2016年03月11日

大槌町&南三陸の先生より

今日、電子ピアノ支援で出会った被災地の先生方から、
メールをいただきました。
ご了承を得ることができたので、
こちらにご紹介させていただこうと思います。

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【大槌町の先生より】

震災後、初めて一人で過ごす3月11日です。
テレビを見ながら、こんなにたくさんの人が助けてくれて、
頑張っているんだ…と何度も胸がいっぱいになりました。

〜中略〜

でもなんとなくピアノには向かえず…。
どういう感情なのか…自分でもよくわかりません(^^;
中嶋先生がこちらに来てくださったとき、
実家の窓から外の風景を撮っていかれましたよね。
それをふと思い出し、同じ場所から撮ってみました!

大槌町写真


変わったの、わかります?
遠くに赤い鉄骨、見えます??
水産加工の工場ができるんだそうです。
そのとなりにも、工場ができる予定です。
その鉄骨の奥の方は、たくさんのクレーン車やトラックが。
盛土しています。

今年の秋には子ども達の学校ができます!
その前に、今月末には新校舎への通学路となる橋が開通します。
朝、子ども達を学校に車で送るとき、
昨日とは道路が違うことにびっくりすることがあります(^^)
働くおじさん達、すごいです!

復興がなかなか進まないとよく聞きますが、
私は日々少しずつ進化していく様子を楽しみにしています。
もうすぐ幼稚園生が来ます♪
癒してもらいます〜(*^-^*)
子ども達のそばにいられるこの仕事に感謝です。


〜 2012年の写真 〜

私が伺った際に、
同じ位置から撮らせていただいた写真です。
家の中に標識やら何やら、
いろんなものが流れ込んだとのことでした。
このとき窓は付いていましたが、
ふすまなどが不足していて手に入らず、
ベニヤ板が収まっていました。

この頃はまだ、信号機も街頭もなく、
夜になると真っ暗で、
怖くて歩けないとのお話でした。


大槌町


ten3141

【南三陸の先生より】

毎年3月11日は町の追悼式に参加していましたが、
今日はどうしてもレッスンを休めないため、
娘と二人で、主人の両親のお墓参り、
そして、娘が避難して助かった場所に御礼参りに行って来ました。

海のそばの小学校にいた娘は、
あの日地震のあとすぐに先生方の判断のおかげで、
高台の神社に避難して助かりました。
その神社には、記念碑が建てられていました。
今日で五年。。今年はなんだか、ずしんときます。

s-南三陸2

s-南三陸3

未来の人々へ
「地震があったら、この地よりも
          高いところへ逃げること」
二〇一一年三月十一日午後二時四十六分、
東日本大震災発生、マグニチュード九・〇の超巨大地震により、
約四十分後、予想を遥かに超える巨大大津波が押し寄せ、
最高水位が本記念碑まで到達した。
ここ五十鈴神社に戸倉保育所の園児十八人、
戸倉小学校の児童九十一人の他教職員、
地区住民等百九十人余りが避難し一夜を明かして難を逃れた。
太平館高台、古舘高台に避難した地区住民は安全であったが、
戸倉中学校や五十鈴神社下の宇津野高台他に避難した住民に
多数の死者・行方不明者が出た。



s-南三陸1


↑ ここは、娘の戸倉小学校があった場所です。
写真はこの近くの高台の神社から撮りました。


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emksan at 17:03│TrackBack(0) 東日本大震災支援 

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