2013年04月22日

布団の中で「音の高低」について考えてみた〜読譜指導において〜

昨日「音の並びと音の高低の一致」についてブログ記事にした後、
布団の中でふと考えたコト。
音の高低って、記憶や反射にすごく影響を与えるんだろうなぁというコト。

布団の中で、「かきくけこ」という言葉の並びを可逆的に行き来してみました。
かきか、くきく、けくけ〜  かくか、きけき〜
・・・・なかなか反射的に反応できません。
ところが、「かきくけこ 」にドレミファソの音の高低を付けると、
この可逆的な動きが反射的になりやすいのですよ 。

音の高低感覚が良い子というのは、
あっという間に楽曲をドレミで歌えるようになりますし、
ブルグミュラーなどの速いパッセージも、
その場で早口言葉のようにサササッとドレミで歌えます。
しかし、音の高低感覚が少し鈍いタイプの子は、
かなり練習を積まないとそれができるようにならないので、
「ドレミで歌う」を宿題に出さなきゃいけなくなってしまうんですよね。
ちょっと複雑なパッセージやハーモニーになると覚えられない子って、
耳でその音の並びが鳴っていないんだなぁと感じます。

生徒さんを教えていると、器用な子はいいなぁ〜とつくづく思います。
器用な子は最初の段階で、「音の並び」「音の高低」「鍵盤把握」が一致します。
教えなくても一致しちゃうんですよね。耳がよいから。
でも、すべての生徒さんがそういうわけではなく、
それぞれを別々に指導しないと、
理解したり、その理解を反射に 繋げるのに苦労する子もいます。

私はどっちだったんだろう?
耳はよかったと思いますが、理解は悪かったと思ふ。
小学生のとき算数ですごく苦労したし、
(多分、数の概念を理解することが難しかったのでしょう)
図形にしたって、いつまでたっても「あ」と「め」を書く とき、
一画目の縦線を右下に向けて書くのか、左下に向けて書くのかで、
毎度毎度悩んでいた気がします。

非可逆的な思考しか持たない、方位知覚が未発達、
しかも視野が狭い・・・という子どもの特徴を私はずっと持ち続けていて、
周りの子どもたちより発達が遅かったのではと感じます。
それにも関らず、私が小学1年生でブルグミュラーを譜読みできていたのは何故?
まずは、読譜第一歩目である音の並びに対して、
反応が良かったということがあると思います。
数の概念は理解力の疎い私には難しかったですが、
音感があるということで、音の並びの概念は感覚的に入ってきたのでしょう。
要するに、理解力が未発達でも、音感覚があれば理解の助けになるということですね 。

また、方位知覚や視野の狭さなど発達の遅かった私が、
何故楽譜の図形を読めるようになったのか?
これはひとえに母の努力だった気がします。
先日「小学1年生なんて幼い時期に
なんで私は楽譜が読めるようになったのかな?」 と母に質問したところ、
「そりゃ、お母さんがんばったもん。 」 という答えが返ってきました。

図形認識の発達がかなり遅れていた私に対して、
音符を読む練習をさせるのは、そりゃぁ大変だったろうなぁと思います。
何度練習してもすぐ忘れる・・・という連続だったのではと。
ただ、そんな風に図形が弱かった私には音の高低感覚がありましたから、
楽譜を模様で読むことができたのだろうと思います。
1音1音を判別できるようになる前に、
音符の柄が上行していれば、その先の音符を音の並びで上行させればよいと、
感覚的に読めるようになっていったのでしょう。

私の生徒さんたちも、1音1音の判別がしっかりする前に、
このように見た目の柄で楽譜が読めるようになっていくと感じています。
なので、順次進行の部分はすらすらと初見で読めるくらいになるのですが、
跳躍進行が入ると一瞬戸惑います。

このように、音感が身につくと読譜の苦労が激減し、
譜読みが早くなると感じています。
音の高低感覚って大切なんだなぁと。
絶対音感の話ではありませんヨ。
(私は絶対音感を邪魔に感じ、20歳過ぎてから絶対音感を捨てた時期がありました。
今はなんちゃって絶対音感程度かと思います。)
絶対音感ではなく、あくまでも基本的な音の「高低」感覚のお話です。


 〜理解力の遅い子への寄り添い〜

このように私の理解力は、
周りの子たちに比べて発達がすごく遅かったように感じています。
とにかく苦労が多かった。
数の概念や方位知覚の発達が遅いということは、
学校の勉強すべてにおいて苦労したということです。

私の生徒さんで頭のいい子は、
学校の授業を聞けばその場で全部理解できると言います。
私にそんなことはほとんどありませんでした。
わからないことというのが必ずあり、
それは家に帰ってから親が教えてくれるわけでもないですし、
なによりも何がわからないのかすらわからなかったので、
質問することすらできなかったのではと思います。
そのため、わからないまま放置し続けるしかありませんでした。

算数は公文に通うことで追いつきました。
(大嫌いで、しょっちゅう宿題を溜め込んでいましたが。)
漢字は、「あ」と「め」の方位知覚で悩むくらいですから、
他の子に比べて覚えがすごく悪かったのではと思います。

頭のいい子って、何回か書くと覚えちゃうんですね。
私は生徒さんと接することでそのことを知りました。
頭のいい子ってお得なんだ!と、何度羨ましく思ったことか。
私はその子の何倍も練習しなければ、漢字を覚えることなどできなかったタイプです。
思考や知覚が未発達ということは、
発達している子より多くの経験を積まなければ、
理解や反射にまで至らないということです。

理解力の発達している子が2回書けば覚える漢字でも、
私は10回書いてようやく覚えるという具合。
しかも、すぐに忘れるので何日か持続させて書き続けなきゃいけない。
頭のいい子は覚えたことを、その翌日も、翌々日もしっかり覚えているんですよね。
これまた羨ましすぎる話。
たった数回書く練習をするだけで長期記憶に至るのですから。

こんな風に理解力の未発達に苦労してきた私は、
やはり私と同じように発達の遅い生徒さんの苦労が痛いほどよくわかります。
数回練習すれば漢字が書けるようになる、
数回練習すれば弾けるようになる子というのは、
そりゃ楽しいでしょう・・・と思ふ。(笑)

その何倍も練習しないとできるようにならないとなれば、
楽しいに至る前に苦労のほうが先にきてしまい、
ただ辛いという思いだけにとらわれてしまいます。
理解力の発達が遅い生徒さんが「わかる」という快感を得ることで、
ピアノの練習にやりがいを感じるようになる道程には、
ステップを細かくしていくことが大切と感じています。

躓くことの多い読譜もそうですね。
いかにステップを細かく刻み、必要以上の苦労を与えずに、
「わかる」という実感を持たせながら、反射へ繋げるための訓練をしていくか。
わからないまま反射の訓練へはいっても、わけがわからず辛いだけ。
苦手意識を育んでしまうようなものです。

私は発達障碍児へレッスンしていますが、
定型発達の子でも多くの子が読譜に躓きます。
それは子どもの思考や知覚が大人のそれとは違い、
まだ未発達だからと思います。
思考や知覚を育むには経験しかありません。

しかも、理解を伴う経験は、
1段飛びで先へ歩を進められるようなものではなく、
その1段を理解できていなければ先へ進むことができないというものです。
その1段を教えなくても理解できる子が1段抜かしできるだけの話で、
その1段を教えてもなかなか理解できない子に先の1段を指導したところで、
子どもはそこで躓いたまま前へは進めなくなってしまいます。

生徒さんの中には、私が躓いたところはスムーズに行き、
私が躓かなかったところで躓く子がいます。
躓く箇所は人それぞれなんですよね。

今回「音の並びと音の高低一致」について書きましたが、
音の高低については私は躓いたことのない点だったので、
10年前の生徒さんたちには申し訳ないことをしたと感じています。
当時の私はこの躓きの重要さに気づかないままレッスンしていたからです。

自分が躓いた経験がない点を見出してあげ、
そのためのスモールステップを考えることはとても難しいことですが、
そういう視点を持ち続けなければと自戒しています。


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emksan at 13:40│TrackBack(0) 読譜 | ピアノ/How to

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