2013年11月12日

スペクトラムを感じたい

自閉症スペクトラムという言葉がありますが、
「スペクトラム」というのは連続体という意味です。
例えば虹。
赤から紫に変わるその境界線ってはっきりしていませんよね。
赤からちょっとずつ変化して、
気付くと紫になっている・・・みたいな。


あきらめないで! ピアノ・レッスン
 ~発達障害児に学ぶ効果的レッスンアプローチ~ [単行本]

(ヤマハミュージックメディア)


この本の第1章に、
自閉症スペクトラムの子の個性を知るとして、
これまで私が関わってきた生徒さんを通して、
以下のような具体的アプローチを書きました。


ゞ饌療に伝える
∋覲个冒覆┐
新しいことへの不安を取り除く
ご萎主義な子へのアプローチ
イ海世錣蠅龍い子へのアプローチ
β親阿了劼悗離▲廛蹇璽
Т恭舒枉錣ある子への理解
┸臾屋枉錣ある子への理解
おかしくない状況で笑う子



ここで私が注目していただきたいなぁと思うのは、
”障碍名でくくった書き方をしていない”という点です。

自閉症スペクトラムの中には、
いわゆる自閉症のほかに、
広汎性発達障碍やアスペルガー症候群などがあり、
知的障碍を伴っていたり、伴っていなかったり、
特徴の度合いも重度から軽度までと様々ありますが、
私はそういった診断名を通して、
生徒さんの個性を理解しようと努めているわけではない、
ということなんです。

その理由はまさに、
「スペクトラム」だからという気がします。
赤が紫に至るには、
様々な混合率の赤と紫の中間色があるわけで、
赤と紫の間に存在する中間色ひとつひとつに、
色の名前をつけるなんて不可能なんですよね。

しかも一口に紫といっても、
絶対的にコレ!という紫はないんじゃないでしょうか。
人が紫と感じる紫には、
いろんな種類の紫がある、ということです。

障碍のない定型発達児と、
発達障碍児の間には、
グレーゾーンと言われ、
診断名がつかない子の存在があります。
スペクトラムに境界線を設けるのは、
とても難しいことなのです。

また、発達障碍と診断されたからといって、
発達障碍は絶対にコレ!と、
ひとくくりにできるわけではありません。
紫にいろんな紫があるように、
発達障碍にもいろんな発達障碍があるのです。

そのため、私が着眼するのは診断名ではなく、
この本の目次にあるようなひとつひとつの特徴となります。
どういう特徴が見られるのかということだけでなく、
この特徴は強く見られる、
この特徴はほんの少しだけ見られるといったように、
それぞれの子によって異なる度合いにも着眼します。

こういう視点でレッスンすると、
障碍の有無という境界線が必要なくなるんですよね。
境界線がなくなると、レッスンがとてもしやすい。
境界線に合わせてレッスンするのではなく、
一人ひとりの個性に応じたアプローチができるからです。

ところで、発達障碍の特徴というのは、
異質なものではなく、
私たち一人ひとりに内在しているものと感じます。
もちろん、赤と紫は別の色ですが、
赤と紫の中間色だけが、
赤と紫の共通点を持っているわけではなく、
赤の中には紫の共通点が、
紫の中には赤の共通点があるんですよね。

私は自閉症スペクトラムの子のレッスンをしていて、
「わかるわかる」と気持ちを共有できることが、
たびたびあります。
もちろん、私はその気持ちを自己コントロールできますし、
社会生活を送る上で困るほどのものではありませんが、
それでも自閉症スペクトラムの子に共感することはできるのです。

障碍のない定型発達の子にレッスンしていて、
自閉症スペクトラムの子との
共通点を見出だすこともよくあります。
基本的に、自閉症スペクトラムの子へのアプローチは、
幼児から小学中学年の子どもにとっても、
わかりやすいアプローチとなるからです。

先程ご紹介した本の目次にあった、
「具体的に伝える」にしても、
「視覚に訴える」にしても、
どんな生徒さんにも伝わりやすいアプローチです。
障碍のあるなしはスペクトラムなのだと、
実感させられます。


・・・・・こんな風に昨日から、
ぼぉんやりあれこれと考えていたのですが、
スペクトラムって、
大人と子どもについても言えることなんだなぁと、
ふと思いました。


大人と子どもの境界線って?


そんなものないんですよね。
子どもの中に大人っぽい一面を見出だすこともあれば、
大人の中に子どもっぽい一面を見出だすこともあります。
子どもから大人に至る道のりは、
とてもぼんやりしていて、
ここからが大人!なんて目に見える境界線があるわけじゃない。

相手が大人だから、子どもだからと、
境界線を引いてレッスンしているかというと、
私はそういう境界線を引かずにレッスンしているんだなぁ、
と思ったのです。

ネットでセミナーの第2回は、
「心の扉を開く」ということがテーマでしたが、
これって大人も子どもも関係ないんですよね。
生徒さんとの信頼関係を育むには、
大人であれ子どもであれ、
生徒さんが先生に対して心を開いてくれなければ、
レッスンは上手く運んでいきません。

生徒さんの心の扉を開きたいと思ったら、
子どもに限らず、
ネットでセミナー第2回でお話したアプローチが
必要になってくるのだろうと思います。

もう小学3年生になったんだから。
もう小学5年生なんだから。
もう中学生なんだから。
もう高校生なんだから。
もう20歳なんだから。
もう30歳なんだから・・・etc.

人はいろんな境界線を引きたがるものですが、
ここに書いた「もう」という境界線は、
あくまでも社会を形成する上で必要とされる、
利便的な枠組みでしかありません。

世界には、年齢を数えない民族もあるようですね。
自分が何歳なのかを知らない民族。
年齢で人の個性をくくらない社会もあるということ。
私はこれって、
すごく自然な形で「スペクトラム」を
受け入れた社会なのだなぁと思うのです。

どこの国だったか忘れましたが、
船の上で生活する村があり、
そこの子どもはボートに乗って学校へ通います。
そのため、学校へ入学する条件は
「泳げること」なんです。
泳げない子は学校へは入学できないため、
同じ学年の子でも、年齢はまちまちです。

それぞれの社会によって、
引かれる境界線は異なってきます。
それは、もともと人間の成長というものが、
境界線のないスペクトラムなものだからなのでしょう。

ピアノのレッスンというのは、
こういった境界線を引かなくてもやっていける、
とても魅力的な世界と感じています。
学年という枠組みがいらない。
年齢という枠組みがいらない。
障碍のあるなしという枠組みがいらない。
だって、1対1という関係で繰り広げられるものなのですから。

複数名を指導する際、
ある程度の境界線は必要になってくるでしょう。
しかし、ピアノレッスンは個人が相手。
これは、私がこの職業に一番魅力を感じているところです。
スペクトラムを実感しながら、
1人ひとりの個性と向き合うことができる、
とても魅力的な職業。

利便的な境界線なく、
スペクトラムに応じた人間関係は、
肩の力がフッと抜けて、
自然体で心地よい♪


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emksan at 11:04│TrackBack(0) ピアノ/レッスン | 障碍&幼児

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