2012年06月21日

ピアノ教育における”自律(自分を律する)”とは?

これは予約投稿です。m(__)m
21日からパソコンへ向かえません。
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24日以降になりますので、ご了承ください。



今日は昨日に引き続き、教育についてのお話です。
昨日の記事で、

・自律
・自立

が、私の考える人間教育だとお話しました。
では、ピアノ教育における”自律”とは?

自律は”自分を律する”と書きます。
音楽の”自律”には、
演奏する上での”律”も含まれるでしょう。
しかし、ここでは幼児期〜中学生にかけて生徒さんが直面する
”自律”について考えたいと思っています。
それは、”ピアノの練習”です。

勉強しなさい!練習しなさい!
私も子どもの頃しょっちゅう言われました。
言われていない人の方が少ないのでは?(笑)

幼児期の子どもは、自分を律するということを知りません。
あれが欲しい!となったら、何が何でも欲しい。
だから、スーパーのお菓子売り場に寝ころんで、
足をじたばたさせながら「買って〜!!」とダダをこねる。

友だちが遊んでいるおもちゃを見て「欲しい!」と思ったら、
自分を律することをせずに、
友だちの手からそのおもちゃを取り上げる。

子どもたちは、生活のさまざまな状況における、
さまざまな人間関係の中から、
自分を律するということを学んでいくのですね。

これは、ピアノ練習や勉強においても同じと思うのです。
たまたま、勉強が大好きで、ピアノが大好きで、
勉強しなさい!練習しなさい!と言われずにやる子がいたとしても、
それは、その子にとって勉強や練習というものが
自分を律することを必要とする行為ではなく、
ただやりたいからやるという欲求にもとづいた行為だからなんですよね。

ところが、多くの子どもたちにとって、
勉強することや、ピアノの練習をすることは、
自分を律さないとできない行為です。
しかし、自分を律するというのは、
周りからとやかく言われてできるようなことではないんですよね。

勉強しなさいと言えば、
素直に勉強できるようになるかというと、そう簡単にはいきません。
また、表面的に勉強していたとしても、
それが自律した行動なのかといえば、そうとも限りません。
たんにお母さんに怒られるから、先生に怒られるから、
そういう意識に立脚した行動ともとれるわけです。

自律というのは、”自分で自分を”律することなのですから、
周りからのプレッシャーに立脚していては意味がないんですよね。
よく高校デビューとか、大学デビューって聞きますね。
私の大学では大学デビューした子が、全く大学に顔を出さなくなってしまい、
卒業できる?!留年せずに済む?!という子がいました。
(彼女は無事卒業できたのだろぉか?)

たとえ、小中高と親の言うまま素直に勉強してきたとしても、
それが自律した行為でなければ、
このように自由な環境に投げ出されたとき、
自分を律することができずに、踏み外してしまうことになりかねません。
そりゃね、思春期ですから踏み外すのはアリと思うんですヨ。
何事も経験!
私も、かなぁり踏み外した人生を歩んできている身なので、
道を踏み外すな!とは思いません。

しかし、そのように踏み外した中で、
自分の人生を台無しにするようなことなく、
それを乗り越え、経験としてそれらを自分の人生の糧にするためには、
思春期までの間に”自分を律する”ということを学んでいなければならないんですよね。

少し話が横道に逸れてしまいましたが、
ピアノにおける自律した練習について。
これを生徒さんに身につけてもらうのは一苦労!
どの先生方も、どの親御さんも、
みなさんご苦労なさっている点ではないでしょうか。
もちろん、私も大っ変っ苦労します。(笑)

私は、この自律を目指すのに、
ある程度段階が必要だろうと感じています。
例えば、幼児に「練習しなさい」と言ったところで、
幼児の注意力、集中力、理解力では、
1人で練習することなど無理ですよね。

レッスンでどこを注意されたのかすら忘れてしまい、
その上、まだ楽譜が読めないなんて言ったら、
「練習ってなに?」と、練習するということがどういうことなのかすら
理解してもらうことはできません。

幼児期には、どうしても親御さんのご協力が必要になってくるものです。
小学1年生の学校の勉強も同じですよね。
学校の宿題を家で1人でできるかといったら、
学校の授業だけでは理解できなかった子などは、
宿題の解き方もわからず、集中力も持たず、
どこに注意を払って勉強するのかもわからず、
ただただ路頭に迷うだけです。

要するに、自分を律したくても、
律する方法がわからない!なんですよね。
注意力の向け方がわからない。
どこに焦点をあててピアノを練習したらよいのかわからない、ということです。
これでは楽しくもなんともない。
ただ、わけがわからないだけ、混乱するだけです。

混乱ほどやる気を削ぐものはないと思いませんか?

勉強が楽しい、ピアノが楽しいと思えるには、
「わけがわかる」という理解がどうしても必要になってきます。

幼児期に必要なことは、
練習すると弾けるようになって楽しい、という経験を積むこと。
そして、練習とはどういうことを指すのか?
それをお母さんや先生と一緒に練習する中で経験し、
理解を深めていくこと、と思います。

これが、小学4,5年生になってくると、ちょっと違ってくる。
親の付き添いなしにお友だちと遊べるようになり、
ピアノの練習より友だちと遊びたいと思うようになる。
今の子は本当に忙しい!
土曜日学校がないせいで、月〜金は5,6時限あるのが当たり前。
私が子どもの頃より学校の終わる時間が遅い、ということです。

その上、小学4年生になると、
東京の子は中学受験を思案し始めます。塾です。
こっちの塾は驚くほど忙しい。(^_^;)
仙台で育った私には考えられないようなスケジュール!

東京の子は大変です。
公立が荒れていたり、学校の先生の質が低かったりと、
進学校に興味のないご家庭の親御さんも、
中学受験を選択肢のひとつとして考え、悩まれます。
そんなこんなで家での練習が苦しくなってくる。

その上、この年齢の子は理解力も幼児期より増していますし、
精神年齢も高くなっています。
ちょっとやそっとの達成感では、
脳内からドーパミンが分泌することはなく、
脳内からドーパミンが分泌しないということは、
自分を律するだけの気力がわいてこず、
ピアノの練習から遠ざかってしまうだけ・・・。

その上、反抗期!!
先生に反抗するということはないにしても、
お母さんへの反抗はすさまじい。(笑)
練習しなさい、なぁんて言われたって、
「今やろうと思ってたのに!」とか、反論されるだけ。
そういや、私もよくこの言葉を口にしてました〜。(^_^;)

私はこの時期の生徒さんに、
「頭を使って練習する」ということを徹底させるようにしています。
自分を律する上で必要な作業に、
”頭を使う”ことがあると思うからです。
意味もなく練習してもつまらない。
意味があるから練習できるし、
練習の意味がわかっているから、
練習後の上達を実感できるんですよね。
頭を使わずに練習したって、何も身につかない。

ちょっと話が逸れますが、
先日アメトーークという番組で、
勉強しかしてこなかった芸人をやっていました。
私は、これまで自分の成績が悪いのは頭が悪いせいだと思い込んできていました。
もちろん、頭は悪いんですよ。(^_^;)
だけど、使いようによっちゃぁ、もう少し成績がよくなっていたのかもしれない。
この番組を見て、そう思ったんです。

まぁ、なんと様々な勉強方法を工夫していることか!!
成績のいい人たちは、みんな頭がいいのだとばかり思い込んでいましたが、
頭がいいだけじゃない。
みんなあれやこれやと工夫しながら、
頭を使って勉強していたんですね。
私はというと、どういう勉強方法がいいかなんてことに、
頭を使ったことなどありません!

考えてみたら、ピアノの練習だって同じじゃない!と。
効果的な練習方法、何を身につけたくて練習するのか?
自分で自分の練習すべきことを把握して、練習方法を編み出す。
こんなのピアノでは日常にしていることです。
勉強も同じだったのね!と。(笑)

私は、ピアノの練習で当たり前にしていた発想を、
勉強に生かすことができなかった。
勉強方法を考える、という発想を持つことができなかった、ということです。
こんな風に”勉強”なんて言葉を使うと、
堅苦しすぎて誤解を招いてしまうでしょうか?
この”頭を使う”という練習は、今テレビで活躍している芸人さんたちが、
芸を磨くという意味においても、同じだと思うんですよ。

芸人さんたちはバカばっかりやっているように見える。
私たちを笑わせるために。
そして、私たちは芸人さんたちの思うつぼ、笑わされます。
これは”技術”ですよね。
芸人さんたちは頭を使って、私たちを笑わそうとする。
芸人さんたちも日々練習し、日々学んでいるんですよね。


頭を使ったピアノの練習って?


誰もが教わらずに、こういう発想を持てるとは限りません。
私が勉強方法を考える、という発想を持てなかったのと同様に、
ピアノの練習方法を考える、という発想を持てない子は多い。
だから、いつまでたっても弾けるようにならない。
30分ちゃんとピアノの前に座っているのに、
弾けるようにならないんだから、楽しいわけがないですよね。

30分ピアノに向かったなら向かったなりに、
成長を実感できなければ、
脳内からドーパミンが分泌されるはずなどありません。
そこには喜びがない!

ということで、私は小学4年生頃から、
”頭を使う”ということに主眼を置いたレッスンを始めるのです。
最初は頭を使うとはどういうことなのか、
半年、1年かけてひとつひとつの練習の意味を、
本人が納得するまで説明し、
その場で練習の効果を感じることができるような
練習方法を提示します。

小学5年生にもなれば、
どうやって練習したらよいのか、自分で練習を編み出せるようになってくる。
また、自分で練習方法を編み出せなくても、
「何のために、この練習をしているのか?」ということを
認識したうえで、練習できるようになってきます。

こんな風に自分の頭を使い、
いろいろ工夫しながら考えて練習すること。
そのことによって”自律”は育まれていくのだろうと思います。
ところで、この”自律”は、
音楽表現する上での”自立”に立脚していなければ、
”自律”とは言えないのでは、と感じます。



「自分はここをどう弾きたいのか?」


「何故、先生はそう言ったんだろう?」


そのひとつひとつを理解しているということ。
ただ、言われるがままに弾くのではなく、
「何故なのか?」を理解するということ。
こう表現したいと、より具体的に自己主張できるということ。

こういったものの上に立脚した練習が、
本来あるべき姿の練習のはずです。
なんのための練習なのか?には、
”自分がこう弾きたいため”という理由がなければ。
”先生に言われたから”では自立してるとは言えませんよね。

ここを乗り越えたら強い!
自主性が育まれるということですから。
自立に立脚した、自律した練習ができるようになれば、
ピアノは長く続けていける!
趣味として確立する、ということです。

音楽なんだから、そんな難しい事言わずに、
楽しければいいじゃない?
頭を使わない趣味は長続きしないと思いませんか?
ゴルフだろうが、野球だろうが、水泳だろうが、
どんな趣味も頭を使うものです。
だからこそ楽しい。

この頭を使う楽しさに目覚めたとき、
自律の勉強、自律の練習が確立するということなのでしょう。
私は生徒さんをそこに導くまでの道しるべになれたら、といつも思うのです。
「自律しなさい」なんて言うだけじゃ、自律なんて無理。
そこまでの導きが必要と感じています。


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emksan at 09:00│TrackBack(0) ピアノ/レッスン 

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