2018年01月15日

知っておきたい!トレンド古典派音楽(5)

ナチュラルホルンを得意とするプロのホルン奏者で、フラウトトラヴェルソを愛奏する古典派音楽の愛好家にして音楽事務所メヌエット・デア・フリューゲル代表の塚田聡さんに、私の興味が赴くままにインタビュー♪

モーツァルト時代のプログラム・・・シンフォニー各楽章の合間にほかの曲を演奏?!

モーツァルトの書いたディヴェルティメント ニ長調 K.344は全部で6つの楽章を持っています。管弦楽編成のセレナード〈ポストホルン〉ニ長調 K.320は7つの楽章、セレナード〈ハフナー〉ニ長調 K.250にいたっては8つもの楽章から成っています。この2つのセレナードにはさらに入退場用の行進曲まで備えられているのです。
今日、これらの作品が演奏されるのは、主にコンサート会場で、お客さんは椅子に座ってステージ上で奏でられる音楽に耳を澄ませ、全ての楽章を第1楽章から通して聴きます。楽章の合間は拍手をしないで咳払いだけ、というのがエチケットとされていますよね。

ところが、モーツァルトの時代は、第1楽章から終楽章まで順番でセットで聴かなければならないものだ、という考えは希薄でした。ディヴェルティメントやセレナードに限らず、それはシンフォニーでも同じことが言えます。 コンサートのための会場で、オーケストラがステージ上に並ぶようなシチュエーションであっても、シンフォニーの第1楽章から第4楽章まで必ずしも通して演奏されていたわけではありませんでした。今日のオーケストラの演奏会のように、序曲から始まり協奏曲があって、締めくくりに交響曲。というようなスタイルのコンサートは古典派の時代にはなく、シンフォニー(交響曲)は、第1楽章が演奏会の幕開けに利用され(「序曲」的扱い)、次に歌手が登場してコンサートアリアを、ピアノの独奏があるかと思えば、ピアノ協奏曲があり、シンフォニーの中間楽章はどこかに忘れられて、演奏会の最後に締めくくりの音楽として第4楽章のみが演奏される、なんていう、今日で言うところの「ガラ・コンサート」的な催しがむしろ普通でした。


— 全楽章セットで聴かなければならないと思い込んでいました。現在では楽章間の拍手ですらマナー違反ですから。当時の作曲家は、分割して演奏されることもあり得るという前提で作曲していたのですね。とはいえ、ベートーヴェンの各楽章の関連性を見ると、ベートーヴェンはそれを快く思っていなかったのかなと思ったり。

ベートーヴェンが交響曲というジャンルを半ば神格化させてからは、まるで交響曲というものの扱いがそれまでとは異なっていったという経緯があります。彼以降交響曲は、作曲する方もおいそれとは書けなくなったし、聴く方もある程度の覚悟をもって臨まなければならなくなりました。
でも、古典派の時代の交響曲(ベートーヴェン以前)は、概してもっと気楽なものだったのです。ディヴェルティメントと同じような感覚で書かれたものも多くて、両者に厳然たる違いはありませんでした。街のマイスターが、みんなで合奏できるものを、というような感覚で特に構えることなく、いたるところで大量に作曲されていたのです。 そういった古典派時代のシンフォニーを「交響曲」と呼ぶと、どうしてもベートーヴェン以降の殿堂入りした作品たちを想像してしまうので、「シンフォニー」と呼んだ方が実像に近いかなと思っています。

1783年3月にウィーンのブルク劇場で皇帝ヨーゼフ2世同席の元催された、モーツァルトの自主公演のプログラムをここにご紹介しましょう。編成を括弧書きで冒頭に記します。全てモーツァルトの作品で、指揮とピアノもモーツァルトが担当しました。

[オーケストラ] 新ハフナー・シンフォニー
[歌とオーケストラ] オペラ〈イドメネオ〉より「今やあなたが私の父」
[ピアノとオーケストラ] ピアノ協奏曲 ハ長調
[歌とオーケストラ] シェーナ「哀れなわたしよ、ここはどこ・・・ああ、わたしではない」
[オーケストラ] セレナード ニ長調 より第3楽章
[ピアノとオーケストラ] ピアノ協奏曲 ニ長調、ロンド ニ長調
[歌とオーケストラ] オペラ〈ルーチョ・シッラ〉より「私はゆく、私は急ぐ」
[ピアノ独奏] 即興によるフーガ、パイジェッロのオペラの主題による変奏曲、グルックのオペラの主題による変奏曲
[歌とオーケストラ] 「我が憧れの希望よ・・・ああ、汝は知らずいかなる苦しみの」
[オーケストラ] 新ハフナー・シンフォニーの最終楽章

s-ブルク劇場
ブルク劇場

ショパンなどヴィルトゥオーゾによる協奏曲はライブさながら?!

— なんとも贅沢なプログラムですね!それにしても、ハフナー・シンフォニーがプログラム冒頭と末尾に分かれ、その間にほかのオーケストラ曲、セレナードが挟まれているというのは驚きです! ロマン派時代のプログラムを見たことがあるのですが、これに似たプログラムでオーケストラ、ピアノ独奏、ピアノ協奏曲、歌が混ざった、現代では不可能だろうと思うほど贅沢なプログラムだったのですが、ひとつのシンフォニーを細切れに演奏し、なおかつ、他のオーケストラ曲を間に挟むことがあったなんて知りませんでした。


シンフォニーというと、形式が整っていて冒頭の一音から聴き漏らすことなく姿勢を正して聴かなければならない、というようなイメージがあると思いますが、当時は必ずしも全楽章が通して演奏されていたわけではなく、TPOに応じて、そこに適した楽章が選択されて、なんていうことがしばしばあったことが資料から読み取れます。
19世紀に入ると、現在のオーケストラの定期演奏会のような、いわゆる「クラシック・コンサート」が催されるようになってゆきますが、18世紀的な、「ガラ・コンサート」も、ますます発展して各地で催されていて、そこではピアノやヴァイオリンや管楽器のヴィルトゥオーゾがもてはやされ、歌手が歌い、新旧のシンフォニーが細切れに演奏され、といったような、ごたまぜの演奏会が繰り広げられていました。
そういった演奏会では、拍手が楽章間に入るなどは当たり前で、それどころか、ピアノ協奏曲でソリスト(ヴィルトゥオーゾ)が華麗な技を披露した後には、オーケストラの演奏は無視され、やんやと拍手がなったのだそうです。

ショパンのピアノ協奏曲を思い浮かべてみてください。
第1楽章の長いオーケストラによる前奏。音楽が始まったところで、お客さんもまばらにまだ着席していない人がいます。おしゃべりも静まりません。さて、舞台上を見るとソリストも登場していないではありませんか。
ピアノ・ソロがそろそろ始まろうかというころに、白い手袋をはめたピアニストが登場。その手袋をやおら聴衆に投げつけピアノの前に着席すると、劇的なパッセージからヴィルトゥオーゾの演奏が始まります。ピアニストの登場の際にはやんやの拍手、口笛も飛び交ったかもしれませんよ。客席が静まるのは、ピアニストが弾き始めようと手を上げた瞬間になります。

聴衆が注視・注聴する中で奏でられるのは甘いメロディー。ショパンの場合、ちょうど演歌調のメロディー[都はるみの「北の宿から」に似ています(笑)]から始まるのは、これは偶然ではないかもしれません。その甘美なメロディーに聴衆はいきなりメロメロ。演歌歌手のバックバンドに誰も注意を払わないのと同じことが、ショパンのコンチェルトの伴奏オーケストラにも当てはまります。(ちなみにショパンのオーケストラの書法が未熟だという意見を度々聞きますが、当時の楽器で演奏してみれば、意味のない中傷だということが分かります。決して伴奏ゆえにオーケストラを軽視して作曲していたということではありません。)

さてその後、ヴィルトゥオーゾの弾くピアノは徐々に激してゆき、パッセージが細かくなり、彼の技術の見せ場になります。右に左に動く両腕、音楽が盛り上がりトリルで最高潮に達するとオーケストラがそれをフォルティッシモで受け継ぐわけですが、ここで会場はヴィルトゥオーゾに向かって大拍手です。おそらくピアニストはここで立ち上がりもしたでしょう。花束を舞台に投げる人もいたかもしれませんね。
こんなコンサート、今でも日夜催されていますよね。クラシック音楽ではありませんが。
さてしかし、こんな音楽の受容のあり方、芸術音楽の鑑賞態度としては許せない!とムキになった人がいました。

彼はメンデルスゾーンです。
興味をもたれた方はメンデルスゾーンのピアノ協奏曲第1番の第1楽章を聴いてみてください。ピアノ・ソロは曲頭からすぐに入るため、手袋を投げる時間はありません。ピアノはクライマックスに向かって盛り上がるのですが、拍手をしようかと手を上げた瞬間にふわーっとピアノパートはオーケストラと一緒に下がっていってしまい拍手をするタイミングを与えません。また各楽章間は休みなくつながるようになっていて、楽章間にも拍手をさせません。かの有名なヴァイオリン協奏曲の第1楽章と第2楽章の間をファゴットがつなぐのも、同じ考えに基づくものと考えていいでしょう。その後第2楽章と第3楽章間も休みなくつながるように作曲されています。
このメンデルスゾーンの活躍していた、おおよそ1830年ごろから、まさに今日のオーケストラの定期演奏会のような形態でのコンサートが催されるようになってきました。その発祥の地のひとつは、メンデルスゾーンが音楽監督を務めていたことがあるライプツィヒ・ゲヴァントハウスの演奏会場です。

あ、それからショパンもパリに出てからは、メンデルスゾーンと同じような感覚(聴衆の拍手は二の次)になっていきましたよね。コンチェルトのような派手な曲を書くのを止め、広い会場での公開演奏会を避けるようになっていったのは、みなさまご存知のとおりです。

s-図1:リストのピアノ・リサイタル。
リストのピアノ・リサイタル。Adolf Brennglas の Berlin, wie es ist (Berlin, 1842) の口絵

— まさにライブですね! 静かに聴きたいという気持ちもありますが、ライブ感覚で奏者とのやりとりを楽しむというのも魅力的です。芸術音楽を聴くというかしこまったものだけでなく、クラシックにもこのようなライヴ感覚のコンサートがあってもいいですよね。

今でも「クラシック・コンサート」の会場は社交の場を兼ねているのですよ。日本では外来のオーケストラのコンサートはチケット代がとても高く、元を取らないととばかりに、クリティカルに一音一音を聴き漏らさないよう、舞台上を睨むように音楽を聴く人が多いでしょう。けれど、ヨーロッパで演奏会場に赴くと、お客さんはくつろぎ楽しむために演奏会に来ているのだ、ということを見せつけられ、ハッとさせられるのです。
アムステルダム・コンセルトヘボウ・オーケストラの定期演奏会に一年間通い詰めたことがありますが、演奏会前は会場内のあらゆるところで知人同士での再会を祝したビズ(挨拶のキス)の嵐、休憩時間は全員がロビーに出ておしゃべりを楽しみます。演奏を聴くのはどちらかというと二の次という感じでした。また、オーケストラの団員いわく、「サントリーホールが世界で一番緊張する」とのこと。実際に本場のコンセルトヘボウ(オランダ語でコンサートホールの意味)で聴くよりも、サントリーホールでの演奏の方が数段引き締まった演奏を聴かせてくれます。

ソナタ形式の物語性を楽しんでみる

さてしかし、古典派の音楽は「均整美」を求める音楽でもあります。
古典派の時代に確立されたジャンルに、器楽作品の「ソナタ」と「シンフォニー」があります。
シンフォニーの初期のものはイタリアの序曲に端を発する急-緩-急と短くまとめられた3楽章制のものが聴かれましたが、序破急の呼吸で整えられた形式美を見せてくれるものが少なくありません。ソナタは、緩-急-緩-急のバロック時代の教会ソナタが古典派時代のソナタに受け継がれてゆく中で、各楽章間には調性や主題の関わり、また共通の動機をもつなど、密接な関わりをもった作品が生み出されてゆくようになります。
シンフォニーはその後ウィーンで踊りの楽章(メヌエット)が加えられ、4楽章制になってゆき、徐々に規模が大きくなり、4つの楽章からなるシンフォニーがいよいよ確立されてゆくことになります。

最初と最後の楽章は「ソナタ形式」をとることが多く、中間には、「二部形式(簡易なソナタ形式)」や「変奏曲形式」などの緩徐楽章と、踊りに端を発する3拍子の「メヌエット」が置かれるのが通常のスタイルとなってゆきました。

ソナタ形式は、物語を紡ぐのと同じように「起承転結」のような定型をもった形式です。深く掘り下げると尽きせぬ面白さがありますが、理解する上で決して難しいものではありません。
繰り返し提示されるテーマを男性のいかつい主人公、スノブな女性主人公、彼らを取り巻く脇役たち、のように勝手に置き換えてみるといいかもしれません。ソナタ形式はドラマです。平和だったところに不穏な空気が流れ込んでくると、とらえる人によってはそれを不吉な知らせと感じることもあるでしょう。また人によってはそれを嵐にもまれる舟に例える人もいるかもしれません。
感じることは各人の自由なファンタジーに委ねられています。私はその強要しない想像力が膨らんでゆくところが、ソナタ形式などでつくられた器楽作品のすてきなところだと思っています。

どんな曲でも、そんな物語を紡ぐことができるのですが、初めてそんな自分だけの物語をつくってみたい、なんていう人におすすめしたいのは、メンデルスゾーンの序曲〈フィンガルの洞窟〉です。
この作品のソナタ形式は型通りにつくられていて古典的で短くしまっていて、とてもよくできています。何度も繰り返される冒頭の動機は、ハーモニーによってさまざまに色どられてゆきます。つねに裏で奏でられるさざ波は、実際の海の波やうねりと置き換えてもいいし、心の揺れと感じてもいいでしょう。第2主題のうっとりとする歌謡的な旋律は、提示部では雄弁に歌いますが、再現部では2本のクラリネットにより黄昏的に奏でられます。聴く人は、この作品のタイトルの通りに自然描写をしてもいいし、ある主人公の心の中の葛藤を描いてみてもいいでしょう。最後に寂しくフルート1本で終わるこの曲に、自分だけの物語をつくってみてはいかがでしょう。この色彩豊かな音楽は、聴く者に湧き上がるさまざまなファンタジーを許容してくれるのです。

ソナタ形式を理解するために、まずはその物語性を楽しんでみる。登場人物が加わったり入れ替わったり、表情がころころと変わったり、とドラマを楽しむ感覚で鑑賞してみてはいかがでしょう。ソナタ形式の雛形はありますが、古典派の作曲家はおのおの、そこからの逸脱を楽しみながら曲作りをしています。慣れてくると、「お、ここでそう来るか!」なんて独り言を言いながら楽しめるようになってきます。そうなるとしめたもの。古典派の無限の楽しみが眼前に広がってくることでしょう。



塚田 聡(つかだ さとし)
東京芸術大学卒業後アムステルダムに留学、C.モーリー氏にナチュラルホルンを師事する他、古典フルートを18世紀オーケストラの首席フルーティスト、K.ヒュンテラー氏に師事するなど古典派音楽への造詣を深めた。2001年に再度渡欧、T.v.d.ツヴァルト氏にナチュラルホルンを師事する。音楽事務所メヌエット・デア・フリューゲルの代表。
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