2018年03月01日

知っておきたい!トレンド古典派音楽(8)

ナチュラルホルンを得意とするプロのホルン奏者で、フラウトトラヴェルソを愛奏する古典派音楽の愛好家にして音楽事務所メヌエット・デア・フリューゲル代表の塚田聡さんに、私の興味が赴くままにインタビュー♪

知っておきたい!アーノンクール、レオンハルト、ホグウッド

 戦後のクラシック音楽は、LPレコードの普及に伴い世界のどこでも等しく聴かれる得難い機会を与えられました。そこではしかし少数の選ばれた演奏家が奏でる音楽をありがたく拝聴する、彼らの演奏が絶対的に崇拝される、という傾向をもたらしました。  
 往年の名演奏家の演奏を聴くと私も圧倒されることしばしばで、それらの演奏に対する敬意はもっているのですが、しかし、音楽とは直接関係のない、ショウマンシップから来る見得だったりはったりだったり(必ずしも悪いことではありませんが…)、余計なものが付いているように聴こえてしまうのも正直なところです。  
 そのようなところに登場したのが、厚化粧を削げ落す古楽器のアプローチでした。ピリオド奏者たちの提案は、クラシック音楽がみな権威づけられた作品ではないこと、民族音楽であったり、踊りの音楽であったり、BGMであったり、詩吟のように小声で歌われるものであったり、と多様な音楽があることをあぶり出してくれる効果がありました。


— 古楽器の研究はいつ頃から始まり、どのような経緯で現在に至っているのでしょう?

 作曲された当時の楽器を用いて、過去に関する知見を最大限に生かして演奏しようという動きがいつから始まったのか、その歴史を論じようとすれば、メンデルスゾーンやブラームスの時代にまで遡る大論文になってしまうのですが、古典派時代の作品がピリオド奏法によって今日ここまで活況を呈するようになった、その大まかな流れについて見てみましょう。
 古楽の研究は、楽器そのものの伝統が途絶えてしまった時代の楽器を蘇らせることから始まりました。ルネサンス時代の諸楽器、ヴィオラ・ダ・ガンバやチェンバロなどバロック時代の楽器。フルートやホルンなども現代の楽器とは全く異なるものだったので、それらのオリジナルの姿を復元する探求が始まります。
 楽器そのものに加えて、それらの楽器を演奏するにあたって直接関わる問題、ピッチ(A=440Hzではなかった)、音律(平均律ではなかった)の研究。そして、音楽をどのように演奏していたか。今日の演奏法とは異なるフレーズのつくり方、強弱やテンポ・ルバートについての考え方、通奏低音の奏法、装飾について、即興についてなど、連動して明かされてゆきます。
 ピリオド楽器を用いた演奏は、その初期には取り組む演奏家も少なく、説得力のある演奏をなかなか提示することができなかったのですが、アーノンクールとレオンハルトが組んでJ.S.バッハのカンタータ全集に取り組みだす頃(1970年代)から、徐々に研究の成果が演奏に結実して行くようになります。


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バッハ:教会カンタータ全集(60CD)
アーノンクール、レオンハルト、ウィーン少年合唱団、テルツ少年合唱団ほか
Warner classics 
カタログNO:2564699437


 当初、これらのオリジナル楽器による復活上演はもっぱらルネサンスやバロック時代の研究・演奏に割かれていました。そこに一定の成果が収められ、オリジナル楽器での演奏が世の中にも認められてくると、ピリオド系の演奏家が古典派の時代の音楽にその触手を伸ばしていくようになります。  
 皮切りになったのは、クリストファー・ホグウッドがピリオド楽器のオーケストラでモーツァルトのシンフォニー全集の録音を完成させたことでしょう。1985年のことです。オーケストラ団員が新しく出現したモーツァルトの姿に興奮している様子が今でも伝わってくる、新鮮さを失わない好演で、高校生の私にモーツァルトのすばらしさを教えてくれたかけがえのないアルバムです。


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1978年からピリオド楽器を用いてモーツァルトのシンフォニー全集の録音を開始したクリストファー・ホグウッド。高校時代に友人とそれらLPを夢中になって聴いたのが、私にとってのすべての始まりでした。

ピリオド系の語り口を物にしていく大指揮者たち。HIP精神溢れる演奏が現代の世界標準!

 しかし当時、世の既存のオーケストラにそのスタイルが受け入れられるなんていうことは夢にも考えられないほど、両者の陣営の間には高く硬い壁が聳え立っていました。  
 確かに、1991年のモーツァルト・イヤーに向けて録音されたウィーンフィル初のモーツァルト全集(指揮:ジェイムズ・レヴァイン)は、旧全集の楽譜を元に録音したカール・ベーム指揮のベルリンフィルの全集と比べると、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンを向かい合わせに座らせる対向配置を取り、速目のテンポ設定をとるなど新機軸を打ち出した革新的な演奏と当時歓迎されましたが、その後のモーツァルト演奏の流れの中から今振り返ってみると、なんとも中途半端な全集となってしまっています。  
 1980年代の後半になると、ピリオド楽器のオーケストラは、競うようにベートーヴェンのシンフォニー全集の録音を始めます。  
 モダン楽器の演奏家の方も最初は、訝しげにそれらの新しい動きを見ていたのですが、説得力のあるピリオド系奏者が繰り出す演奏を無視し続けるほど野暮ではなく、紆余曲折がありながらも次第にピリオド系の指揮者、アーノンクールやガーディナー、ノリントンを指揮者に迎え、彼らの語法を学び始めます。   
 そうこうするうちに大指揮者たちも次々にピリオド系の語り口を物にしてゆきます。チャールズ・マッケラス、サイモン・ラトル。そしてクラウディオ・アバドもその一人と言えるでしょう。  
 彼らスターがこれまでとは全く異なるアプローチでモーツァルトを演奏しだすと、これはどういうことだ!とその動きに遅れまいと一気に演奏改革が進みました。この改革に最後まで腰を上げなかったのは、伝統を重んじるドイツだったのですが、今、しなった弓が一気に跳ね返るように、ドイツがもっとも熱くピリオド奏法で古典派時代のオーケストラ作品を演奏するようになっています。 



ベートーヴェン シンフォニー第9番 ニ短調 作品125 パーヴォ・ヤルヴィ/ドイツカンマーフィルハーモニー・ブレーメン

 今、この演奏がベートーヴェン演奏の世界標準と言えるのではないでしょうか。このオーケストラは著名なモダン楽器によるオーケストラですが、ここではトランペットがナチュラル管を採用。ティンパニーも硬いバチを使用してアクティブに演奏しています。弦楽器への近接カメラで確認できますが、従来のような闇雲にヴィブラートをかけて、長い音に圧力をかけて、というような演奏法とは異なるベートーヴェンです。(奏者毎に必ずしも統一されているわけではありませんが)弓使いの軽やかさ・速さに注目してください。彼らはただ指揮者からの指示を受けて表面的にピリオド奏法を真似ているのではなく、スタイルを学び自分たちのものとしてから全集録音に取り組んだとのことです。まさしくピリオド系のノリントンなどの指揮者が30年前に物議を醸しつつ打ち出した演奏スタイルをなぞっている、と言っては失礼な表現かもしれませんが、いわゆるHIP(後述)の精神にあふれた演奏です。  
 ノリントンはロンドン・クラシカル・プレイヤーズというオーケストラを率いて、1980年代にピリオド楽器でもっとも早くベートーヴェンのシンフォニー全集の録音をした指揮者の一人です。ベートーヴェンの指定したテンポの固持、スピードと鋭角的なフレージングでそれまでとは全く異なるベートーヴェン像を示したことで当時大変な物議をかもしました。

ピリオド楽器は発展途上の未熟な楽器ではない?!

— モダン楽器を演奏する人はピリオド楽器を「古い未熟な楽器」として卑下しているというイメージが私にはあったのですが、それは1980年代のイメージで、今はずいぶん変わってきているのですね。

 例えば、1750年ごろ(バロック時代から古典派の時代への移行期)の一般的なフルートには、右手小指にキーが一つしかついていませんでした。管体は先に行くほどしぼむ錐形、木は柘植や黒檀などで金属に比べると相当重量が軽くなります。大きな音はしません。下の1オクターブは鳴りません。ニ長調の運指は簡単ですが、フラット系の曲にはめっぽう弱い。鳴る音があったり鳴りにくい音があったり、半音階を吹くとかなり不均一な感じになります。そのまま吹くと音程が悪く、吹く角度をいちいちつくって音程を調整しなければなりません。  
 現代のフルートはぴかぴかの金属で、大きな音で上から下まで均一に鳴らすことができ、きれいな半音階を奏でることができ、調性による得手不得手もない完璧なシステムで作られています。穴にはカバーがあるので、確実にメカニックに音を替えることができます。音は豊かで大きな会場でもすみずみまで響き渡り、ヴィブラートがかけられメタリックな輝きを放ちます。  
 しかし、木製の1キーフルートが現代の金属のフルートと比べて発展途上の未成熟な楽器かというと、バッハのフルートソナタ、モーツァルトのフルートコンチェルトが未成熟な作品ではないのと同じ意味で未成熟な楽器とは言えないのです。  
 当時の音律(シ♭とラ♯は異名同音ではなく、異名異音だった)、共演楽器(チェンバロやヴィオラ・ダ・ガンバ)との音量バランス、管体の軽さからくる高次倍音の豊かさ、発音時の明快さ、おしゃべりをするようなアーテュキュレーション、濃厚な調性感覚、不均等の価値観に根ざす音楽への相性の良さ、音の圧力よりもシェイプの似合う音響構造、音楽を需要する人々の価値観の違い、そのほかさまざまな理由により、1キーフルートでジョリベやイベールが演奏できないのと同じように、現代のフルートがバッハやモーツァルトの価値観に寄り添うのは実はとても難しいことなのです。


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18世紀半ばにつくられた1キーフルート。このシステムでバロック時代の作品はもちろんのこと、モーツァルトのフルートコンチェルトまで演奏できてしまう(塚田蔵)。

 おっしゃる通り、ピリオド系陣営とモダン楽器陣営の間には、かつてお互いを軽蔑し合う対決の構図がありました(今でもピリオド系の奏法を絶対に受け入れない演奏者がいないわけではありませんが)。  
 それが今やヨーロッパの演奏家は誰しもが多かれ少なかれHIPの精神を身につけ、楽器の持ち替えも厭わずに古典派やバロックの作品に取り組むようになっています。 (モダン楽器を使用しても)過去に関する知見を生かした演奏のことをHIP(Historically Informed Performance)と呼び、現在のクラシック演奏の重要なキーワードとなっています。  
 古典楽器のポジティブな側面に共感し、一度HIPの演奏態度に敬意を表するや、モダン陣営の演奏家の変貌ぶりは驚くほど速く、18世紀の作品に限らず、ブルックナーやヴァーグナーなど後期ロマン派の作品にもHIPの精神を反映させた斬新な演奏をするようになってきています。重くて濃厚なヴィブラートがべっとりとかかった壮麗な響き、という価値観から解放され、テクスチュアが透けて見えるような線で描かれたフレーズとフレーズの絡まり、強調された和声感、生き生きとした拍節感などが、作品に今生まれたてというような新しい息吹をもたらすことに彼らは喜びを見出しているようです。  
 現在、プロならば誰しもがHIPの語法を踏まえていることが当然、当たり前とされるようになってきました。ピリオド系、モダン系両者の垣根はかなり低くなり、どちらの楽器も演奏する達人、また曲に応じて弓や楽器を持ち替えるオーケストラも今や珍しくなくなりつつあります。  
 これは2017年春のベルリンフィルのモーツァルトの演奏です。



モーツァルト:シンフォニー 第35番 ニ長調 K.385より第4楽章 キリル・ペトレンコ/ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

 きびきびとしたテンポ、はっきりした発音、抑制されたヴィブラート、圧力よりもシェイプによる音楽づくりなど、未だ中途半端ながらも、ピリオド系の演奏家からの影響が濃厚な演奏です。カラヤンの時代には考えられなかったこの変貌を体感してみてください。
 この変革の根にはピリオド系演奏家による研究・実践が想像以上に大きな関わりをもっているということをご理解いただけたと思います。ロマン派以降にも影響力を振るうHIPの精神、またそれらが教育界にも確実に及ぼしつつある影響について、さらに引き続き次回以降見ていきたいと思います。



塚田 聡(つかだ さとし)
東京芸術大学卒業後アムステルダムに留学、C.モーリー氏にナチュラルホルンを師事する他、古典フルートを18世紀オーケストラの首席フルーティスト、K.ヒュンテラー氏に師事するなど古典派音楽への造詣を深めた。2001年に再度渡欧、T.v.d.ツヴァルト氏にナチュラルホルンを師事する。音楽事務所メヌエット・デア・フリューゲルの代表。
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