2012年02月12日

”日本語は映像的である”を音楽に見て

草枕に想起して『湖面に揺らぐ月』を作曲したとき、
ようやく自分が求めていたものに出会えた気がしました。
一体私は音楽に何を求めているのか?
この線上にあるように思えたのです。

昨日本屋へ行きました。
あれこれ本をあさっていたとき、
目の前に『日本語は映像的である』という文字が飛び込んできました。


日本語は映像的である−心理学から見えてくる日本語のしくみ日本語は映像的である−心理学から見えてくる日本語のしくみ
著者:熊谷高幸
新曜社(2011-10-20)
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西洋の哲学や文学はいくら読んでも馴染まない、
しっくりこないという思いがありました。
客観的に眺めることしかできず、
共感するところまでいかないのです。
でも、草枕は違う。
私の中に何の迷いもなく、すうっと溶け込んできました。

それは西洋音楽についても同じ。
好きな作曲家や好きな曲があり、
様々な曲を演奏しているにもかかわらず、
自分で作りたいと思う曲は違う。
私の呼吸、私の表現は、そこにはないのです。

本屋でこの文字が目に飛び込んできたとき、
これだ!と思いました。
興奮しました。
パラパラとその場で本をめくりました。
きっとそう。答えはここにある。


「日本語の話し手は、
臨場感のある現場的な映像の中に聞き手を連れていく。
このように想像行為を共有するところに日本語の特性があるのである。
それに対して、英語の場合は、発話時点から見て、
この事件はここ、あの事件はあそこ、というように
時間的関係性を表していく。」

「俳句や短歌は、語ったり、論じたりするものではない。
それが求めているものは「共に視る」ことである。
わずかなことばで表された世界を共視することで、
その背景にある景色の広がりや心のひだを共有しようとする。」

「日本語は話し手と聞き手が場を共有することを前提として作られている。
場は点というより面である。
あるいは、面を越えて空気のような立体的な世界
(日本語では、これを「風」ということばで表すことが多い)である。
西洋の言語は、この立体から点や線を抽出して
モデル化した構築物と考えることができるだろう。」


159ページにある、
それぞれの語の視点と文の構成の図は、
とてもわかりやすく、あぁ私は膠着語なのだと実感させられました。
そして、音楽でも膠着語を用いたいのだと感じたのです。

ポリフォニーとホモフォニー。
私にはポリフォニーの音楽の方がしっくりきます。
そして、ポリフォニーの音楽は膠着語なのだなぁと思ったのです。
ホモフォニーは面ではなく点。構築物そのものです。
私はそこに、日本文学にみられるものと同質の
背景にある景色の広がりや心のひだを感じることができなかった。
それがしっくりこない要因だったのでしょう。

ロマン派以降の音楽でも、
ポリフォニーを感じるものが好きです。
たとえば、シューマンのトロイメライのような曲。
このようなポリフォーニーの扱いの楽曲には、
奥行きという立体感を感じるからです。
何故そこに立体を感じるのか?
何故ポリフォニーのない音楽に物足りなさを感じるのか?
答えは”背景”にあったようです。

ミシガン・フィッシュ課題と呼ばれる、
増田貴彦氏の実験の記述。


「水槽の中を泳ぐ三匹の魚の映像を参加者に見せたあとで、
それがどんなものだったかを答えさせるのである。
実験結果は、日本人とアメリカ人のあいだに大きな違いが表れるものになった。
日本人の答えは、「藻などが生えた池のようなところで」と、
まず背景を述べたあとに、三匹の魚に言及するものが主流だった。
ところが、アメリカ人の答えは、「三匹の魚がいて、一匹は大きかった」など、
映像の中心部についての説明が多く、
水草や水生動物などの周辺情報について触れることは少なかったのである。」


周辺から中心に向かう日本語の特性と、
中心から周辺に向かう英語の特性。
日本語の文型は映像中にあるものが列挙され、
次にそれらの関係を表しますが、
それに対し、英語の文型はコンセプト重視。
物事には基本的なコンセプトがあり、
それに目の前の事態を当てはめていくという言語。
私がホモフォニーの楽曲に感じる物足りなさは、ここに通じている気がします。
機能和声の上に単旋律を載せただけでは、奥行きを感じることができない。
私は背景も感じたい。

ところで、私はバッハのポリフォニーより、
ルネサンス音楽のポリフォニーの方がしっくりきます。
バッハの音楽は、私には和声的過ぎるのです。


ルネサンス音楽---バッハ---古典派以降


167ページに共同注視の視点を重視しているか、
普遍的な構造を重視しているかという、
世界の言語の両極的な分布図が載っています。
これをクラシック音楽に置き換えると、
ルネサンス音楽が共同注視の視点重視で、
古典派以降が普遍的な構造重視なのかなと。
そして、その中間にバッハです。

何故同じ西洋の音楽にも関わらず、
ルネサンス音楽には日本語と共通の共同注視の視点を感じるのか?
この本の165ページの「5つの指標からみた世界の16種類の言語」
という表を見てすっきりしました。

ルネサンス期の教会音楽の歌詞はラテン語でした。
ラテン語はこれまで述べてきた視点から見ると、非常に日本語と似ているのです。
共同注視の視点と普遍的構造の間に私が置いたバッハは、
ポリフォニーは使っていますが、
短調・長調という機能和声が発生する音階を使用しています。
しかし、ルネサンス音楽では短調・長調という機能和声を含んだ音階ではなく、
旋法という独特の音階が用いられているのです。


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emksan at 05:13│TrackBack(0) ピアノ/練習&勉強 | 読書

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