2017年11月19日

知っておきたい!トレンド古典派音楽(2)

ナチュラルホルンを得意とするプロのホルン奏者で、フラウトトラヴェルソを愛奏する古典派音楽の愛好家にして音楽事務所メヌエット・デア・フリューゲル代表の塚田聡さんに、私の興味が赴くままにインタビュー♪

トランペットは特別な楽器。楽器によって報酬が違う?!

— 食事の際のBGMについてお伺いする前に、当時の音楽家についてお教えいただけますか? というのも、バッハ一族やクープラン一族というように、私の中では音楽家というのは家業のようなものというイメージがあったんです。
ところが、前回のお話しだと音楽に専念するのは楽長だけで、それ以外の音楽家は庭師だったり会計係だったり。《古典派シンフォニー百花繚乱》に取り上げられているコジェルフも、靴職人の家に生まれていますよね。

日本もそうですが、封建社会の名残がまだ残っていた時代、なかなか自分から職業を選択することはできませんでした。作曲家も楽器製作者も一族の中で継承されてゆくことが多かったのは確かです。作曲の才能は遺伝的要素もかなりものを言いますから、理にかなっているわけですが。 楽器製作者でも、その一族の系譜に入るための熾烈な戦いがあったのですよ。
どんな年増だろうと、子供が何人もいる寡婦だろうと、とにかく親方の娘と結婚しなくちゃ、ということで、18世紀フランス最大のフルート製作家のトマ・ロットは、義理の叔父にあたるデレラブレが亡くなった7ヶ月後にその婦人と結婚。トマの弟マルタンは、義理の姉の元夫との間にできた娘と結婚。なんていう例があります。優秀な徒弟と娘を結婚させて家系をつないでゆくのは親方にとっても重大な関心事でした。

演奏家の実情はというと、オーケストラのトッティ奏者などは、半分アマチュアのような兼業音楽家が担う場合が現実的には多かったのですが、トランペットのような片手間では扱えない楽器の場合は、専業の奏者が担当しました。当時のトランペットは無弁で大変高度なテクニックが求められたのです。トランペット奏者はギルドのようなマイスター制度をつくり、親方から弟子へと秘伝の技術を伝えていました。彼らは町楽師として市参事会などに高額の給料で雇われ、教会音楽を司り、教会の塔から時を告げる役を任されていました。


s-トランペットアップ

古典派時代のトランペット 斎藤秀範氏所蔵


— 楽器によっても異なったのですね!宗教音楽の場合、トランペットは神というか、天を表現する特別な楽器という印象がありますが、待遇も違っていたのですね。楽器によって待遇が違ったというのはとても興味深いです。トランペット以外にマイスター制度があった楽器はありますか?

古典派の時代より遡りますが、トランペット奏者は強力な同職組合をつくり、特権を絶対的なものとし、他の楽器奏者と差異化してトランペット使用の独占権を保持したということです。また、16世紀から中央ヨーロッパで郵便事業を牛耳っていたトゥルン・ウント・タクシス家はポストホルン使用の独占権を皇帝から得て、そのポストホルンを吹き鳴らすことにより夜でも市門を開かせ通行税なしで通る特権を得るなどしました。
18世紀になると、シュタットプファイファー(街の吹奏手)、遍歴の楽師など、様々な身分の楽師たちが次第にまとまりを見せ、オーケストラなど大きな編成が組まれるようになり、それがそういう身分制度を次第に分解されていくきっかけになったのだと思います。

18世紀の末になってパリにコンセルヴァトワールがつくられるまで、正式な音楽大学はなかったのですが、各地にあった聖歌隊、ヴェネツィアでヴィヴァルディが司祭をしていた女子孤児院などの施設と並び、教会にはカントル(キリスト教音楽の指導者)がいましたので、音楽的な才能を顕すこどもが、教育を受ける機会は意外とあったのではないでしょうか。

ところで話はちょっと変わりますが、ポップス系の人たちって、楽譜をまじめに読んでギター弾いてる人なんていなくて、コードを鳴らしながら自然にちょっとした作曲をしていますよね。
古典派の時代は、今から見ればクラシック音楽とひとくくりにされてしまっていますが、その時代に生きていた彼らからすれば、音楽は生きたポピュラー音楽だったわけです。楽譜も読めず、でも即興で歌が作れて、よく分からないんだけどギターやヴァイオリンや鍵盤楽器がそれなりに弾けて、その中の秀でた人、恵まれた境遇にあった人が、作曲家の先生の元を訪れ修行を積み、五線譜が書けるようになり、そこからシンフォニーやオペラに筆を染められるようになる人が出てくる、といったような例も普通に見られたのではないでしょうか。

バロック時代の楽譜はまるでジャズ!古典派時代も即興は当たり前?!

— なるほど。バッハ一族やクープラン一族、モーツァルトの英才教育などで、音楽教育は当時特別な環境にある人だけが学べたという凝り固まったイメージがあったのですが、教会や孤児院など音楽を学ぶ機会はいろいろとあったのですね。
確かに、今の私たちにしてみれば古典派音楽ですが、当時の人々にとってはポピュラー音楽だったわけで、楽譜は読めないけれど「楽器が演奏できて即興もできる」という人がいたのは、自然なことのようにも思います。ところで、この「即興ができた」というのはキーワードのような気がしますね。


基本的に演奏する人は簡単な即興的な演奏はできたでしょうし、それができることが音楽家として最低限に求められてもいました。当時の音楽教本に「勝手な即興で作品を必要以上に華美にしないように」なんていう注意が随分書かれています。そんなことから類推するに、楽譜を読んでそれを忠実に音にしてゆく現在のクラシックの演奏家像よりも、創意工夫で新たな作品を生み出してゆくジャズメンやポップス系のひとたちの方がどちらかというと当時の音楽家に近かったのではないかと想像するのです。

私たちが中学生や高校生だった時、クラスにギターをもちこみ、流行りの歌や、また即興で怪しい歌を歌っていた友達はいませんでしたか?ウクレレを持っていくと、ちょっと貸してみろと、その場で即座にコードを並べて弾きまくる彼らを見て、「楽譜がないと何もできない自分と比べ、彼らの方が音楽家としてはずっと上だな」と羨望の眼差しを送ったものです。


— 即興についてはアマチュアだけでなく、モーツァルトも即興の名手でしたね。当時の演奏は即興ありきで、作曲家もそれを前提に作曲していたと考えてよいのでしょうか?

s-塚田さん楽譜

譜例はバロック時代のイタリアの作曲家F.ジェミニアーニ(1687-1762)が作曲したフルートソナタの緩徐楽章、冒頭の6小節間です。バスに数字が振ってあります。バロック時代を別名「数字付き低音の時代」、もしくは「通奏低音の時代」と言うのはご存知のところ。通奏低音を担う楽器は、書かれてあるバスの音符を弾くチェロやヴィオラ・ダ・ガンバと、その音に和声を補いつつ音楽に推進力を与えたり、カラーを添えるリュートやチェンバロなどの楽器がペアになって演奏します。旋律楽器(フルートやヴァイオリンなど)は、上段に書かれている音符を演奏するのですが、この旋律線は、作曲家による提案=ガイドラインでしかありません。時にはこの書かれてある譜面から大きく外れても、演奏者自身が即興で演奏することが当然というのが作曲家にとっても自明のことでした。

バロック音楽のこの演奏形態は、コードネームと旋律が書かれただけの譜面を頼りに即興を繰り広げるジャズと基本的に変わるものではありません。楽器編成も、ジャズにおけるベースは、バロックではコントラバス、チェロ、ヴィオラ・ダ・ガンバとなり、ピアノはチェンバロ、リュートと対に、サックスフォーンやトランペットなどの旋律楽器は、ヴァイオリンやフルート、オーボエと対になります。ドラムスは?バロック音楽にもドラムスはいます。チェンバロやリュートが時に激しくリズムを刻み音楽を推進してゆく様はドラムスの役割との共通点を見ることができますよね。

特にイタリアスタイルのバロック音楽において、作曲家は演奏家の手があって初めて作品となるということを承知の上で作品を書いていました。クラシック音楽は音符を忠実に再現することが求められる芸術だと思われがちですが、バロック音楽はそういった価値観からは離れるジャンルなのです。

バロック時代に続く古典派の時代。ハイドンにもモーツァルトにもバスに数字を書いている例がいくつもあります。モーツァルト自身が弾き振りをしたピアノ協奏曲では、オーケストラだけの前奏や間奏の部分にもピアノが入り、通奏低音を奏でつつオーケストラを導く役が演じられました。 ハイドンやモーツァルトのソナタでは、特に繰り返し時に即興を入れて楽しむ習慣がありました。初回と同じものを演奏しても意味がありませんから、繰り返し時には、変奏というほど装飾を入れる例があったのです。モーツァルトのお父さんのレオポルトが、ヴァイオリン教本で、「原曲が不明になるほどの即興は慎むべし」という内容の不満を述べているところをみても、当時いかに即興がなされていたのかが分かります。


— 古典派時代においても、ベートーヴェンの出現までは即興が当然のことだったということですね。モーツァルトの場合は父親であるレオポルトがいうように、原曲が不明になるほどの即興はしない方がモーツァルトの意に叶っているのでしょうけれど、まったく即興しないというのも、これはこれでモーツァルトの意に叶っているとは言えないのかな、なんて思ったり。私は即興にライブ感や生命力を感じます。

それにしても、当時は兼業音楽家というアマチュアと、作曲や演奏だけで食べていけるプロがとても近い関係にあったのですね。アマチュアといえども兼業音楽家として活躍できたわけですし、アマチュアとプロの境目があまりないというか。


中嶋さんがおっしゃるように、J.S.バッハやW.A.モーツァルトのような同族間、家族間での音楽教育にかなうものはなかったことは史実が証明しているところで、音楽教育は密接な徒弟制度がものを言うものであることは間違いのないところですね。
18世紀後半の古典派の時代、大規模なオーケストラを組織する時は、軍楽隊の楽師であるオーボイステン(笛吹きたち)や、先述の町楽師などが臨時に雇われて、アマチュアに混じって館に集まり演奏する、なんていうのが一般的だったのではないでしょうか。
普段の食事のBGMは兼業音楽家の演奏で、晴れの場では専業音楽家にも集まってもらって演奏会を催す、なんていう形の貴族が多かったと思います。このアマチュアの席は、のちに文字通り、ディレッタント(音楽愛好家市民)に門戸が開かれてゆくようになります。

18世紀も後半になると、啓蒙思想の恩恵で各地に学校、もしくは教育施設がつくられるようになり、ボヘミアではイエズス会の学校が熱心に音楽教育をしたおかげで、全く音楽と関係のない家柄の子供が才能を著し音楽家に育っていくという例がたくさん見られました。コジェルフなどまさにこの教育システムがなかったら靴職人になり人生を終えていたかもしれませんね。



s-テレマン即興楽譜
この楽譜はG.Ph.テレマンの作曲した「メトーディッシェ・ゾナーテンMethodische Sonaten」の初版譜の一葉です。一般にバロック時代の作曲家がソナタを作曲するにあたって書いたのは1段目(旋律)と3段目(通奏低音)のみになりますが、この「メソードのソナタ集」では、その譜面をどのように即興で装飾して演奏するのかの一例を2段目でテレマン先生自身がお示しになられています。
ハンブルク市民に仕える「音楽の師匠」と自らを位置づけていたテレマンは、このようなメソードをいろいろ工夫しながら示してくれました。アマチュア(愛好家)がいかに音楽を楽しむか。 彼のリコーダーやフルートのソナタを演奏すると、技巧的に書かれているのですが、がんばって努力すると吹けるようにうまく書かれているのです。演奏して楽しい、聴いても「おー」と思う。「そんなの吹けてすごいね!」と褒められる、でもプロしか吹けないような超難曲ではない。誠にうまい塩梅で書いてあり、これは涙が出るほどです。(塚田)



今回は予定変更で、前回話題になった当時の演奏家についてのお話しをさらに深くお伺いすることになりました。次回は、予定していた食事の際のBGMなど、機会に応じた音楽についてインタビューしていきます。


塚田 聡(つかだ さとし)
東京芸術大学卒業後アムステルダムに留学、C.モーリー氏にナチュラルホルンを師事する他、古典フルートを18世紀オーケストラの首席フルーティスト、K.ヒュンテラー氏に師事するなど古典派音楽への造詣を深めた。2001年に再度渡欧、T.v.d.ツヴァルト氏にナチュラルホルンを師事する。音楽事務所メヌエット・デア・フリューゲルの代表。
・ディスコグラフィ・
ナチュラルホルン〜自然倍音の旋律美と素朴な力強さ
森の響き 〜ドイツ後期ロマン派・ブラームスの魅力〜
・ホームページ・
ラ・バンド・サンパ
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