで最も人気の高いピアニストの1人で、
ロンドンではクレメンティーやクラーマーと並ぶ名演奏家と賞賛されました。
1824年にはベルリンで15歳のメンデルスゾーンを指導しています。
翌年からロンドンに定住し、王立音楽学校のピアノ教授になりました。
このとき前述のタールベルクを指導しています。
その後ライプツィヒ音楽院で多くの弟子を育てました。
ウィーンとイギリスという対照的な2つのピアノが共存していた時代、
ピアニストはそのどちらにも関わる機会があり、
またそのどちらも知っておく必要があったのかもしれないですね。
このモシェレスはウィーン奏法とイギリス奏法、
2つの伝統をドイツのライプツィッヒにもたらしたのでした。
ウィーンの音楽批評家はこのモシェレスを
『ピアノの古典楽派最後の代表者であると同時に、
新時代の開拓者』
と評しています。
そのほか、イギリス奏法・ウィーン奏法の両方を受け継いでいる人に、
あのチェルニーがいます。
チェルニーはベートーヴェンの弟子として有名ですが、
1800-1803年までの3年間ベートーヴェンから学んだ後、
ウィーン奏法のフンメル、イギリス奏法のクレメンティにも学んでいます。
両方の奏法を受け継いだチェルニーは、
名教師として名を馳せ、
リストやクーラック、レシェティツキらを育てたのでした。
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ピアニストのための音楽史―付・ピアニスト師弟系譜図、出版楽譜一覧
名ピアニストの世界
ピアニストに贈る音楽史
20世紀のピアニストたち〈上〉
19世紀のピアニストたち (〔正〕)
続・19世紀のピアニストたち
ソビエトの名ピアニスト―ソフロニツキーからキーシンまで
百歳のピアニスト ホルショフスキー
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2013年01月28日
ピアノの歴史22【弦】
ピアノの歴史1〜21は、ブログカテゴリ『音楽/ピアノの歴史』からご覧ください。
【弦】
いろいろと調べてきましたが、
何故これまで「弦」に目を向けてこなかったのか?!
ハンマーがフェルトではなく皮で、
大きさも親指くらいしかなかったとか、
産業革命のおかげで、
木製のフレームから金属製のフレームになったとか、
アクションや音域のこととか・・・。
いろいろ目を向けてきたはずなのに、
なぜか「弦」がそっちのけ。
チェンバロ・クラヴィコード・フォルテピアノと、
様々な演奏会に出かけて実物を見てきたにも関わらず、
「弦」に目を向けるということがありませんでした。
義父が国鉄で建設関係の仕事をしていたことがあり、
ピアノ線はとても丈夫なので、
橋の建設などにもよく使われると聞きました。
いつもお世話になっている調律師さんにそのお話をしたところ、
ピアノの弦は、ピアノ線ではなくミュージックワイヤという別のもの
と伺ったのです。
調べてみると”ピアノ線”には間違いないようなのですが、
工業用の”ピアノ線”とは区別して考えられているようです。
実際、ピアノ用のワイヤは最高品質の鋼が用いられており、
工業用のピアノ線とは異なる規格・製造工程を持っているそうです。
フレームが木製から金属製に発展したということは、
弦だって発展しているはず。
現代ピアノに使われている弦と、
チェンバロやフォルテピアノに使われていた弦とでは、
一体何が違うのか?
気になり出すと調べずにはいられません。
当時は、真鍮を使っていたそうです。
真鍮とは銅と亜鉛の合金で英語ではBrass(ブラス)。
金管楽器のブラスは真鍮が由来だったのですね〜。
ちなみに5円玉も真鍮。
真鍮は加工しやすい材質。
1ミリ未満の弦を作るには、
鉄より真鍮の方がはるかに容易だったということから、
楽器弦としては鉄線より真鍮線の方が先行したようです。
17世紀後半には低音弦が真鍮線、
高音弦には鉄線が使われるようになりました。
現在使われている弦は高炭素鋼。
それって何?!ですよね。
炭素鋼というのは鉄と炭素の合金なんだそうです。
一般的な鉄鋼材のこと。
炭素鋼は炭素量が増えると引っ張りの強さや硬さが増します。
その反面、処理はとても難しくなるようです。
ピアノ線というのは、炭素量の多い高炭素鋼による金属線のこと。
楽器って、工業の発達と共に歩んできているのですよね。
高炭素鋼によるピアノ線の普及は19世紀になってからのこと。
それ以前は低炭素鋼が使われていたそうです。
18世紀後半、音楽は一部の人たちのものではなく、
庶民のものへと変貌を遂げました。
大ホールに聴衆を集め、コンサートを開くようになったのです。
真鍮から高炭素鋼へと弦の材質が変わったのには、
このような背景があります。
音量への挑戦はフレームの発展より先に、
弦の発展の方が先行していたのですね。
弦の張力が増したために金属製のフレームが必要になった。
金属製フレームより先に、
張力のある弦の開発が先だったということ。
当然といえば当然のことですよね〜。(^_^;)
1808年の弦の張力は4.5トン
1850年頃の弦の張力は12トン
現代の弦の張力は20トン!
ところで、現代ピアノは1音に3本の弦が張られていますが、
クリストフォリのピアノは全音域で1音2弦だったそうです。
ベートーヴェンの頃に3本に増え、低音弦は巻線になりました。
もちろん当時はまだ真鍮線、もしくは鉄線で強度は低いものでした。
(しょっちゅう弦が切れたようです)
この複弦は音量の増大だけでなく、音色にも深く関係しています。
複弦の方が単弦より振動の減衰が遅くなり、余韻が残るとのこと。
しかし、同じ音程の複弦間を全く同じ条件に調律すると、
この特性が失われてしまうそうです。
複弦間のわずかなズレが余韻を生むのです。
現代のようにチューニングメーターもなく、
弦の強度が低かった時代は、
複数の弦を全く同じ条件で張ることはほとんど不可能でした。
必然的に余韻が生まれていたということですね。
私が今お世話になっている調律師さんは、
この余韻を作ってくださる方です。
音程は合っているけれど響きがない。
そんな調律に出会うことがありますが、
この調律師さんの手がけたピアノには豊かな響きがあるんです。
同じピアノでも、調律によって響きが変わるんですよね。
調律師さんの経験に裏打ちされた耳による職人技です。
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2021年09月11日
クラヴィコード体験
【クラヴィコード体験】
私のピアノ室にはクラヴィコードがあります。繊細な楽器なのでモダンピアノと同じ弾き方をすると破損する恐れがあるため、弾き方を伝授したのち、残りの時間を私抜きで自由に弾いていただく、という形にしようと思います。お一人ずつの体験となります。
1人1時間6千円
※2回目以降アドバイス有りも可能です。
※ピアノ指導者限定です。
場所:神奈川県横浜市鶴見区
公式LINEかブログ内フォームにてご連絡ください♬
FB投稿より
モダンピアノを弾いてもクラヴィコードに影響が出なくなってきたので、基礎練と古典派はモダンピアノとクラヴィコードの両方でやるようになったのだけれど、相互作用にびっくり。
いろんな鍵盤楽器を弾くと、良い相互作用が生じて、それぞれの楽器がさらに上達するんだなぁと実感ちう。まだ「上達してきたみたい」程度なので、伸びしろ未知数と思えるのが嬉しい♬
できないことが悔しかったり悲しかったり虚しかったりするのではなく、むしろ伸びしろと思える楽しさに目覚められてよかった!
先程投稿したクラヴィコード体験。クラヴィコードが置いてあるスタジオを見つけるのは大変だろうと思うのと、鳴らし方がわからないと弦にタンジェントがはじかれてビンッという音しか体験できないだろうと思うので企画しました。ご自分の指でクラヴィコードならではの響きを楽しむお手伝いをさせていただきます。もちろん私抜きで個人的に楽しむ時間も大切に。ぜひお気軽にお申し込みくださいね。
クラヴィコードがモダンピアノのように当たり前の楽器になったらいいなぁと願っています。そんなに場所もとらないし、フォルテピアノほど高価じゃないし、お手入れも大変ではないので、普及しやすい楽器ではないかと。
レッスンでクラヴィコードを弾いてからモダンピアノで弾くと、見違えて音色がよくなるんですよ♬ 昨日はドビュッシーをレッスン中の生徒さんの弱音がとても美しくなりました。クラヴィコードを弾くと指先への意識が高まるんですよね。
これは体験してみないとわからないことだろうと思うので、少しでも多くのピアノ指導者のみなさんとこの体験を共有できたならと思います。クラヴィコード体験。日時はお互いの都合の良い時間でと思います。お気軽にお申し込みくださいね。場所は神奈川県横浜市鶴見区です。