2013年08月28日
神童12歳の作家によるスピーチ『大人は子どもから何を学べるか』
アメリカで年に1回、大規模な世界的講演会を開いているTED。
発明家、学者、政治家、作家、映画監督、音楽家etc.
その贅沢な顔ぶれには本当に驚かされます。
会場で聞くには70万円以上かかりますが、
ネット上で動画配信してくれるので、
私たちも手軽に聞くことができます。
これは神童12歳の女の子のスピーチ。
教育の真髄を語っていると感じました。
『生徒だって先生を教えるべきなのです。
大人と子どもの間の教育は、相互的であるべきです。』
まさに!ピアノレッスンは相互的であるべきですよね。
先生からの一方通行ではレッスンは成り立ちません。
生徒の反応があるから、先生はそれに応じた対応ができる。
生徒の反応を無視して、
先生の都合だけでレッスンしても、
生徒さんに先生の声かけは響かないでしょう。
私が出版した本の副題に、
”発達障害児に学ぶ”という言葉がありますが、
それは、この視点がこの本の土台となっていたからです。
私たちピアノ指導者は、
多くのことを生徒さんたちから学んでいるんですよね。
『信頼関係の欠如に大きな原因があります。
人を信頼しないとき、その相手を制限することになります。 』
『歴史が示す通り、管理に不安があるときほど体制は圧政になります。』
何かを生徒さんに伝えたいと思った時、
その根底に生徒さんを信頼するという気持ちがなければ、
上手く伝わらないものなのだと、
私は自閉症スペクトラムの生徒さんたちから教わりました。
制限や制約、管理という教え込みは、
生徒さんを信頼していないから起きることなのかもしれません。
『制限よりもっと悪いのは、
大人たちが子どもの能力を過小評価することです。』
これは障碍あるなしにかかわらずと思います。
障碍があるから・・・と過小評価してしまう。
まだ5歳だから・・・と過小評価してしまう。
子どもの理解力に応じた噛み砕いた説明は、
必ず必要になってくるものですが、
「まだこの子には無理だろう」と、
最初から教えようとしないのは、違うかなと。
このスピーチをした少女の父親は、
4歳のこの子にアリストテレスの本を読み聞かせたそうです。
もちろんそれを理解できたこの子の能力も、
大きく左右しているとは思いますが、
「子どもだからこういう内容はまだ無理」というのではなく、
お父さんが当たり前のように読み聞かせたということが、
とても有意義なことだったのではと思うのです。
ピアノレッスンでいえば、
倍音について知るということ、
ハーモニーについて知るということ、
楽譜からアーティキュレーションを読み込むということ、
カデンツについて知るということ、音色への気づき・・・。
いろんな場面が想定できるのではと思いますが、
子どもの体感による理解は、
大人の比ではなくすばらしいもので、
子どもだからまだ無理だろう・・・というのは、
大人の勝手な都合という気もしてきます。
4歳のこの子は、
アリストテレスの内容全てを
理解できたわけではなかったでしょうが、
その雰囲気を体感し、
体感を通しての理解はあったのではと思います。
それが、その後の知的な理解へと繋がっていったのだろうと。
子どもの能力を理解し、
それに応じたアプローチをするということと、
子どもを過小評価するということは同一ではありません。
子どもを過小評価し、
与える”素材”を子ども向けにするのではなく、
素材はあらゆるものを、
与える”アプローチ方法”を、
それぞれの子どもに合わせるということ。
この少女のスピーチは、
教育の原点と感じました。
「子どもだから」ではなく、子どもを信頼するということ。
子どもを圧政するのではなく、
子どもから多くを学ぼうと思うこと。
このスピーチ、本当にすごいです。
是非聞いてみてください。
以下のURLは、翻訳付きの動画です。
http://www.ted.com/talks/lang/ja/adora_svitak.html?source=facebook#.UhyHfrSJnn9.facebook
クリックで応援してネ♪
発明家、学者、政治家、作家、映画監督、音楽家etc.
その贅沢な顔ぶれには本当に驚かされます。
会場で聞くには70万円以上かかりますが、
ネット上で動画配信してくれるので、
私たちも手軽に聞くことができます。
これは神童12歳の女の子のスピーチ。
教育の真髄を語っていると感じました。
『生徒だって先生を教えるべきなのです。
大人と子どもの間の教育は、相互的であるべきです。』
まさに!ピアノレッスンは相互的であるべきですよね。
先生からの一方通行ではレッスンは成り立ちません。
生徒の反応があるから、先生はそれに応じた対応ができる。
生徒の反応を無視して、
先生の都合だけでレッスンしても、
生徒さんに先生の声かけは響かないでしょう。
私が出版した本の副題に、
”発達障害児に学ぶ”という言葉がありますが、
それは、この視点がこの本の土台となっていたからです。
私たちピアノ指導者は、
多くのことを生徒さんたちから学んでいるんですよね。
『信頼関係の欠如に大きな原因があります。
人を信頼しないとき、その相手を制限することになります。 』
『歴史が示す通り、管理に不安があるときほど体制は圧政になります。』
何かを生徒さんに伝えたいと思った時、
その根底に生徒さんを信頼するという気持ちがなければ、
上手く伝わらないものなのだと、
私は自閉症スペクトラムの生徒さんたちから教わりました。
制限や制約、管理という教え込みは、
生徒さんを信頼していないから起きることなのかもしれません。
『制限よりもっと悪いのは、
大人たちが子どもの能力を過小評価することです。』
これは障碍あるなしにかかわらずと思います。
障碍があるから・・・と過小評価してしまう。
まだ5歳だから・・・と過小評価してしまう。
子どもの理解力に応じた噛み砕いた説明は、
必ず必要になってくるものですが、
「まだこの子には無理だろう」と、
最初から教えようとしないのは、違うかなと。
このスピーチをした少女の父親は、
4歳のこの子にアリストテレスの本を読み聞かせたそうです。
もちろんそれを理解できたこの子の能力も、
大きく左右しているとは思いますが、
「子どもだからこういう内容はまだ無理」というのではなく、
お父さんが当たり前のように読み聞かせたということが、
とても有意義なことだったのではと思うのです。
ピアノレッスンでいえば、
倍音について知るということ、
ハーモニーについて知るということ、
楽譜からアーティキュレーションを読み込むということ、
カデンツについて知るということ、音色への気づき・・・。
いろんな場面が想定できるのではと思いますが、
子どもの体感による理解は、
大人の比ではなくすばらしいもので、
子どもだからまだ無理だろう・・・というのは、
大人の勝手な都合という気もしてきます。
4歳のこの子は、
アリストテレスの内容全てを
理解できたわけではなかったでしょうが、
その雰囲気を体感し、
体感を通しての理解はあったのではと思います。
それが、その後の知的な理解へと繋がっていったのだろうと。
子どもの能力を理解し、
それに応じたアプローチをするということと、
子どもを過小評価するということは同一ではありません。
子どもを過小評価し、
与える”素材”を子ども向けにするのではなく、
素材はあらゆるものを、
与える”アプローチ方法”を、
それぞれの子どもに合わせるということ。
この少女のスピーチは、
教育の原点と感じました。
「子どもだから」ではなく、子どもを信頼するということ。
子どもを圧政するのではなく、
子どもから多くを学ぼうと思うこと。
このスピーチ、本当にすごいです。
是非聞いてみてください。
以下のURLは、翻訳付きの動画です。
http://www.ted.com/talks/lang/ja/adora_svitak.html?source=facebook#.UhyHfrSJnn9.facebook
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この記事へのコメント
1. Posted by kaz 2013年08月29日 09:02
中嶋様
初めてコメントいたします。kazといいます。
子供の滞在能力について考えさせられる記事でした。僕は「生と死」について考える学問を専攻しました。その経験から、死が近いことを知っている子供は大人よりも、ある意味聡明かつ知的であることも多いような気がします。アメリカでの例ですが、癌で死期が近い9歳の女の子なのですが、嘆き悲しみ、そして取り乱す両親に対して、その女の子はこのように言うのです。
「いままで愛情を注いでくれてありがとう。感謝しているわ。私はもうすぐ死ぬけれど、でも死は苦しいものでもないし、恐ろしいものでもないの。今までの生が幸福だったように、死というものも私には幸福なの。私の最後の仕事はパパとママにそのことを教えることだと思うの・・・」
9歳・・・
9歳でも大人よりも進んでいること、悟っていることはあるのですね。
「子供だから・・・」と大人が無意識にでも思っている部分は多いのではないかと思います。
「いかにも子供向け・・・」という教材で、子供だから・・・と楽しさ満載のレッスンだけで終わってしまうということは、もしかしたら大人本位の、上から目線のレッスンなのかもしれません。それがどんなに甘いオブラートに包まれていたとしても・・・
kaz
初めてコメントいたします。kazといいます。
子供の滞在能力について考えさせられる記事でした。僕は「生と死」について考える学問を専攻しました。その経験から、死が近いことを知っている子供は大人よりも、ある意味聡明かつ知的であることも多いような気がします。アメリカでの例ですが、癌で死期が近い9歳の女の子なのですが、嘆き悲しみ、そして取り乱す両親に対して、その女の子はこのように言うのです。
「いままで愛情を注いでくれてありがとう。感謝しているわ。私はもうすぐ死ぬけれど、でも死は苦しいものでもないし、恐ろしいものでもないの。今までの生が幸福だったように、死というものも私には幸福なの。私の最後の仕事はパパとママにそのことを教えることだと思うの・・・」
9歳・・・
9歳でも大人よりも進んでいること、悟っていることはあるのですね。
「子供だから・・・」と大人が無意識にでも思っている部分は多いのではないかと思います。
「いかにも子供向け・・・」という教材で、子供だから・・・と楽しさ満載のレッスンだけで終わってしまうということは、もしかしたら大人本位の、上から目線のレッスンなのかもしれません。それがどんなに甘いオブラートに包まれていたとしても・・・
kaz
2. Posted by 中嶋 2013年08月29日 11:08
>kazさん
コメントどうもありがとうございます♪ 返信文を書いていたら、とぉっても長くなってしまったので、ブログ記事にすることにしました。8月29日のブログ記事がkazさんへの返信になります。どうぞよろしくお願いいたします♪
ところで、kazさんの大学時代の専攻、とても興味深いですね。哲学でしょうか?それとも宗教でしょうか?最近、平野啓一郎氏の著作にはまりつつあり、読み始めています。平野氏の作品の根底には、「生と死」があり、この作家が今後、どのように生と死と向き合っていくのか、とても興味があり、出版順に本を読んでいます。
いつかそういった話題も、kazさんのブログで取り上げていただけたら嬉しいです♪
コメントどうもありがとうございます♪ 返信文を書いていたら、とぉっても長くなってしまったので、ブログ記事にすることにしました。8月29日のブログ記事がkazさんへの返信になります。どうぞよろしくお願いいたします♪
ところで、kazさんの大学時代の専攻、とても興味深いですね。哲学でしょうか?それとも宗教でしょうか?最近、平野啓一郎氏の著作にはまりつつあり、読み始めています。平野氏の作品の根底には、「生と死」があり、この作家が今後、どのように生と死と向き合っていくのか、とても興味があり、出版順に本を読んでいます。
いつかそういった話題も、kazさんのブログで取り上げていただけたら嬉しいです♪