音楽/本・CD
2013年09月21日
『小澤征爾さんと、音楽について話をする』小澤征爾&村上春樹
FBをしていると、時々「おっ!」という情報に出会うことがあります。
ネットというのは情報の宝庫ですね。
情報が氾濫しているので選別するのが大変とも言えますが、
私の場合、特に選別する意識もなく、
興味の赴くまま「おっ!」と飛びつきます。
先日、「おっ!」に出会ってしまいました。
間をあけることなく、
平野啓一郎氏の作品を出版順に読み進めている最中にもかかわらず。
『小澤征爾さんと、音楽について話をする』という、
村上春樹氏と小澤征爾氏の対談本。
しかも、CDまで買っちゃった。
併読なんてできるのか?と訝りつつ衝動買いしましたが、
併読もなにも、
読書とは違った時間が過ごせる本なのだとわかりました。
CDを一緒に購入したのがよかったようです。
聴く本なんですよね。
2人が語っていることを体感する本。
文字を追うだけなら、
速読できない私にでも3時間あれば読めてしまうでしょうが、
それではもったいない!
ちびりちびり愉しみながら、
味わいながら体感読聴を進めています。
あの有名なバーンスタインとグールドの
ブラームスのピアノ協奏曲第1番に始まり、
(バーンスタインのあのスピーチがCDに収められています)
ゼルキンと小澤征爾のベートーヴェンピアノ協奏曲第三番、
内田光子の同曲、古楽器による同曲。
一気に読み進めるのではなく、
バーンスタインとグールドのくだりを読んだら、
その曲を聴くといった具合。
大抵1回では済まなくて、2,3回聴いてしまいます。
CD3枚組の2枚目途中、
本の半分に満たないところまできました。
このちびりちびりが楽しくてたまらない!
第1楽章だけ、第4楽章だけという
抜粋されたCDなのが残念な気もしますが、
その方が対談で語られていることを
体感しやすいのかもしれません。
焦点を当てて聴くことができるので。
私は普段、交響曲をほとんど聴きません。
特に、ベートーヴェン以降の交響曲は、
響きの振幅幅や揺れが大きすぎて、
耳と心が疲れてしまうんですよね。
私の好みは古楽器やサロン向きの小品で、
耳に優しい繊細な音が好きなのです。
でも、こうして久々に聴いていると、
交響曲もいいものだなぁと。
多分、今の私が精神的に安定しているからでしょう。
ストレスを抱えているときの私は、
ベートーヴェンのピアノ曲すら、
パワーが強すぎて聴けなくなるので。
それにしても村上春樹氏がすごい。
たんに知識豊富なクラシックマニアというわけじゃないんですよね。
体感を伴ったクラシックマニアなんです。
その体感を伴った膨大な知識といったら!
村上春樹氏だからこそ、この対談が実現したのでしょう。
交響曲から学べることはたくさんあるのだと、
改めて実感させられながら、
味わい深いひとときを堪能しています♪
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2013年09月02日
平野啓一郎が選ぶ”ショパンの真骨頂”CD『葬送』
ずいぶん前に郵送されてきていたCDでしたが、
忙しくて封を開けることができず、
ようやく今日聴くことができました。
嬉しかったのはライナーノーツ。
全部平野氏が書いてくれているのですよ!
平野氏の文章が大好きな私としては、嬉しい限り。
小説『葬送』を読んで、
楽曲をアナリーゼできなければ書けない文章が多くあり、
誰か専門家に聞いたのだろうか?などと思っていましたが、
子どもの頃ピアノを習っていて、
中学の頃から自分でCDを集めるようになった、
クラシック愛好家だったようです。
小説家になると考え始めた頃から、
いずれショパンを主人公にした小説を書きたいと思っていたそうです。
20ページにも渡る平野氏によるライナーノーツは、
平野氏の誠意を感じる文章で埋め尽くされ、
ワクワクしながら読み進めました。
「選曲して軽くライナーノーツを書けばいい」ではなく、
選曲にも、ライナーノーツにも、
平野氏のこだわりが見えて、それがとても嬉しい。
このライナーノーツを読むと、
平野氏がいかにショパンについて調べ上げて、
『葬送』を書いたのかが、改めてよくわかります。
『葬送』では、極力、史実に忠実であることを心掛け、
その隙間を想像で補い、時に膨らませた。
登場人物はすべて実在であり、
その行動の日付も記録にある通りである。
これは読んでいて一目瞭然でした。
しかも、調べ上げられた史実が深くて幅広い!
ショパンと交友した1人1人の手稿まで、
調べ上げているといった具合。
ライナーノーツは、
・ショパン生誕200年
・ショパンへの興味
・小説『葬送』
・なぜ、ショパンなのか?
・ショパンの人と音楽
・EMIのショパン
といった内容に加え、
1曲ずつかなり詳細な解説が書かれています。
ライナーノーツを読んで知ったのですが、
このCD、第2弾もあったのですね。
『葬送』第2部の冒頭に描かれた、
ショパンのパリでのラスト・コンサートの再現が
テーマとなったCD。
なんて面白い企画!
早速購入ポチッです。
これまたライナーノーツも楽しみ♪ワクワクッ!
内容紹介
ショパンの長編小説「葬送」を世に送り出した芥川賞作家・平野啓一郎氏のナビゲートによるCD第2弾は、ショパンの最後のコンサート・プログラムをCDで再現する、という画期的なショパン・ファンには涙ものの企画。小説「葬送」にも登場するこのコンサートは、1848年2月16日、ショパンの20年のパリ生活における最後のコンサートとなった伝説的なもの。伝説の一夜のプログラムをCDで辿る! 注目すべきは、ショパンは自身のコンサートで、自分の楽曲のみならず、当時作曲されたばかりで話題になったオペラ、マイアベーアの「悪魔のロベール」や親友のチェリストと一緒にチェロ・ソナタやピアノ、ヴァイオリン、チェロのためのトリオなども演奏している点。 EMIの豊富な音源だからこそ実現可能な、画期的、幻想的なCDの登場! ラ・フォル・ジュルネ音楽祭2010年(テーマはショパン)のアンバサダーとしても活躍する芥川賞作家・平野啓一郎氏による完全監修・選曲・執筆! 特に読み応えのあるライナーノーツ&解説は、ここでしか読めない書き下ろし作品!
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2013年08月20日
ショパンとドラクロワ『葬送』平野啓一郎
とにかくすごい。
音楽に携わる人間、
特にピアノに携わる人間として、読まなきゃ損かも?!
第1部上下、第2部上下という長編小説ですが、
数年かけて研究論文が書けるほどの
情報収集をしたのではないかと思います。
何年か前、『弟子から見たショパン』を読みましたが、
もちろん著者も読んでいるのだろうな、という内容。
読んでいるどころか、原著で読んでいるんじゃなかろうか?と思うほど。
小説とはいえ、完全なフィクションとは思いません。
研究論文が書けるほどのバックグラウンドがあった上で、
その時々のショパンやドラクロワの心情を描いたものです。
この本、音楽本のコーナーに置かれていても、おかしくない本と思ふ。
楽器店に行けば、この本が置かれているのかな?
今第2部上巻の半分まできたところ。
何度も繰り返し読みたい本になりそうです。
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2013年07月26日
ノクターンは19世紀市民文化の音楽語法?!
アート・オブ・ノクターン(4枚組)/Nocthrnes(complete) [CD]
19世紀ノクターンを作曲したのは、
ショパンだけじゃないんですよね。
ノクターンは当時の流行りだったのデス。
このBOXセットは4枚組で、
1枚目がショパンに影響を与えたという
ジョン・フィールドのノクターン15曲。
ジョン・フィールドはロシアのピアニズムの源流。
クレメンティとともにイギリスからロシアへ向かい、
ロシアで活躍しました。
ロシア各地の貴族社会から歓迎され、
「フィールドを知らないことは罪悪である」と
一時評されたこともあったとか。
また、ノクターンという曲種を生み出したのも、
このジョン・フィールドです。
2枚目、3枚目のCDはショパンのノクターン。
このCDの魅力は当時のピアノを使っていることにもあります。
ジョン・フィールドの楽曲は1823年製のブロードウッド、
ショパン1枚目は1842年製のプレイエル、
ショパン2枚目は1837年製のエラールを使用しています。
4枚目のCDも魅力的!
19世紀の様々な作曲家のノクターンを聴くことができます。
使用楽器は1837年製のエラール。
1曲目はプレイエル。
ピアノ製作のプレイエル社を設立したイグナツ・プレイエルの息子、
カミーユ・プレイエルの作品です。
2、3曲目はカルクブレンナー。
本を読んでいるとよく出てくる有名なピアニスト。
作曲家としても活躍していたようで、
200曲ものピアノ曲を作曲しているようです。
でも、それらの楽曲はあまり知られていないですよね。
私は、聴いたことも楽譜を目にしたこともなくて、
すごいピアニストで、教育者だったらしい、
ショパンは一時カルクブレンナーに心酔したけれど、
カルクブレンナーのやり方に疑問を覚えたらしいとか。
その程度のことしか知りませんでした。
(カルクブレンナーとショパンについてはこちらをご覧ください。)
4曲目は私の大好きなクララ・シューマンの作品。
あのシューマンの奥さんですネ。
当時、天才ピアニストとして名を馳せ、
作曲家シューマンより有名だった女流ピアニストです。
10代の頃は作曲もしました。
シューマンと結婚して、
シューマンがクララが作曲するのを嫌がったため、
作曲しなくなっちゃったんですよね。
シューマンはクララよりずっと年上で、
クララのお父さんの門下生だったので、
クララはシューマンの影響をとても強く受けています。
クララの作品はシューマンっぽいところがあるんですよ。
5曲目はルフェビュール=ヴェリの作品。
初めて耳にする名前でした。
19世紀活躍した作曲家のほとんどは、
歴史に埋もれ、知られていないのです。
ウィキペディアで調べても、たいして情報が載っていない作曲家です。
オルガン奏者だったようで、即興演奏の名手として知られていたそうです。
6曲目はエドモンド・ウェーバー。
あの有名なウェーバーではありません。
いっくら調べてもどういう人なのかわかりません。(^_^;)
このCDには各作曲家の生没年が記載されているのですが、
このウェーバーにはそれすら記載されておらず。
7,8曲目はシャルル・ヴァランタン=アルカンの作品。
フランスのピアニスト・作曲家で、
ショパン同様、ほとんどピアノ作品だけを作曲した作曲家で、
超絶技巧な作品ばかりを作曲したそうです。
9曲目は近代ロシア音楽の父、ミハイル・グリンカの作品。
前述のフィールドにピアノを習った、
ロシアの源流フィールドの次世代にあたる音楽家。
作風はフィールドのものを土台としています。
10曲目はマリア・シマノフスカ。
ポーランドのピアニスト・作曲家です。
ヨーロッパ全土で精力的に演奏活動をした時期もありましたが、
その後ロシアに定住し、
ロシア宮廷のために演奏・作曲活動、音楽教育に携わりました。
11〜15曲目は、イグナシィ・フェリックス・DOBRZYNSKI。
この名前、一体なんて発音したらよいのでせう?(笑)
ポーランドのピアニスト・作曲家です。
ショパンの同級生だったようです。
今日読み終えた本に、
ノクターンのことがかなり詳しく書かれていました。
なんてタイミングの良い!!
ピアノ大陸ヨーロッパ──19世紀・市民音楽とクラシックの誕生 [単行本(ソフトカバー)]
甘美で、夢見るようなノクターンが成立した背景には、
18世紀音楽文化とはあきらかに異なる、
19世紀独特の社会のアウラ(独特の雰囲気)がありました。
フィールドのノクターンには、
背景となるいくつもの土台がありますが、
その最初のひとつとして注目されるのが、
この音楽ジャンルを生み出したサロン文化であり、
やがてたいとうする市民階層の音楽愛好家でした。
ノクターンが求められたのは、サロンや居間でした。
サロンでは聴くだけでなく、
自らも演奏者として参加したそうです。
ノクターンは夜会の雰囲気にも、
アマチュアピアニストの要求にも適っていたのですね。
この本、ノクターンについてかなりページを割いているのですが、
興味深かったのは、ノクターンの源流が、
ソナタなどの緩徐楽章にあるという話でした。
そして、遅いテンポの作品に積極的な美をみいだし、
緩慢なテンポそのものに新たな価値を見出したのが、
19世紀という時代だったのだと。
その美学を追求したのがノクターンだったのですね。
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2013年07月20日
作曲家轟千尋先生との対談
MUSICA NOVA (ムジカ ノーヴァ) 2013年 08月号 [雑誌] [雑誌]
今日発売のムジカノーヴァ8月号で、
作曲家の轟千尋先生と対談をさせていただきました。
テーマは、”演奏に生きる楽典指導”です。
轟先生が最近ご出版なさった、
楽典入門にも通じる対談となっています♪
いちばん親切な楽典入門 [単行本]
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2013年06月17日
なぜ猫は鏡を見ないか?
なぜ猫は鏡を見ないか?―音楽と心の進化誌 (NHKブックス No.1201) [単行本(ソフトカバー)]
作曲家兼指揮者の伊東乾氏の本です。
作曲家の脳内を垣間見せてくれる上、
「響き」というものについて深く考えさせられる本です。
この本の帯には、
「響き」の謎を追う
ヒトの感覚の不思議から音楽の本質へ
とありますが、まさにそういう内容の本。
私たちの生活は響きに囲まれており、
様々な要素が複雑に絡まり合い、
私たちの感覚に影響しています。
先日読んだ本に『現れる存在』という本があります。
現れる存在―脳と身体と世界の再統合 [単行本]
心はどこにあるのか?
私たちは私という存在を、何故認識できるのか?
それらを物理的な観点から語った本です。
我思う ゆえに我あり
これはデカルトが1637年に公刊した『方法序説』の一節です。
しかし、『現れる存在』の哲学はもっと複雑で現実的です。
心と身体、世界、行為の絡み合いから、
認識というものをとらえようとしているからです。
しかし、この本には「音」という概念がありませんでした。
視覚・触覚という行為はありましたが、
聴覚という行為がなかったのです。
今回読んだ『なぜ猫は鏡を見ないか?』は、
同じような視点で語られながらも、
それらを”聴く”という観点から眺めたものです。
著者のこの言葉が私を強く捉えました。
・・・そうか、「耳」は自分の「存在」を
「定位」するために造られたのか・・・
これは「目」に置き換えることもできるでしょう。
しかし、音楽をたしなむ私には、
「耳」という言葉がとても心地よく、
そして説得力を持って響いてきたのです。
遠くの音、近くの音、
外という反響のあまりない空間の音、
石造りの反響の強い空間の音、
大きな音源と小さな音源の広がりの違い、
上で響いている音、下で響いている音、
右側で響いている音、左側で響いている音・・・。
私たちの耳は、様々な響きを同時に聴き分けています。
窓を開けると、外から子どもの声が聞こえてきます。
その声は、狭い路地の家々に反射し、
広がりのあるエコーを感じる響きとして私の耳に届きます。
と同時に、今こうしてキーボードを打っている、
タタタタッというリズミカルな響きが耳に入り、
遠くの空からは飛行機のエンジン音が響いてきます。
耳を澄ますと、私が今「ここ」にいるのだということを、
はっきりと感じとれることに気づかされます。
遠い音、上の音、下の音、身近な音、そして「ここ」。
響きは空間とともにあります。
その空間を感じながら、
作曲家は作曲をし、演奏家は演奏をする。
伊東氏は作曲家であると同時に、
東大で物理学を専門にしていた方なので、
物理的なアプローチや説明がとても多いのですが、
それらは噛み砕かれたものであり、
誰にでもわかるように書かれています。
しかも、そこにあるのは頭だけの理解という、
机上のものではなく、
あくまでも「体感」に基づいたもので、
それが私の心を打つのです。
伊東氏は響きそのものを体感するために、
ロマネスク様式の教会へ赴き、グレゴリオ聖歌を歌ったり、
ゴシック建築の教会へ赴き、
聖餐式の響きを体感したりしています。
そして、作曲する際には、
聴衆の「響き」という体感を意識して作曲するのです。
そのアプローチの繊細なこと!
私はピアノを弾く時、
いつもできうる限り立体的に演奏できたならと、
願いながら練習しています。
遠くで響いている音。
右方から聴こえてくる音。
左方から聴こえてくる音。
底の方から聴こえてくる音。
前方から聴こえてくる音。
後方から聴こえてくる音。
しかし、この著者のように、
ここまで響きについて繊細に受け止めていただろうか?と。
この本を読み始めてから、
生活の中で「立体的な」響きに囲まれる自分を実感しています。
そして、それらの音を聴きながら、
私の「ここ」を認識し、自分を定位していることに、
改めて気づかされるのです。
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