2013年05月27日

リヒテルに学ぶ〜ドビュッシー〜

ここのところ忙しくて、
なかなか『リヒテルに学ぶ』というインプットができずにいましたが、
今日はゆっくりと時間を割くことができました。
テーマはドビュッシー。

『音と香りは夕暮れの大気に漂う』
リヒテルの演奏CDを持っていなかったので、
ギーゼキングとフランソワ、ミケランジェリの聴き比べ。

『ヒースの茂る荒野』
この曲には香りがないとリヒテル。
確かに。

この章の全体に散りばめられた、
アンデルセンの「バラの妖精」の話。


最後にこう結論を出した。
きっと花の強い香りにやられたのだ、と。
もしも香りが人を殺せるなら、
音でも殺せるはずだ。



そして不意に立ち止まり、空を見上げ、
スクリャービンの曲を思い出し、
リヒテルは言うのです。

「嬰ヘ長調は、青。第4ソナタ---嬰ヘ長調---」


『パックの踊り』
これも3人のピアニストの聴き比べ。


パックとはエルフのことで、
肉体があるはずがないのだ。


リヒテルの想像力が、私の心に強く響きます。


『妖精はすてきな踊り子』
これは聴き比べができず、
フランソワのみの演奏。


パックを無数に映し出したものだ。
実に巨大な鏡の中にね。



『変わり者のラヴィーヌ将軍』
この曲もフランソワのみ。

『ミンストレル』
3人の演奏の聴き比べ。

『デルフィの舞姫たち』
3人の聴き比べ。


あの前奏曲は、
すぐに私たちの心をゆさぶる。
実に意表を突いている。
舞姫なんていない。
そこに現れるのは、蠟で作った彫像さ。
誰が彫ったかわかるかい?
ムソルグスキーだよ!



リヒテルの発想力は、どこまでも自由で鋭敏。
ロシアの音楽家には、
リヒテルと同様の土壌がある気がしています。
音楽家同士が集まると、
こういう会話になるのでしょう。
この本を読んでいると、
そういう場面にしばしば遭遇します。

リヒテルはとても勉強熱心。
一つの作品と関わるために、
とことんその作品と向き合う。
そして、その作品を自分の中に取り込み、消化し、
自分のものにしていく。
自分のものにするその深さは、
曲と自分を一体化させるような深さ。
時には自分の人生と重ね合わせて。

私があまりにいろんなことを知らなさ過ぎるので、
落ち込んでしまう・・・。
落ち込んだところで何も得られないので、
前に進むしかない。
インプットしていくしかない。
体得していくしかない。
これは理論ではなく、体得なのだと思うから。

ところで、今日ドビュッシーをいろいろ聴いていて、
CD棚にドビュッシーが少ないということに気づかされました。
私のCD棚はかなり偏っている・・・。
これではいかんと、今日必要と思うものを購入しました。

・チッコリーニ ピアノ独奏曲全集

・マルティノン 管弦楽作品全集 

・デセイ、カサール ドビュッシー歌曲集


この本を読み進める前に、
もう少しドビュッシーで立ち止まり、
これらの曲を聴いてみようと思ふ。

リヒテルは語る―人とピアノ、芸術と夢
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この記事へのコメント

1. Posted by ぞうちゃん   2013年05月27日 21:48
学生時代(もう四半世紀以上むかしですが)、リヒテルのリサイタルでドビュッシーを聴きました。

前奏曲集の第1集から「亜麻色の髪の乙女」と「沈める寺」以外の曲、それからシマノフスキ。

あのときのドビュッシー、今でも思い出すと鳥肌が立ちそうです。夢とうつつの世界をあんなに自由に行ったり来たりできるなんて!

魂が吸い込まれそうな思いで聴き入っていた若き日の私でした。
2. Posted by 中嶋   2013年05月27日 22:54
>ぞうちゃん さんへ

羨ましすぎます〜〜〜!!!
「亜麻色の髪〜」ですが、
この本でリヒテルは、この曲に付いてかなり毒舌を吐いており、
ドビュッシーに謝ってもらいたいくらいだと。(笑)
だから、弾かなかったのですね〜。

リヒテルのドビュッシー、
せめてCDでもいいから聴きたい!!!
CD探せば、もう少しあるかなぁ・・・。
私が持っているCD、
ほんの少ししかドビュッシーが入ってなくて。

あぁ、それにしても生で聴けたなんて、
ホント、羨ましすぎですっ。
3. Posted by ぞうちゃん   2013年05月28日 13:25
うらやましいでしょう?(笑)

何せ昔の話なので、私もイメージしか記憶にないようなものですが、とにかく音に心地よく翻弄される非現実的な時間を過ごしました。

うまく表現できないのですが、全然「重さ」を感じない音。重力圏の外にいるような不思議な浮遊感。
それでいて、急に頬に冷たいものを感じて、聴いている私もハッと我に返るような…

「香りで殺せるなら音でも殺せるはず」
「肉体を持たない」
この言葉に、あの夜の音が蘇ってきました。
まさにその通り!

軽やかなスタッカート、というより音そのものが飛び跳ねているような「途絶えたセレナード」が気に入って、家でもずいぶん真似して弾きましたが、いつもため息とともに引き下がるだけ…

あの頃聴いて印象的だったドビュッシーは、他にアルゲリッチの「映像」がありました。こちらは彼女の孤独さが胸に突き刺さるような演奏でした。
4. Posted by 中嶋   2013年05月28日 20:04
やはり!
きっと私が想像しているような演奏だったのだと思います!!
いいないいないいなぁ〜〜〜〜1000回!!!!