2013年10月03日

あの日私は・・・

あの日、私はワイドショーを観ていました。
大きな揺れに襲われたのち、
地震速報、大津波警報に続く、津波の映像。
幼い頃から馴染みのある田んぼの風景が
みるみるうちにどす黒い津波に覆われていく中、
「高台に逃げてください!」という逼迫したアナウンサーの声。
あの景色のどこに高台があるというのか? 

この日主人は帰宅難民となり、
帰ってきたのは翌日の昼過ぎでした。
会社は1週間休みとなり、
被災地とは遠く離れた関東にあっても、
震災を肌で感じることとなりました。

主人と私は仙台出身です。
義父は秋田出身ですが、主人は仙台で生まれ育ちました。
3人とも仙台の知人が心配で、
何もできない苛立ちを覚えていました。
私は一日中パソコンに向かい、
被災地の方々に向け、
被災地の情報をブログにアップし続けました。
それがその時の私の慰めだったのです。

あのとき、何もできない焦燥感に襲われたのは、
私だけではなかったのではと思います。
落ち着きどころのない、やり場のない気持ち。
一体この思いをどこにぶつけ、どう消化したらよいのか?
私はこのやり場のない思いを、
ブログ更新と支援金の寄付という形でなんとか消化し続けました。
食糧や日用品の支援、自立支援活動をしている知人への支援金。

その後、岩手県宮古市のピアノ指導者と繋がることで、
楽器支援が始まりました。
消化したくても消化しきれなかった思いをぶつける
“何か”が見つかったのです。
支援活動は、そんな私の気持ちを消化するためのものでした。
支援を受けるということは、心苦しく辛いことです。
しかし、被災地の先生方はその思いを乗り越え、
私のこのやり場のない思いから生まれた支援活動を、
受け入れてくださいました。
感謝するのは私の方なのです。

震災は、本を出版して間もない頃のことでした。
本の収入は、もともと私の人生設計にはなかったものなのだから、
すべてを支援金に使いたいと主人に話しました。
主人は快く応じてくれました。
こうして、このやり場のないどうしようもない辛い思いを、
私の自由に楽器支援や自立支援に向けることができるようになりました。

しかし、半年経っても1年経っても、
このやり場のない辛い思いを拭い去ることはできませんでした。
一体私に何が起きたというのか。
私の日常生活は元通りになっていたというのに、
気持ちが日常についていけなかったのです。
楽器支援に没頭することで、なんとかやり過ごしていました。

被災地にはたくさんのすれ違いがありました。
私と知人の間にですら、すれ違いはあったのです。
私の知人たちは津波被害を受けなかった地域に住んでいました。
そういう地域の人は、たとえ友人であれ「大丈夫」と答えます。
自分たちだけでなんとかなると。
義父は、知人に支援の品となる食品を送ったところ、
お礼の品が返ってきて恐縮していました。

知人とですらすれ違いが生まれてしまうのに、
その知人を支えることもできないまま、
楽器支援や自立支援に向かうことに矛盾を感じていました。
でも、他人だからこそできることというのがあるんですね、きっと。
今ならそう思うことができます。
あの頃は、自分の中に矛盾を抱えているようで、
それがとても辛かった。

楽器支援を通じて、
生徒さんを思いやる被災地の先生方の
多くの愛情に触れてきました。
果たして自分が被災したとき、
ここまで生徒さんのために尽くすことができるだろうかと思うほど、
先生方の愛情は豊かで無償のものでした。

すべての生徒さんの支援が終わった後に、
実は自分もピアノが流されたのだと、
ご自身のための電子ピアノ支援要請をくださった先生。
生徒さんの要望に応え、
仮設から出張レッスンを開始した先生。
近くの公民館でピアノや合唱をボランティアで教え始めた先生。
レッスン料が払えなくなった生徒さんに無償でレッスンする先生。

助けられたのは私の方でした。
あのやり場のなかった気持ちを救ってもらっただけでなく、
たくさんのあたたかな繋がりを享受しました。
楽器マッチングは100台を超えました。
購入した電子ピアノは60台以上になります。
こじんまりとした支援活動になるだろうと思っていた
私の想像を遥かに凌ぐ、多くの出会いに恵まれてきました。

ここにはたくさんの支援者との出会いがあります。
私に負担がかからないようにと、
心を尽くしてやりとりしてくださる方々がたくさんいらっしゃいました。
支援にご協力いただき、感謝するのは私の方なのに、
「支援できる機会を作っていただき、感謝しています。」と、
逆に感謝の言葉を述べてくださるのです。

多くの方々の共感が、私を支え続けてきてくれました。
やり場のない気持ちを支援という形でなんとか消化したいという気持ち、
何かせずにはいられないという焦燥感の共有。
そこには「してあげる」「してもらう」という利害関係ではなく、
「同じ気持ち」という共感がありました。

団体ではない、こじんまりとした個人的な支援活動ではありますが、
こうした多くの方々の共感に支えられ、
1人という寂しい思いを抱えることもなく、
ここまで活動を続けてくることができました。
がむしゃらに無我夢中で支援活動に没頭した2年を経て、
支援要請が減ってきたこの半年。
少し遠目でこの活動を眺める余裕が生まれてきたようです。

今日久しぶりに支援報告を更新しました。
震災後の自分をこんな風に振り返ったのは、
初めてのことかもしれません。
支援報告表を上から下までスクロールしながら、
改めて多くの方々に支えられてきたのだと、
感謝の気持ちが込み上げてきました。
私はその気持ちに応えられているでしょうか?

一歩一歩地道に誠実に、自分を見失うことなく、
自分が信じられる道を歩んでいけたなら、そう思います。


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emksan at 18:33│TrackBack(0) 東日本大震災支援 

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