2020年11月28日

「上手」は褒め言葉じゃない?!

上手だったね
頑張ってたね
あんなすごい曲よく弾けるね

いろんな褒め言葉があるけれど、これらの褒め言葉は私にとっては落ち込む原因でしかありませんでした。

音楽としては耳に届いていないんだ。
魅力がないんだ。

私にはセンスがないと思っていたのでなおさら。表現豊かな演奏とはどういう演奏のことをいうのか?私の演奏は「間違いなく楽譜通り」に弾けているけれど無味乾燥。でも、なぜ無味乾燥に聴こえるのかがわからない。なにがどうセンスがないのかがわからない。

指導者になってからもそれは続きました。テクニックがテクニックにしか聴こえない。私のテクニックは表現とは別物。切り離れされている。第一、テクニックと表現がどう一致するのかがわかっていないのだから手に負えない。

指導者になって以来、暗中模索の20年。いつの間にかテクニックと表現が一致するようになりました。ここから先はセンスがないと嘆くのではなく、一生続く自分熟成の楽しみなのでしょう。

ところで、私にセンスがなかったのは「こう表現したい」がなかったからなのかもしれません。先生に言われた通り弾けることが大切で、それぞれの楽曲には「こう表現すべき」という答えがあると思っていました。そこから外れてしまうことが怖かったし、何が外れた演奏で、何が外れていない演奏なのかの区別もつかなかった。再現音楽における自由とは何なのか?再現音楽における表現って何なのか?わからないことだらけ。自分の意見、意思を持っていませんでした。

私を自由にしてくれたもの、私に意思をもたらしてくれたもの。それは「指導者」という立場でした。楽譜を読んだとき「どんな表現ができるのか?」「どんな表現が考えられるのか?」という選択肢がないと、自由にはなれないものですね。私は生徒さんに自由でいてもらいたかった。生徒さんに自分の意見を押しつけたくなかった。

そのためには、生徒さんに表現の選択肢を提示できる能力が必要で、選択肢を提示するには楽譜を読み込む能力が不可欠でした。このとき初めて自分に足りないものがはっきりと見えたのです。

今もまだまだ自分に足りないものはあるけれど、若かりし頃のような焦りはなく、のんびりと一歩一歩を味わいながら、その時々を楽しむゆとりがあります。

20代、30代の人に伝えたい。遠くを見過ぎるのではなく、今の一歩一歩を大切に。大きな一歩ではなく、小さな一歩の積み重ねが本当の力になるものです。「こんな地道で面倒な」と思うことほどたくさんのエネルギーを注ぎ込む。そのエネルギーは40過ぎたら持てないのだから。若いからこそ必死になれるパワーというのがあって、50を目の前にした今、あのパワーは一体どこから出ていたんだろうと思います。若いってすごいこと。

とはいえ、現代の50はまだまだ若い。20代30代の若いパワーには敵わなくても、それまで積み重ねてきた素材がたんまりと手元にあるので、学びの効率ははるかにいいのです。知れば知るほど、点と点は線になりやすい。若い頃は点集めで精一杯でしたが、今は点と点が線になり、たくさんの線と線が交差する広がりの中で学んでいけます。

どうぞ「上手」を目指すのではない奥行きある歩みを大切にしてください。そこには点と点が線になり、線と線が面になる、どこまでも広がり続ける自由があるのだから。






emksan at 15:59│ ピアノ/練習&勉強