2013年10月02日

楽器支援のその後

楽器支援、細々とではありますが継続しています。
仮設に楽器が置ける、
仮設を出ることができたなど、
支援要請を出せる状況にある方々へは、
ある程度楽器が行き渡ったのだろうと感じています。
そのため現在は、支援要請が激減しています。

数か月くらい前から、
今は「待ち」の支援なのだと感じるようになりました。
支援要請を受けられない状況にいる方々が、
支援要請が受けられる状況になるまで、
「待つ」ということです。

現在はたまに入る支援要請に、
応えるという形に落ち着いています。
みなさんからいただく支援金を、
ずっと私の懐に貯めたままというのは心もとないので、
常に支援金を募るのではなく、
支援要請が入るたびに、
そのための支援金を募るという形に変更しました。

先月樹原涼子先生から、
ピアノランドフェスティバルで募った支援金があると
声をかけていただきました。
まるで運命のようなタイミングで、
岩手県宮古市の保育士さんから支援要請が入り、
その方に支援させていただくことになりました。

今日は、東松島の公民館分館への支援が決まりました。
もしかしたらこのブログで支援金を募らなくても、
支援可能となるかもしれません。

小原孝先生
支援先の被災地の先生と繋がりを持ち、
「逢えてよかったね友だちプロジェクト」の
素敵なコンサートを実現してくださったり、
樹原涼子先生が幼稚園でコンサートを開いてくださったり。
コンポーザーピアニストの天平さんと、
被災地の先生が繋がり、
東北でのツアーが実現したり。

私の手を離れ、
暖かな交流がいろんなところで育まれています。
人と人との繋がりに関われるということ。
幸せなことだなぁといつも思います。

もともと、この楽器支援はそういうスタンスで始まりました。
支援を受けたい人と、支援したい人をマッチングする。
 ※現在楽器のマッチングはしていません。
当初はいろんな問題を抱え、
胃が痛くなるような思いもたくさんしましたが、
こうして暖かな繋がりもたくさん生まれました。
そのひとつひとつの暖かな関係に携わってこられたこと、
本当に感謝です。

生徒さん同士の交流が、
私の知らないところで生まれた時、
私は幸せを感じます。
私が介在していないと成り立たない繋がりではなく、
私のいないところで交流が育まれていくということ。
それが人と人を繋げることなのだと感じています。

そんな人生がとても好きです。
これからもそんな人生を歩んでいきたい。
心暖かな方々との出会いに感謝です。


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emksan at 12:22│TrackBack(0) 東日本大震災支援 

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