2013年09月03日

子どもを批評する大人たち

口に出したことはないけれど、
10年以上前からずっと感じ続けていること。
何故子どもを気軽に批評できるんだろう?
子役がもてはやされる反面、
早熟だ、子どもらしくない、という批評。

なかには、本当に無理をして、
周りの大人に歩調を合わせている子どももいることでしょう。
笑顔の裏側で親も子ども自身も気づかぬうちに、
ストレスとトラウマが積もってゆく。

しかし、そういうケースだとしても、
その子の耳に自分に対する批評が届いたら、
子どもが傷つかないはずがないんですよね。
子役の母親は、
そういう雑音が子どもの耳に届かぬよう、
きっと大変な思いをしているのだろうと思います。

これは、ピアノの世界でも同じこと。
コンクールなどで多くの目にさらされる子どもたち。
先生や親御さんに羨望のまなざしが向けられる反面、
心ない言葉に傷付くことも多いだろうと想像します。

「あの子の発言は、早熟でかわいげがない。」
「あの子の行動は、子どもらしくない。」

これらの言葉を発する大人たち。
ひそひそと陰で語られたとしても、
本人の耳に入らないとは限りません。
うわさってそういうものですよね。
私は、本人の耳に入らなかったとしても、
こういう言葉が大人から発せられるということ自体に、
強い違和感を覚えます。

相手は子ども。
大人は子どもを育み、守る立場。
そういう意識があれば、
このような発言は出てこないと思うからです。
大人としての自覚がないからこそ、
気軽に発せられる言葉と私には思えます。

これは自分の生徒さんに対しても同じで、
「あの子とは気が合わない。」と、
生徒さんによって受け入れ方が変わってしまうのは、
子どもと同じ目線、同じ立ち位置に立っているからでしょう。

子どもを育み、見守る立場としての大人、
指導者としての立ち位置を貫いていれば、
気が合うとか合わないとかいう言葉は、
全く次元の異なる言葉であり、ナンセンスなのです。

親御さんは大人ですから、
あの親御さんとのやりとりは難しいとか、
様々な難題が出てくるだろうと思います。
しかし、子どもは違います。
やりとりの難しい親御さんの子どもだったとしても、
指導者としての、大人としての目線があれば、
やりとりの上手くいっている親御さんの子どもたちと、
同じような受け止め方、対応ができることでしょう。

そのためには、”誰かの子ども”と、
子どもをひとつの枠組みに入れるのではなく、
分け隔てのない”社会全体の子ども”、
という視点が必要なのかもしれません。

そうすれば、他の先生の生徒さんたちも、
社会全体の子どもとして、
分け隔てなくかわいい子どもに見えてくるでしょうし、
自分の生徒と比べるなんてこともしなくなるでしょう。

また、大人という立場を、
”子どもを育み、見守る立場”と認識できていれば、
「子どもになめられないように」などと、
無理に先生を演じてしまうこともなくなり、
余裕を持って子どもたちと接することができるようになることでしょう。

自分と接している子どもだけがかわいい。
実際に接したことのない、
もしくは接する機会の少ない子どもについては、
気軽に批評してしまう。
自分の周りに枠を設ける大人の想像力の欠如。
その無責任な発言や行動が子どもを傷つけ、
のちのち大人になるまでトラウマになる可能性もあるのだということ。

コンクールで賞をとる子どもたち
テレビで活躍する子役たち
スポーツ界で活躍する子どもたち

マスコミだけを非難することはできません。
マスコミが”大人”としての責任を持たずに、
これらの子どもたちを批評するのは、
社会を反映したものと思うからです。

先日、「子どもらしくって?」で書いた、
子どもに対する大人のチグハグな対応。
子どもに大人であることを求める反面、
子どもらしさを押し付けるという矛盾。
この矛盾が生じるのは、
大人が大人として子どもと接していないからではないでしょうか。

大人がラクに生活できるよう、
子どもに大人であることを求めつつ、
大人が馬鹿にされないよう、
子どもに子どもらしさを求める。

大人は、そのままで大人です。
何もしなくても大人です。
子どもは、そのままで子どもです。
何もしなくても子どもです。
大人と子どもの違いは、
私たちがなんの働きかけをしなくても生じています。
存在そのものが大人であり、子どもなのだから。

子どもに子どもらしさを求めたり、
生意気だと批判などしなくても、
大人は大人なんですよね。
何の働きかけをしなくても、
すでに弱者と強者いう関係は成り立っているのです。

大人という存在そのものが、
子どもにとっては強者なのだということ。
今、その当たり前のことが見過ごされているように感じます。


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emksan at 11:57│TrackBack(0) その他 

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この記事へのコメント

1. Posted by 勝村 かすみ   2013年09月03日 23:29
中嶋先生の手記は、いつも感銘、共感することが多く、12歳の作家の映像も見ました。
なんだろう、当たり前のことを当たり前に言うのが不自由な世界だなぁというのが本音です。
そして、今日のブログでは私はとても考えさせられました。
私は本当に誰に対しても同じ目線で見すぎて反省すべき点が多々あって、まだ答えは出ていませんが、強い何かを感じましたので、それが何かを探ってみたいと思いました。(なんだか小学生の文章みたいですみません)
2. Posted by 中嶋   2013年09月04日 09:29
>かすみ先生へ

コメントどうもありがとうございます♪いつも読んでくださっているのですね〜。嬉しいです!確かに当たり前のことが当たり前に言えない空気ってありますね。「空気を読む」という言葉がありますが、ちょっとはびこりすぎかなと思うほどに。私は生徒さんの半数が発達障碍児なので、そういう苦労が他の人より少ないかも。発達障碍児に関わっている人たちって、みんな素直に表現できるんですよね。発達障碍児の親御さんたちもそうです。なので、とても気持ち良く関わり合えるんです。ツーカーでお話できるというか。

それ以外の関係性の中では、確かに当たり前のことが当たり前に言いづらいことが多々あるかなぁとも思うのですが、私はこうしてブログなどを通じて正直な気持ちを発信するようにしています。裏表のない言葉を。このことで現実の世界の人間関係が上手くいかなくなるということはないんですよね。それよりも、これを読んでくださっている大人の生徒さんや親御さんたちが、さらに私のことを理解してくださることの方が多い気がしています。

当たり前のことを当たり前に発言するには、きっとコツがいるんですよね。それを聞く相手が受け止めやすいように表現するコツが。私はというと、ブログ上ではある程度それができるのですが、面と向かってやりとりするときは、言葉を飲み込むことの方が多いです。面と向かってやりとりするときも、言葉を飲み込まず、場の空気を悪くすることもなく、上手に自分の意見を表現できるようになれたらいいのになぁと、いつも思います。