2012年06月20日

人間教育とは?

所属する社会が異なれば”常識”も変わる。
所属する社会が異なれば”しつけ”も変わる。
私たち社会が考える”教育の在り方”の多くは、
社会が異なれば中身も変わってくるんだろうなぁと、私は思うのです。

例えば、箸の持ち方。
確かに私は箸の持ち方の醜い人はあまり好きではありません。(^_^;)
でも、これは日本という社会に所属しているからこその常識ですね。

例えば、土足厳禁。
家の中に土足でズカズカ入ってこられたら、
そりゃぁ、私は怒ります。(笑)
部屋が汚れるでしょ!
その靴で公共のトイレに入ったかもしれないんでしょ?!
ばっちぃばっちぃっ!!

土足厳禁という社会だからこそのマナーに、
玄関の靴の置き方がありますね。
脱ぎっぱなしの靴を並べずにいたら、
「靴は揃えましょう。」って言いたくなっちゃいますネ。
これも日本に所属しているからこその常識。

日本社会に属している以上、身につけておきたい常識(マナー)。
これらは小さい頃から”しつけ”という言葉で教育される事柄です。
では、人間教育とは”しつけ”のことを指すのでしょうか?

私は違うと思うんですよ。
”人間教育”と”しつけ”とは異なるものだと思うのです。
しつけの行き届いている子に、
人間教育が行き届いているとは限りません。
もちろん、人間教育が行き届いている子に、
しつけが行き届いているとは限らないのです。

このほか、所属する社会の価値観によって、
求められる行動も変わってきますね。
ピアノ教育や学校教育の場で思い浮かぶ価値観は、
”師弟関係”における価値観でしょうか。

日本は師弟関係がすごく厳しい。
師匠の前では失礼のないように!です。
これは、先輩後輩という間柄にも置き換えることができますね。
でも、これほど師弟関係が厳しくない社会も世の中にはあるわけで。
そういう社会では、
日本での師弟関係に必要な”しつけ”が必要なくなります。

このように、所属する社会によって異なってくる”しつけ”。
これは人間教育と呼べるものでしょうか?
私は、人間教育とは違う土壌のものだと思うのです。
その社会に所属している以上は、身につけておいた方がよいマナーですが、
私はこれらを人間教育と呼ぶことはできません。

では、人間教育って何?ですね。
私は、幼児教育学を学んできているので、
人間教育というものを人間形成における”土台”と捉えています。

・自分を律することができる(自律)
・自分の足で立って歩くことができる(自立)

これらに”人として”という価値観を加えてもいいかもしれません。
道徳観念ですね。
この道徳観念は自分を律する上で必要な観念です。
この道徳観念としつけの違いを見分けるのはとても難しいことですが、
多くの社会に共通した「人としての在り方」という認識。
これは、宗教の違い、社会の違いに関わらず、
人への思いやりの気持ちや愛情といったものの上に立脚したものと思います。

もちろん、時代によっては、
今より人の命の重さが軽かったこともあるでしょう。
そのことによって”人としての在り方”という根幹が、
現代の道徳観とは異なっていた社会もあるかもしれません。

例えば、アステカ文明。
ここでは日常的に、多くの生け贄が殺されました。
生け贄にされることが本人にとって名誉なことだったともいいます。

例えば、ナチス。
民族的な差別、アーリア人優越の思考により、
多くの命が失われました。
ここでは、アーリア人以外の人の命は尊重されず、
逆にそれが求められたのです。

しかし、このような特異なケースを除いたとき、
宗教や民族による価値観の違いはあれども、
そこには”人としての在り方”という共通した何かが残る気がするのです。
どの社会においても、思いやりや愛情は大切にされるものと思います。
そういう”人としての在り方”を学びながら、
自律や自立といった、人間形成における土台を身につけていく。
これが私の考える”人間教育”です。

私はピアノ指導者ではありますが、
生徒さんと接するとき、
”人間教育”という土台を見失わずに
接していきたいと常々思っています。
しかし、それは”しつけ”とは異なります。
あくまでも、純粋な”人間教育”なのです。

”しつけ”と”人間教育”。
私は、これらを分けて考えるべきではないかと感じています。
”しつけ=人間教育”と思い込んでしまうと、
そこにひずみが生まれてしまう気がするからです。

しつけの行き届いた人間が、
自律・自立しているとは限りません。
ピアノ教育でいえば、
しつけが行き届き、レッスンでの師弟関係の常識を身につけ、
先生の言うことをしっかりと聞き、
先生を立てることのできる子が、
音楽的に自律・自立しているとは限らないのです。

私は”人としての在り方”を踏み外さない形で、
愛情を持って生徒さんと接したいと願っています。
それが、私の思う人間教育の在り方だからです。
それと同時に、ピアノ教育者のひとりとして、
生徒さんが音楽的に自律・自立することを目指します。
それは、生徒さんの私に対するけじめではなく、
生徒さん自身に内在するものを伸ばす、という意味なのです。


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emksan at 10:55│TrackBack(0) ピアノ/レッスン 

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