2013年09月23日

哲学に思う素人雑感

カントなどの本を読むようになったのは、
職業柄学ぶべきものと思ったから。
興味がなかったわけではないけれど、
義務、自分に与えた課題という意味合いの方が強くありました。

読んでもよくわからない部分の方が多く、
理解できないために思考が停止し、
目だけが文字を追っているという読書。
こんな読書で意味があるのか?
本当に学びになるのか?と思いつつ、
とにもかくにも読んでいくしかないと、
ほんの一部ですが、何冊かを読んできました。

そのため、それらの本から私が得たものは、
全体的な”印象”となります。
詳細は理解できないけれど、
西洋哲学ってそういう思考回路を持っているんだ、というような。
最初は私がイメージしていた哲学と、
あまりに視点が違うので、かなり戸惑いました。
これが哲学なの?と。
でも、哲学にも歴史があるんですよね。
思考の変遷が。

噛み砕いて、
理解しながら読み進めたわけではない、
なぁんとなくの雑感。
西洋哲学をきちんと理解している人からしたら、
「何それ?」と言われそうですが、
これまで感じとってきた印象を、
整理したくなって書いています。

西洋哲学の始まりは、
自然って何なんだろう?から始まったような気がします。
古代ギリシャの哲学。
自分たちを取り巻く世界とは、一体何なのか?
人間対自然。(人間と宇宙)

中世に入り、
対象は自然ではなく神となったのではないでしょうか。
神とは何なのか?
人間対神。

神という存在が薄くなったルネサンス。
対象が人間そのものになったように感じます。
人間とは何なのか?
知とは何なのか?

そして、啓蒙時代。
再び人間対〜という対象が生まれたように思います。
それは、社会です。
社会における我々。
我々が作り出す社会。
社会とは何なのか?
社会に生きる人間とは何なのか?

現代はこの延長線上にある気がしています。
先日読んだ平野啓一郎著『決壊』も、
社会における生と死という印象を受けました。

哲学には、「対」という言葉が付きまといやすいようです。
人間「対」社会。
果たして、このように対立させた視点で、
人間とは何か?人生とは何か?という答えが、
導き出せるものなのだろうか?
私は疑問に感じています。

上手く言えないのですが、
社会が人間に及ぼすものと、
人間が社会に及ぼすものという、
相互作用がそこにはあると思うからです。
これは、対自然であったときも同様で、
自然が人間に及ぼす影響と、
人間が知覚し認識する自然には、
やはり相互作用があるんですよね。

相互という言葉もちょっと違う気はしているのですが。
もっと一体化したものなのだろうと感じるので。
私たちは体感を伴って自然を知覚・認識し、
体感を伴って社会生活しているんですよね。
そういう意味での一体化というか。

社会が複雑になるほど、
人間の活動領域が広がるほど、
対象物が増えて、わけがわからなくなっていく印象を持ちます。
体感を伴った知覚・認識というのは、
己と直接かかわりのあることと思うのですが、
社会に広がりが生まれ、メディアが発達すると、
体感していないにもかかわらず、
知覚・認識することが増えてしまうからです。

果たしてこれらを知覚・認識していると呼べるのか?
この体感を伴わない曖昧な知覚・認識をもって、
物事を判断し、自分の位置を測ることに、
私は疑問を感じています。
人間はもともと自らの体感を伴ったところで、
己という存在を知覚し認識していると感じるからです。

情報過多な現代は、
体感を伴わない情報に振り回されながら、
己という存在を知覚し認識しようと試みているように見えます。
そのために歪みが生じているのではと。
もっと単純でよい気がするというか。
体感を伴わない情報というのは、
1人の人間が許容できる知覚・認識を越えたところにある、
そう感じています。

なんでこんなことを考え始めてしまったのか。(笑)
平野啓一郎著の『決壊』に、
理由はわからないのですが違和感を感じたからなんですよね。
それは作品に対する違和感というより、
現代社会に対する違和感なのかもしれません。
己とは何なのか?
もっと単純な視点が必要な気がしています。

わけのわからない記事になっちゃいました。(^_^;)
あくまでも素人雑感です。
知覚・認識という単語の使い方も、
専門家からすると誤った使い方かもしれませんが、
そこはなんとなくで構わないので、
素人雑感と汲み取ってあげてください。(笑) m(__)m


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emksan at 15:12│TrackBack(0) 読書 

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この記事へのコメント

1. Posted by しぶかう   2013年09月24日 10:07
最近、歴史に平行して哲学にヨチヨチと手をつけはじめました。
先生のブログに以前からの刺激を受けて、いつかはと思っていました。
自分の中でようやくその順番が回って来て、正直「重い腰を上げて挑戦している」感じですが、超・初級本を読むだけで勉強になります。

「今年の秋は歴史と哲学の秋!」
・・・と、内容を隠して言ってるだけなら何かそれっぽいんですけどぉ。
2. Posted by 中嶋   2013年09月24日 10:19
しぶかうっちへ

歴史と哲学は切っても切れない仲と思うから、それがなぁんとなくでも自分の中で繋がっていくと面白いなぁと思うことが多いよ♪ 私も最初は「わかる哲学!」みたいな本から始めたよ。だって、どこから読んだらよいのかさっぱりわからなかったんだもん。(笑) 未だにとりあえず、超初級本で興味を持った人の本を読んで、ちまちまとって感じだよ〜。